“はみ出した人”を照らす、ART-SCHOOLのささやかな光──揺れながらも歩み続けた25年、その先に迎えた新たな境地

結成25周年を迎えたART-SCHOOLが放つミニ・アルバム『1985』は、2003年に発表された『SWAN SONG』を“今”の感覚で再構築するという試みから生まれた作品だ。荒々しさや切実さのなかに、月の光のように静かに射し込む優しさや希望──そんな余韻を纏った本作は、これまでの旅路を振り返ると同時に、新しい景色へと向かう意志に満ちている。そこには、木下理樹(Vo. / Gt.)の創作の核にある“敬意”と“ときめき”が息づいている。自身の感性を決定づけた音楽や映画との出会い、心を奪われたあの瞬間のきらめき。その輝きを、自らの楽曲の中にも宿らせたいという想いが、本作にも確かに刻まれている。バンドの中心人物である木下が、自らの過去と現在、そしてART-SCHOOLというバンドの存在について語ってくれた。
冷たくもあたたかい、イノセントなサウンドを最強の布陣で
INTERVIEW : 木下理樹(ART-SCHOOL)

ART-SCHOOLが結成25周年を迎えた。新たなミニ・アルバム『1985』は、1曲目の「Trust Me」からシューゲイズな爆音が疾駆し、これぞART-SCHOOL!な幕開け。木下理樹は儚さと力強さが共存した歌声で「生きる才能が欠落してる 病んだ僕たちは今日も歌ってる 救いなんて無い それでも良いさ 夜が明けるまで 手を繋いでいよう」と歌い、生き辛さを感じている人々に対し寄り添ってきた25年間を凝縮してみせる。
25年の間に幾度となくメンバー・チェンジを繰り返し、オリジナル・メンバーは木下のみ。解散の危機もありながら、2012年からは木下と戸高賢史(G)に加えて、中尾健太郎(B/ex, NUMBER GIRL, Crypt City)、藤田勇(Dr/MO’SOME TONEBENDER)をサポート・メンバーに迎えた新体制がスタート。何が起きようともびくともしないような強靭なアンサンブルを武器に支持を広げてきた。不死鳥のごとく何度も蘇ってきたART-SCHOOLが放つ、ART-SCHOOLにしかなしえない美しく透徹した世界が広がる『1985』にこめた想い、そして25周年について、木下に聞いた。
取材・文 : 小松香里
撮影 : 山川哲矢
不安定なものはやりきったって思ってる
──『1985』は2003年にリリースした『SWAN SONG』のような作品を今の感覚で作ったらどうなるか、という発想から制作が始まったそうですが、なぜそういう方向で作ろうと思ったんでしょうか?
木下理樹(以下、木下):25周年にどういう作品を作ろうと思った時、『SWAN SONG』は個人的に気に入ってるミニ・アルバムだったので、今のメンバーでああいった作品を作ったらどうなるかなって思ったのが始まりでしたね。それで、昨年8月にやったThe Novembersとの対バンに初期のARTの作品を手がけてくれていたエンジニアの岩田(純也)さんが見に来てくれて、新作のデモ作りに参加してもらえないかっていう話を少ししました。それで去年の10月ぐらいから岩田さんのスタジオでひとりでデモ作りをスタートさせたんです。
──ビジョンとリンクするような手ごたえはすぐに掴めたんですか?
木下:僕ひとりで全部の楽器を弾いて作ってたので、初期のART-SCHOOLの感覚を感じてましたね。音もスカスカで。それをトディー(戸高)に聴かせたら「いいね」って言ってくれて、バンドで合わせて作っていこうっていうことになりました。

──結成当初のカセットでしか音源がなかった「Outsider」を新録したのはどうしてだったんですか?
木下:ART-SCHOOLはサブスクにない曲が多くて「もったいないね」っていう話になったんですよね。それでサブスクにない曲の中でやりたい曲を今の布陣でやったらどうなるのかなと思って。最初は「WISH」っていう曲を練習してみたんだけど、あまりにもキーが高すぎて歌えなかったので(笑)、「Outsider」にしました。
──「WISH」も20年以上前の曲ですが、当時の木下さんは歌えてたんですか?
木下:当時でもきわきわだったね(笑)。「WISH」はライヴでもやってなくて、「何か理由があったな」って思い返してみたら、「わかった、キーが高いからやんなかったんだ」って。レコーディングの時は魔法のように歌えたけど、20代の時の僕がライヴで歌おうとして歌えないと思った曲を今歌うのはきついなっていうことになって、「Outsider」がいいんじゃない?っていうことになりました。やってみたらミニ・アルバムの他の曲とのハマりが良かったのでそれにしました。
──「Outsider」はかなりゴリゴリの曲ですが、昔と比べてどんな変化が詰まっていると思いますか?
木下:ゴリゴリではあるけど、淡いアルペジオとかもあって。カセットの時はもっと攻撃的で本当切羽詰まってるような感じが強かったんだけど、今はもうちょっと優しい視点で見てるような感じがしましたね。
──「おおOutsider 感情を切った 何も感じないように 本当はもう誰も信じたくない」というむき出しのストレートな歌詞が印象的ですが、木下さんとしては蒼さを感じるのか、変わってないなと思うのか、どっちなんでしょう?
木下:当時は本当にその歌詞のままの気持ちで歌ってたと思うんだけど、今はもうちょっと客観的に見てるっていうか、歌詞もやっぱり優しい視点で見てるような気がする。
──そういう変化が生まれたのはなんでだと思いますか?
木下:……25年という時間がそうさせたんでしょうね。新録するにあたって当時のことを色々思い出したりはしたけど、その時から優しい視点を入れたかったんですよ。でも、当時はいっぱいいっぱいすぎてそれがうまく表現できなくて。今回のバージョンではそこが表現できたんじゃないかと思ってますね。

──優しさという要素が音に現れてきたのは、ここ数年のART-SCHOOLのひとつの魅力だと思っています。
木下:うん。ART-SCHOOLは疎外感を感じている人や生き辛さを感じている人たちのためのバンドだと思っているから、多分根底にはずっと優しさはあったと思うんだけど。僕が体調を壊して実家で療養してる時に小松っちゃんにnoteのインタヴューで話したけど、ああいう地獄のような時期があったから、今こういう心境に至ってるとは思うけどね。
──活動再開したタイミングでリリースした『Just Kids .ep』以降、元来木下さんが抱えていた優しさが音に現れ始めたということですよね。
木下:そうですね。『Just Kids .ep』は復帰作で。もちろんスケールは違うんだけど、レッチリ(レッド・ホット・チリ・ペッパーズ)の『カリフォルニケイション』(ジョン・フルシアンテ復帰作)みたいなイメージがあるんだよね。何も無理してない。別に誰とも争ってもいないし、ただ自分が信じてることを優しく叶えてるっていうか。あれに近いイメージがあります。
──その後の『luminous』、今回の『1985』とその感覚が続いてるということですかね。
木下:そうだね。
──それは音楽家として嬉しいことですか?
木下:うん。やっぱり喜びだと思う。今はライヴをやってても良い状態だなって思う瞬間が多いんですよね。ライヴ・パフォーマンスのスキルが上がってきているところもあって。そうやって安定してるART-SCHOOLをなるべく維持したいよね。不安定なものはやりきったって思ってるんで。不安定なものにも魅力はあるし、僕自身が安定しているかっていうとそうではないんだけど、ART-SCHOOLを聴いてくれている人に対しては、ちゃんと音楽をしているなっていう姿を見せたいと思うから。