24歳からのシンガー・ソング・アニメーターーーパペット、アニメーションなども手がけるturu、3rdミニ・アルバムを独占ハイレゾ配信

彼を紹介するのに、シンガー・ソングライターという言葉は不十分そうだ。自作のアニメーションと音楽を融合したイベント〈Color Bath〉を立ち上げたり、自作の音楽パペット劇「Bolio」を披露しライヴで実演したり、路上やカフェ、ライヴハウスでギター一本で弾き語りもする。彼の名前は、turu(ツル)。自身をシンガー・ソング・アニメーターと名乗るミュージシャンだ。これまでに3作のミニ・アルバムをリリースしてきたが、実は作品作りに集中しすぎて、まだ世の中にはあまり流通していない。なんてもったいないことだ。そこでOTOTOYでは、turuの最新作『自家製Nostalgie』のハイレゾ版をリリースさせてもらうとともに、turuへのインタヴューを決行した。turuという芯が固まり、世の中へ羽ばたく準備は万端だ。まずは、全曲フル試聴でその音楽に触れてみてほしい。
まずは下記よりフル試聴してみよう
気に入った方はこちら!! ハイレゾ版を配信スタート!!
turuの3rdミニ・アルバムをハイレゾ配信
turu / 自家製Nostalgie(24bit/48kHz)
【配信価格】
ALAC、FLAC、WAV(24bit/48Hz) 単曲 250円 / まとめ購入 1,300円
【Track List】
1. 中央自動車道
2. あなたへ
3. 火の鳥
4. 4:45
5. 夕暮れ
6. 霧のワルツ
INTERVIEW : turu
turuと出会ったのは、bananafishの角川明に紹介してもらったことがきっかけだった。暑さがピークの2014年夏、OTOTOYのオフィスに訪れた、もじゃもじゃ頭で細身な彼は、すこしシャイな感じに控えめに笑いながら、自分の作ってきた音楽のこと、アニメーションのこと、パペットであるボリオのことを話してくれた。いわゆるミュージシャンというだけでなくクリエイター、そんな言葉が頭をよぎりながら再生したturuの3rdミニ・アルバム『自家製Nostalgie』を聴いて、思いのほか僕は心を揺さぶられた。テンポの遅いバラード調の「中央自動車道」は、懐かしさと普遍性を持った暖かみのある名曲。決して物珍しいわけでもないし、むしろ普通の歌なのだけれど、やわらかいサウンドが丁寧に作り込まれていることが一聴してわかるのだ。一体turuという人はどのようにして、この音楽を作ったのだろう。さらにその場で訊いてみると、ギターをはじめたのは24歳の頃だということがわかった。ますます興味深くなった僕は、その日にインタヴューを申し込んだ。turuの言葉をあなたにもお届けする。
インタヴュー&文 : 西澤裕郎
写真 : 外林健太
恥ずかしがり屋だったので声だせずに口パクで妄想していました
ーーturuさんは24歳でギターをはじめたそうですが、アーティストとしてはかなり遅い時期でのスタートですよね。他に楽器はなにかやっていなかったんですか。
turu : 中学のときにバンドをはじめてベースを買ったんですけど、弾ける前に諦めてしまって(笑)。そこからはずっと歌をうたってきました。
ーーちなみに、音楽以外の芸術的なことはされていたんですか。
turu : それも全然やってなくて。美術部だったわけでも、成績がよかったわけでもなくて。もし掘り下げるとするなら、小学校なんですよね。小学校のときは、兄貴の影響でレポート用紙にずっと長編漫画を描いていたんです。

ーーそれは、どんな内容の漫画だったんですか?
turu : タイトルは「まるたんの秘宝」といって。… まさか「まるたんの秘宝」がメモられる日が来るとは(笑)。内容はドラゴンボールですね(笑)。自分の画力が追いつかなくて、最後は不思議な玉に触り弱くなって敵にやられて終わらせました。最後のページは、まるたんが泣きながら笑っているんですよ。「あのとき、まるたんは笑っていた」っていうセリフとともに。
ーー… けっこうシリアスな話で終わるんですね。
turu : そのページだけは鮮明に覚えてますね。クラスで人気が出て、みんな次の回を楽しみにしていました。まるたんを描きたいやつは俺の許可が必要なくらいでしたね。まぁ実はそれも兄貴の「まるちゃん」というキャラをパクったんですけど。
ーー中学でも漫画は描かれていたんですか?
turu : 受験戦争に突入して小学校後半からは描いてなかったですね。塾に行って、家庭教師もつけて、家では通販でみつけた勉強マシンみたいなものをやったり(笑)。でっかいワープロからいろんな問題が出てくるみたいなものなんですけど、結果、勉強嫌いになりました。
ーーそれじゃあ、バンドはその反動の意味もあってはじめたんですか。
turu : それもあるかもしれないですね。あとはエアロスミスとかガンズとかを兄貴に聴かせてもらって、かっこいいなと思って。自分の部屋にこもって、目をつむってイヤホンで聴きながら、なりきっていましたね。想像の世界ではドームみたいなところでライヴをやったりして。恥ずかしがり屋だったので声は出さずにに口パクで妄想していましたね。
ーー想像するのが好きな少年だったんですね。
turu : そうかもしれないですね。うちの家族って、すっぱり2つのタイプにわかれて。父と兄は興味あるものをすごく勉強するんですけど、俺と母親はそれになりたいと思っちゃう。兄貴は、ハード・ロックだったらハード・ロックで調べて詳しくなるんだけど、俺はどうしたらその人みたいになれるんだ? って思うタイプなのかも。
ーーそれぞれのタイプがはっきりしているんですね。大学は、美術大学だったりそういう学部に行かれたんですか。
turu : それも違うんですよね。国際政治経済学部というところで。さらに、ずっとブレイク・ダンスをしていたんですよね。友だちに誘われて。
ーー本当に点と点がつながっていきませんね(笑)。そのとき、歌はうたっていたんですか。
turu : 大学のとき、エレクトロニカを作っている友だちができたんですよ。それまでは、メロコア、ミクスチャー、ヒップホップとか、流行りものばっかり聴いていたんですけど、まったく聴いたことのないような音楽を聴かせてくれて。そいつの作った音楽で歌ったりしていましたね。それまでは、なにかをわめいて目立ちたいだけだったんですけど、一個一個言葉とメロディを考えてやっていくのがすごく楽しくて。それを2人で高速道路で聴いて楽しんでました。
弾き語りのライヴって、お客さんとの会話がすごく大事
ーー2006年にはイギリス・ボーンマスに行かれるわけですが、またどうして海外に?
turu : みんなが就職活動をしはじめたころ、どうやって生きていこうって漠然と考えて、ふらりとイギリスに一人でいってみたんですよね。それでいろんなものを観て、すごく刺激を受けたんです。美術の学校に行っていた友だちが、ロンドンのナイトライフも教えて連れていってくれて。ロンドンのパブって、同じ音楽でおじさんから若い兄ちゃんまで、男も女も一緒に盛り上がっているんですよ。それを観てすげーなと。俺もここに身を置いてみたいって願望が湧いてきて。
ーーそして留学中にギターをはじめるんですよね。
turu : ようやく出てきました(笑)。バンドをやっているわけでもないし、エレクトロニカを作ってくれる友だちもいないし、でも、なにか歌いたいって欲があったから、そこでギターを買ったんですよね。街の小さいギターショップで。
ーーそのときは、どういうことを歌っていたんですか。
turu : 正直に言うと、そのとき好きだった子に向けたラブ・ソングですよね。だから気持ち悪い話なんですけど、歌を送ってましたね。
ーーちなみに、その子とはうまくいったんですか。
turu : メールでフラれました。僕がいろんな歌をつくってCDにして、イギリスでみつけたおいしいチョコレートとかいいものを詰めて送ったり、がんばっていたんですけど、メール一本でフラれましたね。

ーーそれは切ないですね。イギリスにはどれくらいいたんでしょう。
turu : 2年間いましたね。最初は曲を録って送っていただけだったんですけど、寮のキッチンでみんなに聴いてもらう機会があって。他の人は音楽をやってないんですけど、ポルトガルのやつがテーブルをたたき出したりとか、イタリアのやつがコーラスを入れてきたりとかして。そういう体験って、バンドをやっていても体験したことがなくて。自分の作った曲を身ひとつでこんなに楽しそうにしてるのを体感したとき、音楽っていいなって思いましたね。弾き語りのライヴって、お客さんとの会話がすごく大事だと思うんです。変な話、メンバーじゃないけど、一緒にやっているというか。一方的にみせるというのとは違う。
ーーなるほど。
turu : もうひとつ、すごく大きな経験があって、向こうでちょっと引きこもりになってしまった日本人の友だちが授業に出てこなくなってしまったんですよ。そのとき、自分になにができるだろうと思って、歌を作ってドアの下からささっといれたら、そいつが授業に出てくれるようになって。自分の歌を聴いてがんばろうと思った、って言ってくれたんですよ。ちっちゃなことかもしれないけど、すごく感動したんですよ。音楽でそういうことができたことがなかったので、すごく嬉しかった。自分が歌うことで、そいつの考え方をガラリと変えることはできないかもしれないけど、3度くらい変えることはできるんだって。
ーー身近なコミュニケーションとして歌が機能したわけですね。
turu : そうですね。それまでそういう考えがなかったので、言葉で「がんばんなよ」って言う以上のなにかを伝えることができるんだって。
ーープロフィールが象徴的なんですけど、「路上、カフェ、ライヴハウスで活動」っていう並び順で書いてあって、ライヴハウスは最後ですもんね。
turu : 最初の頃は、下北沢の路上ですごくたくさんやっていましたね。週3、4くらいで駅前でやっていました。ただ、路上も長所も短所もあるから、いろいろやる場所も広げて行きたいと思って場所を広めていった経緯があります。
対人間じゃないものとコミュニケーションできるのはおもしろい
ーーそして、2010年に初音源をリリースされます。これは、turu楽団というバンド名義ですね。
turu : 一番最初に出した『Nice turu meet you』ってアルバムのレコ発をやるとき、サポートを入れてやったんですよ。自分の形は弾き語りだけど、頭のなかはバンド・サウンドだったので、バンド的な形で活動しようかってはじまったのがturu楽団です。最初、ライブバーで、鈴木史門というピアニストと知り合って、彼にお願いした感じですね。だから、turu楽団とは言いますけど、彼が集めた感じで(笑)。
ーー2002年には『#2』を出しますが、「より表現を追求するためにソロ活動に専念する」ということで、すぐにソロになります。
turu : バンドがすごく難しかったんですね。簡単にいうと、僕に舵取りができなかった。いろんな形ってあると思うんですけど、俺がやりたいことって、自分の思った描けているものをバンっとだしたいってことなんです。それなのに、ものすごく気を使っちゃって、どうしたらみんなの個性を活かせるかなって悩んでしまって。最終的な着地地点がわからないというか、わけわからなくなっちゃって。
ーーだったら一人で一回地場を固めようと。
turu : 結局、そこがしっかりしていないと、いくら豪華なメンバーを集めたところで一緒だなと思って。一回やめて、ソロとしての形をちゃんとしてからにしようと思ったんです。
ーーアニメと音楽の融合っていうのは、そこで考えて生まれてきたんですか。
turu : 突き詰めてそこになったわけじゃないんですけど、以前からアイデアはありましたね。あくまでギターを弾いて歌をうたっている自分は真ん中にあって、それをどうやって楽しんでもらうかってところがクリエイティビティだなって。せっかく自分が作れるんだから、一緒にやったらおもしろいんじゃないかと思ったんです。いままで興味なかった人もきっかけになればなというところがありますね。
ーーミュージシャンのパペット劇「ボリオ」はいつ生まれたんですか。

turu : これは、僕が働いているアニメーション制作の会社で作ったんですよ。ずっと影武者的な感じで作家さんの影で描いていたんですけど、レギュラー放送がなくなって、なにか作ってくれと言われて。とくに、その番組のためにってわけじゃないんですけど、オリジナルのものを作って売り出そうみたいなところがもとにあります。他の人に頼む予算もないし、自分でできる範囲でやろうと。パペット作りの本を買って、ホームセンター行ってギターも板を切って針金を張って作ったものなんです。
死ぬまでにturuで遊び尽くしたいです
ーーturuさんの書く歌詞って、自分のルサンチマンを爆発させるっていうよりも、ここではない場所での物語が描かれているように感じるんですよ。曲作りのときに決めていることってありますか。
turu : 逆にそういうことは決めないようにしていますね。日常とか実体験から作る生々しさにフォーカスした曲もあって。でも一方で、西澤さんが言うように、妄想じゃないですけど、そういう世界を歌ってみようっていうのもありますね。
ーー「中央自動車道」の音作りは、バンド編成で艶っぽいじゃないですか。バンドの荒々しさがあるわけでもなくて、すごく馴染んでいて心地いい音作りですよね。
turu : 音の部分って正直そこまでわからないんですけど、作り方として思うのは、ノリで作りたくないと思っていて。そういう作り方がしょうにあっているというか、楽しいんですよね。建築物じゃないですけど、しっかり組み立てていきたい。
ーーちなみに「中央自動車道」はどうやって組み立てていった曲なんですか。
turu : 「中央自動車道」の場合は、ドラムとベースを入れたんですけど、リハーサルで逐一詰めていって、ギターとか、ウワもの部分はいろいろ試しましたね。ずっと上物やっているからだと思うんですけど、メロディが曲のなかで一番強くて、そこがふわっとしているものが僕は音源として好きじゃないんですよね。ライヴとかだったらセッションでそういうよさがあると思うんですけど、音源に残すときは、よりシンプルで雑味のない感じが好きだなって。
ーー制作時間はどれくらいで作られたんですか。
turu : 自宅にこもって作っていたので、時間自体はそこまでかからずに作れました。「中央自動車道」と「夕暮れ」は、僕の宅録技術じゃ曲をダメにしちゃうなと思ったのでスタジオを借りたんですけど,他のは家で作りましたね。『Nice turu meet you.』は同じ方法ですが半年くらいかけて作りました。人の家にいってちょこちょこと。

ーー一人の活動を経ることによって、核の部分は固まってきましたか。
turu : 1人でのライヴが楽しくなってきました。実をいうと、前は全然楽しくなかったんですよね。間違えちゃいけない、自分の100%を出さなきゃいけないみたいな。気が弱いんですよね、きっと。あと、頭の中で鳴っているバンドサウンドと比べてしまうせいで、物足りなさを感じていました。でもそれは全く別物で、弾き語りの時はいかに少ない音でそれを感じさせるかというのが最近楽しくなってきましたね。
ーーここからがturuさんのスタート地点になると思うんですけど、どういうことをしていきたいですか。
turu : より多くの人に聴いてもらいたいですね。そのために、ギター一本、歌ひとつの真ん中をどれくらい固められるか。ここがしっかりしていればいるほど、いろんなことができると思うんですね。自分がいいと思う歌を突き詰めていきたいです。それって言い換えれば、turuって人間でどんだけ遊べるんだろうってことだと思うんです。この舞台に立ちたいとか明確な目標は正直ないんですけど、死ぬまでにturuで遊び尽くしたいです。その過程でいろんな舞台が待っているだろうと。そこで生まれた歌を、聴いた人たちがそれぞれの人生の中で使ってもらえたら嬉しいです。
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LIVE SCHEDULE
2014年9月13日(土)@八王子Grooving Mamagon
2014年9月14日(日)@大宮ヒソミネ
2014年9月24日(水)@熊本市ビアンコ
2014年9月26日(金)@新高円寺STAXFRED
2014年10月4日(土)@新高円寺STAXFRED
PROFILE

turu
1982年生まれ。東京都出身。調布市在住。
イギリス、ボーンマスにてアニメーションを作る傍らギターを購入し 作曲を始める。シンガー・ソング・アニメーターと名乗り自作のアニメー ションと歌を融合させるパフォーマンスもする。形態にこだわらず、 様々な形で生み出すその音楽はポップでありながら味わい深い。 近年ではポンキッキーズでの音楽パペット劇やEテレへの楽曲提供 など活躍の場を広げている。