密着ドキュメンタリー・レポートーー4人で過ごしたPOPの4ヶ月、カミヤサキ100kmマラソン

無期限活動休止中だったカミヤサキが、12月4日(金)、5日(土)に行われた100kmマラソンを達成し、その直後の2ndワンマン・ライヴで復帰を果たした5人組アイドル・グループ“POP”。まさに「キング・オブ・ポジティブ」をテーマに抱えるPOPらしいハッピーでエネルギッシュなライヴを見せつけた彼女たちの4ヶ月に迫るドキュメンタリー・レポートを掲載。イヌカイマアヤ、シグサワアオ、ヤママチミキ、ユメノユアの4人で過ごしたPOPの4ヶ月、100kmマラソン当日、12月8日にリリースした1stシングル『Happy Lucky Kirakira Lucky』を振り返りつつ、POPを掘り下げる。
POPの1stシングルを配信スタート!
POP / Happy Lucky Kirakira Lucky
【配信形態】
ALAC、FLAC、WAV、AAC、mp3 単曲 200円 / まとめ 800円
【Track List】
1. Happy Lucky Kirakira Lucky
2. Alarm
3. Happy Lucky Kirakira Lucky(inst)
4. Alarm(inst)
POP-Period Of Plastic2Mercy-の1stアルバム、堂々のリリース!!
POP / P.O.P
【配信形態】
ALAC、FLAC、WAV、AAC、mp3 単曲 200円 / まとめ 2,000円
【Track List】
1. Plastic 2 mercy(POP ver.)
2. pretty pretty good
3. fly away
4. who am I ?
5. UNIT(POP ver.)
6. NEON
7. Lonely lonely lonely
8. 3rd FLOOR BOYFRIEND
9. Daydream
10. Letter
DOCUMENTARY REPORT : POPの4ヶ月を振り返る

富士急ハイランドから下北沢SHELTERまでの約100km。高低差の激しい山道を含む道のりをわずか22時間で走りきった2時間後、カミヤサキは下北沢SHELTERのステージに立っていた。4ヶ月間4人で活動してきたメンバーたちの前へ一歩踏み出し、一語一語噛みしめるように紡いだ言葉は、活動休止の4ヶ月間で気がついた大切なこと、観客やスタッフへの感謝、そして、イヌカイマアヤ、ヤママチミキ、ユメノユア、シグサワアオへの感謝と謝罪の言葉だった。
「私カミヤサキがカミヤサキでいれるPOPという場所を、イヌカイマアヤ、ヤママチミキ、ユメノユア、シグサワアオが、4ヶ月間、すごくがんばって守り抜いてくれました。たぶん、プレッシャーとか不安とか最初はいっぱいあったと思います。4ヶ月間守り抜いてくれて本当にありがとうございました。たくさん迷惑をかけてしまって本当にごめんなさい。また一緒に進んでいってくれますか?」
超満員のお客さんで溢れた下北沢SHELTER。筆者の位置からステージ上の4人ははっきりと見えない。ふと一瞬訪れた静寂の隙間に、小さくすすり泣くような声が耳を貫いたのは気のせいだったか。ちらりと見えたステージにはしっかりと前を向きながら頷くメンバーの姿がうっすらと見えた。挨拶が終わり、カミヤサキが「Happy Lucky Kirakira Lucky」のタイトルコールをつげた瞬間、怒号のような観客の歓声とともに、5人のPOPは再び大きな産声をあげた。
2015年8月〜9月 : 4人のPOP始動と戸惑い
2015年8月9日、POPは代官山UNITで初ワンマン・ライヴを行った。チケットはソールドアウト。真っ黒なサウナスーツの衣装に身を包み、全身全霊ステージを駆け回ったライヴ本編は、代表曲「Plastic 2 mercy」の3連発で終了。鳴り止まないアンコールが起こるなか、約15分くらいの長いインターバルをあけて5人がステージに表れると、「私からお知らせがあります」という前置きの上でカミヤサキが自身の無期限活動休止を発表した。誰もが想像していなかった発表であり、言葉通り会場はまるでお通夜のような雰囲気になった。メンバーはこらえようと必死だが涙を隠せない。その発表の前に告知された12月の1stシングル・リリースの発表は、現実味のない別世界の出来事のように宙に浮いていた。


POPは、プラニメからミズタマリが卒業し、1人となったカミヤサキの元に集まった4人のメンバーとともに再スタートしたグループである。初ワンマンを終え、いよいよこれから本格スタートというタイミングでリーダーが無期限活動休止になるなど一体誰が想像しただろう。
半信半疑な気持ちを抱えつつ、翌日の渋谷O-EASTでのライヴに足を運ぶと、言葉通り、カミヤサキの姿はなかった。楽屋を訪れても、そこにいたのは4人のメンバーと新人マネージャーの小川智也の姿だけ。「4人で初のステージだったから…」と声をかけるも4人は不安そうな顔でこちらを見るばかり。その雰囲気に耐え切れず、筆者は楽屋をそそくさと出ることしかできなかった。
8月20日のShibuya eggmanでのライヴ〈COSMICBOX vol.9〉の物販に、カミヤサキはスタッフとして立っていた。なにもせずに指をくわえて待っていても仕方ない。なにかできることはないか? そうした自問自答の結果、POPのスタッフとして動くというのがカミヤサキが導き出した答えであり、彼女が唯一できる行動だった。その日から物販をしたり、ライヴをiPhoneで動画撮影したり、チェキを撮ったり、取材の動向をしたり、4人のメンバーと小川にスタッフとして帯同するようになった。その事実に違和感はあったが、更新されなくなったカミヤサキのTwitterアカウントが静かにそれを物語っていた。
2015年10月〜11月 : POPの変革
4人体制になって2ヶ月が経とうとした10月1日、筆者はPOPの4人に取材を申し込んだ。代官山UNITでのワンマン以降、4人でのライヴを重ねているものの、どこかパッとしない雰囲気と行き先が見えないもどかしさを感じていた。取材内容は「参宮橋の中華料理屋で辛いものを食べながら近況を訊く」というポップなものになる予定だったが、結果として非常に重い内容のインタヴューとなった(次号の『TRASH-UP!!』に掲載予定)。
カミヤサキの活動休止の原因のひとつに、〈TOKYO IDOL FESTIVAL〉で禁止されていた客席へ降りていったことがあげられる。公式アナウンスがあったわけではないので推測の域を出ないが、その行為と結果がカミヤサキの無期限活動に繋がってしまっているのだとしたら「ライヴを盛り上げるために、なにがOKで、なにがダメなのかわからない」、そんなプレッシャーに4人は縮こまってしまっていた。現状をどうにかしたいけれど、どうしたらいいのかがわからない。そんなもどかしさに4人は悔しさをにじませながら話をしてくれた。途中、イヌカイマアヤとシグサワアオが涙を見せる瞬間もあった。

その翌々日10月3日、電撃ネットワークのギュウゾウが主催するイベント〈ギュウ農フェス Vol.7 & ウタ娘 ~アイドル大戦争 / プライド・オブ・ピンチケ(POP)フェス〉が新木場1stRINGで開催された。そのタイトルからわかるように、POPへの愛情とストーリーが詰まったイベントといっても過言ではない。そもそも、POPのデビュー・ライヴは、6月28日に羽田空港国際線旅客ターミナルで開催された〈ギュウ農フェス〉vol.3である。そうした縁もあり、テレビ埼玉でOAされたドラマ「アイドル大戦争」でPOPをフィーチャーするなど、ギュウゾウはPOPのためにイベントの道筋を作ってきた。この日、BELLRING少女ハートやゆるめるモ! など、キャリアも実力も上のアイドルをおさえて大トリに抜擢したことは、ギュウゾウの気持ちと期待以外なにがあるだろう。
しかし、その緊張感に4人とも楽屋で泣きじゃくっていた。それは恐れから来る緊張だけではなく、気合の果てに行き着いた武者震いにも見えた。この日のライヴからは、本番1時間半前からスマートフォンを見ずに集中することを定めたり、ステージ(この日のステージはリング)での立ち振る舞いを話し合いライヴに臨んだり、事前準備を意識し出した。そうして臨んだステージ上の彼女たちは、それまでにないほど緊張の面持ちをしていたが、これまでに見たことのないような気合と気迫を感じるパフォーマンスを見せた。「なにをしたらいいのかわからない」と縮こまっていた2日前の彼女たちは、すでにそこにいなかった。
そのライヴからほとんど間を空けず、POPのあり方を変える大きな発表が行われた。「モッシュ・ダイブ・リフトの禁止」がPOPのオフィシャルTwitterで宣言されたのである。代官山UNITのワンマン以降、メンバーのダイブは実質禁止状態にあったが、それに代わるように客席での激しいリフトが数多く見受けられた。ファンもまた、どうにかしてPOPを盛り立てようと必死だったのだ。
そうした激しい盛り上がりがオフィシャルで禁止されたことにより、4人はさらに自分たちのパフォーマンスに磨きをかけることに向かうこととなった。当初、リフトをするお客さんもいたが、4人のステージへ向かう本気の姿勢を汲み取ると、徐々にリフトもなくなっていった。「NEON」のフリを変えたり、「who am I?」の間奏でバンドスタイルのフリをしたり、1回1回のライヴごとに試行錯誤の跡が見て取れた。もちろん、その試みのすべてがうまくいっているとは思えなかったが、前へ前へと進もうとするもがきがみてとれ、ライヴを重ねるごとにプロ意識が芽生えていくようであった。

1番大きな変化を感じたのは、カミヤサキのソロ・パートを4人でユニゾンしはじめたことだった。それまでは、カミヤサキがステージ上にいることを想定して、彼女のパートは口パクで歌うふりをしていた。それは、5人でPOPだということを示している反面、カミヤサキの幻想に頼っているように見える部分もあった。
しかし、11月7日に東京体育館で開催された〈MOSHI MOSHI NIPPON FESTIVAL 2015 in TOKYO〉の広いステージで「pretty pretty good」の出だしを4人で歌った瞬間、初めて4人でのライヴを見てゾクっとするほどの衝撃を受けた。観客である我々もまた、カミヤサキをステージのどこかに無意識においていたのかもしれない。
このころにはカミヤサキの100kmマラソンも発表され、POPがようやく次の局面に動き出そうとしていた。カミヤサキが未来への光を手繰り寄せるように、4人も4人のPOPの完成を描き加速しだしていた。POPは5人だけど、4人でもPOPなんだ。ぼんやりしていたPOPの輪郭が濃くなってきていた。
新しい武器となる1stシングル『Happy Lucky Kirakira Lucky』
そんななかで並行してレコーディングされていたのが、1stシングルとなる『Happy Lucky Kirakira Lucky』である。「新曲はどう?」とある日小川に尋ねてみると、「びっくりする曲になると思いますよ」とニヤリ。メンバーも「全員で一緒に歌うのが恥ずかしかった」と照れながら話していたのが印象的だった。蓋をあけてみたらその通り、予想を大きく裏切る内容となった。BPMは速度を増し、派手なシンセ音に四つ打ち、サビを全員で歌ったジェットコースター的な楽曲に変化していた。作詞もユメノユアが担当し、衣装も赤い芋ジャージからキラキラしたアイドルらしいものとなった。ようやく、12月にシングルがリリースされることが目に見えて実感できるようになっていった。
そんな新しい武器を従え、100kmマラソン前に4人で最後のライヴが11月20日、下北沢GARDENで行われた。事前に告知はされていないなか、「Happy Lucky Kirakira Lucky」が初めてお披露目された。平日の18時30分くらいのスタートで出順も発表されていなかったので、限られた人数しか会場にはいなかったが、予想に反する盛り上がりをみせた。それまでのプラニメ〜POP楽曲とあからさまな変化を見せたポップでハイブリッドな楽曲だっただけに、筆者は馴染むのに時間がかかったが、現場での爆発力は大きいものだった。さらにPVが公開され、ビジュアルを見ながら何度も聴くうちに、POPの新しい側面を見せる重要な楽曲だと確信するようになっていった。100kmマラソン前のインタヴューで、シグサワアオがこんな発言をしている。
「この曲こそサキちゃんがいて完成する気がしました。 あの日はお披露目だったし、4人のライヴで出来上がらせなきゃいけないんだけど、なんか物足りなさがあったなと思って。POPとして歌わせてもらってる曲の中でも、「Happy Lucky Kirakira Lucky」を歌った時が1番物足りなかった。サキちゃんいてほしいな、サキちゃんと一緒に歌いたいなっていう気持ちが強かったです」
POPの新曲は完成した。4人でやれることもやりきった。あとは、100kmマラソンをカミヤサキが達成して戻ってくるだけ。イヌカイマアヤの発言は自信に満ちたものだった。
「私たちは受け入れる体制は充分だよ、カミヤサキ!」
運命のカミヤサキ100kmマラソン
12月4、5日、カミヤサキによる運命の100kmマラソンが行われた。24時間以内にゴールすればPOPに復帰、ゴールできなければ脱退。そんなプレッシャーがかかるイベントにも関わらず、発表時、Twitter上では「またマラソンか」という意見も少なくなかった。100kmマラソンはBiS時代から数えると5回目。カミヤサキにとっては3回目のマラソンとなる。POPのお披露目イベントとなった200km対抗駅伝でも、カミヤサキは驚異的な走りを見せていただけに失敗すると思う人は多くなかったようだ。とはいえ、今回の100kmマラソンのコースは、BiSが初めて挑戦したコースであり、ワキサカユリカは脱退、プールイもリタイアした道のりである。山のコースが30km近く続く。どのような走りになるかは、その道を走ってみるまではわからなかった。

カミヤサキは努力の人間だ。この日に向けて、毎日約12kmを走りトレーニングをしてきた。時には荷物を背負いながら自分に負荷をかけて走ったという。とはいえ、カミヤサキはアスリートではない。アイドルであり、エンターテイナーでもある。ただゴールすればいいというものでもない。さらに、今回のマラソンはマネージャーの小川も一緒に走ることが課されていた。カミヤと違って練習もしていなかったため、スタッフでさえ、小川が100km走り切れるとは思っていなかった。そのため、事務所のスタッフたちも万が一で走る準備を整えていた。おそらく、その2者の身体能力の差がなにかドラマを産むのではないか、そんな気がしていた。

4日11時30分に、Ustream配信とともに100kmマラソンがスタートした。最初の20kmは平坦なコンクリート道が続くこともあり、ハイペースで走るカミヤサキ。マネージャーの小川も遅れず並走するが、つらい顔をしばしば見せる。そのたび、カミヤが少しペースを落とし、小川が追いつくという展開をみせた。山道に入ってしばらくすると、順調に走っていたカミヤサキも腰を痛めないように歩きながら丁寧に進み出した。それくらい、山の上り下りの差が激しい。また、これまでのマラソンと違うのは、これが冬の寒空のなかで行われていることだ。日が落ちて、山の寒さが身体を襲いはじめる。カミヤサキ曰く「お腹と背中がくっつくような痛み」に悩まされ、休憩を提案しても頑なに拒んでいたが、車のなかで横になって20分ほど休憩せざるを得ない状況になった。進むペースは想像以上にはやかったが、カミヤサキは一刻も早くゴールに辿りつきたい一心だった。休憩を終えて回復した体調で、再び走り続けた。

このマラソンはカミヤサキの復帰という直接的な目的以外にも、重要な意味があると筆者は感じていた。端的にいえば、4ヶ月の精神的な隔たりを大きくつなぐためのイニシエーション。4人のメンバーがプレッシャーや辛さを乗り越えてきたように、カミヤサキも自分自身にストイックにひたむきに向いあい試練を乗り越える必要があった。このマラソンのスタートと中継ポイントに4人のメンバーが並走しないというのは、この試練にとって重要な意味があった。山を越えて建物が増えてきてからのカミヤサキは、なにかに取り憑かれたかのように前だけ向いて走り続けた。

山を越え、日にちも変わり、フラフラになりながらも歩みを止めないカミヤサキ。ちょっとした段差で転びそうになったり、目はうつろだったり、限界はとっくに超えている。それでも走る。気持ちはまったくすり減ることはない。マネージャーの小川は、とっくに体力の限界を通り越しいている。もはや根性と気合、よくわからないアドレナリンで走り続けている。20kmすぎくらいでリタイアを聞こうかと思っていたスタッフたちから、リタイアなんて言葉は消えていた。この2者のズレがドラマを産むという考えもなくなった。目の前にいる2人のひたむきさが、なににも変えがたいドラマだった。

都会らしい道のりが続き、ふらふらになりながらも、走り続けるカミヤサキと小川。そしてついにゴールまで直線がみえた。その視線の先にイヌカイマアヤ、ヤママチミキ、ユメノユア、シグサワアオの姿が見えた。すると4人は走ってカミヤサキに近づいてきた。近くに寄ったときに、もう泣いていた。ゴールまで待てるわけない。4ヶ月、4人はこの瞬間をずっと待っていたんだから。唇をかみしめて踏ん張ってきたんだから。カミヤサキを囲むように、そのまま5人でゴールへなだれこんだ。ゴールを祝福しようと集まった人たちでいっぱいだった。大きな拍手のなか、カミヤサキはゴールした。そしてすぐにその場に倒れこんだ。メンバー4人が彼女を囲み涙を流しながら声をかける。あっという間のようでも、未来永劫続くようでもあった4ヶ月が一つのゴールを迎えた瞬間だった。
ここからがPOPの本当のはじまり
この4ヶ月、4人は本当にもがいていた。もがいて、もがいて、これでもかともがいた。カミヤサキが100kmマラソンを達成したことはとんでもないことで、誰にでもできることではない。しかし、4人がこの4ヶ月を乗り切らなかったら、このチャレンジ自体なかっただろう。大きな話題がないなか、POPの4人はひたすらライヴを行うしかなかった。ライヴがない日はTwitterでとにかく発信をし続けた。動き出したグループのリーダーがいないなか、まだ走り出したばかりの若い4人。マラソン2日前に行ったインタヴューで、イヌカイマアヤは辞めようと思ったこともあったと明かした。ユメノユアも精神的にきつかった時期のことを涙ながらに語った。ヤママチミキはカミヤサキ担当としてカミヤサキ不在のステージを守り抜いた。シグサワアオは最年少とは思えないリーダーシップと気持ちでPOPを引っ張った。カミヤサキ不在のなか、POPというグループを守り抜いたのは、紛れもないこの4人だ。守るだけではなく、アップデートもさせてみせた。

もう「カミヤサキ率いる」という枕詞はいらない。5人のPOPとしてPOPはスタートした。その最初のライヴとなる2ndワンマン・ライヴは、100km走った後とは思えないほど、激しく明るく勢いのあるものだった。その現場を体験した人からは賞賛の声が数々聞かれた。実際に素晴らしいライヴだったと思う。しかし、言わせてもらいたい。POPのライヴはこんなもんじゃない。このレポートでは彼女たちのストーリーを追ってきたが、POPというグループは物語に頼らずとも、その楽曲とパフォーマンスだけでも十分に客席をのみ込めるグループである。汗だくになって踊り狂い、ジャンプし、ラインダンスまでしてみせ、ときに滑稽な姿がまた客席をぐっと掴んでみせる。クラブよりのサウンド・システムでの楽曲の映え方はピカイチだ。だから、このワンマンライヴは、まだスタート地点にすぎない。まだまだこんなもんじゃない。もっとライヴを重ねて、もっと我々をドキドキさせてくれることを疑っていない。まだまだ足りない。これから鮮やかな未来を描くのは5人のPOPだ。(text by 西澤裕郎)

2ndワンマン・ライヴ〈COME BACK MY・・・〉
2015年12月5日(土)下北沢SHELTER
・セットリスト
1. Happy Lucky Kiraira Lucky
2. who am I ?
3. 3rd FLOOR BOYFRIEND
4. Lonely lonely lonely
5. fly away
6. 盗られそう
7. NEON
8. Alarm
9. UNIT
10. too misery
11. pretty pretty good
12. Letter
13. Daydream
14. Plastic 2 mercy
EN1. Happy Lucky Kiraira Lucky
>>>「100kmマラソン前に4人で過ごしたPOPを振り返る」メンバー4人へのインタヴューはこちら
>>>POP、デビュー・アルバムを配信スタート&メンバー初インタヴューはこちら
プラニメ時代のシングルもチェック!!
>>>カミヤサキ(プラニメ)へのインタビューはこちら
>>>ミズタマリ(プラニメ)へのインタビューはこちら
LIVE SCHEDULE
Tパレ感謝祭2015
2015年12月20日(日)@新宿BLAZE
IDOLidge
2015年12月24日(木)@Glad
2015年12月25日(金)@Glad
NAGANO CLUB JUNK BOX×TOWER RECORDS上田店 presents [NO LIVE,NO LIFE]
2015年12月27日(日)@長野JUNK BOX
エリボンフェス2015
2015年12月29日(火)@渋谷WWW
PROFILE
POP

元BiSのカミヤサキ、元いずこねこのミズタマリの2名ユニットとして2014年7月8日に結成。2015年5月31日にミズタマリの脱退を受け、イヌカイマアヤ、シグサワアオ、ヤママチミキ、ユメノユアの4人の新メンバーを加えグループ名を「POP-Period Of Plastic2Mercy-」に改名し、再始動。