INTERVIEW : きのホ。プロデューサー(新井ポテト & ハンサムケンヤ)

インタビュー : 飯田仁一郎
文 : 西田健
撮影 : 大橋祐希
ライヴ写真 : ニイミココロ (X:@ni_____mi / instagram: @ni__m_
できれば楽器は京都の人に弾いてもらいたい
──ポテトさんはきのホ。が所属する京都のインディーズレーベル『古都レコード』の代表であり、ケンヤさんはそこに所属するアーティストのひとりという関係性です。おふたりにとって、きのホ。はどんな想いでやっているプロジェクトなんですか?
新井ポテト(以下、ポテト) : 僕は元々アイドルが好きだったというわけではないので、いまだに不思議な感覚ですね。そもそもきのホ。は、「ハンサムケンヤが楽曲制作をするアイドル」というプロジェクトとして、はじまったんですよ。当時はケンヤも、音楽活動を精力的には活動していない状態だったんですけど、「ハンサムケンヤが売れるきっかけになるのであれば、やりたいな」と思って、はじめることにしたんです。
ハンサムケンヤ(以下、ケンヤ) : 僕自身はずっと曲を作るのが生き甲斐だったから、「僕の曲を使ったプロジェクトを発足するのであれば、なんでもついていくよ」と伝えていました。いま、ハンサムケンヤはきのホ。に曲を提供している人という認識だと思うんですけど、でも僕自身は提供しているという感覚はあまりないですね。同じバンドメンバーみたいな感覚で、気を許したヴォーカルが歌ってくれているという感じです。きのホ。はもはや一心同体の家族みたいな感覚だし、「きのホ。が売れる=自分が売れる」くらいに思っています。


──きのホ。の歌詞はどういう風に書いてるんですか?
ケンヤ : 僕は今37歳なんですけど、24歳くらいだったときの自分と、いまのメンバーの環境が近いなと感じているんです。周りが就職したりしているなか、音楽とか芸能活動をやっていると、今自分が生きようとしている道と社会の価値観とか常識とかがすれ違っていく感覚があると思うんです。その環境が似ているから、自分の素直な気持ちを歌詞にしても違和感がないなと。あとは、彼女たちとの会話から歌詞を作る時もあります。
ポテト : きのホ。の曲は、ケンヤが歌ってもグッとくるし、メンバーが歌うとまた違う意味に感じ取れるような歌詞ですよね。あとは、ケンヤがきのホ。をやる前に書いていたこれまでの曲は、そこまでライヴに向けて作られていなかったんです。どちらかというと、日記のように曲を書いて、1人で家の中で聞いてほしいみたいな感じでした。でもきのホ。の曲は、どんどんライヴでの盛り上がりも考えたものに仕上がっていってる。そこが大きな違いだと思っています。
ケンヤ : 昔だったら、レコーディングをしたら曲として完成したと感じていたんです。でもいまはライヴのことも意識するようになりましたね。きのホ。たちが踊って歌うステージとか、それを観にくるお客さんのこととかも想像して作るようになりました。
ポテト : きのホ。のファースト・アルバム『きのうまではポジティブでした!』とかを聴いたら、あまりライヴのことを考えずに作っていることがわかると思います。曲数を重ねるごとに、よりお客さんの存在を意識するようになってきたというか。
──ポテトさんは楽曲を作る上で、どういうふうに関わっているんですか?
ポテト : デモの段階までは100%ケンヤがやるんですけど、そこから先のアレンジやレコーディングは全て僕が監督しています。ドラムは僕が叩いて、ベースは僕の嫁に弾かせてます。
──ケンヤさんがデモを作って、ポテトさんはそれを完成させていく人なんですね。
ポテト : そうなんですよ。歌詞とメロディはほとんどいじらないですけど、テンポだったり構成だったりから丸ごと変えることもあります。あと、ギタリストについては毎回、色んな人を呼んでいます。今回の新曲“秋刀魚“、”そして今日“は、サブマリンっていうバンドのタカノくん。残り2曲は“新パラドックス“、”傾いている“は、ArbusやヤジマX KYOTOで弾いている、池住祥平さんにお願いしています。ふたりとも京都のバンド界隈の人です。できれば楽器は京都の人に弾いてもらいたい気持ちがあるんです。以前は浪漫革命の後藤潤一くんも弾いてくれていたんですけど、東京に行っちゃったので。もちろん彼に弾いて欲しい曲もあったんですけど、京都にいる人に弾いてもらいたいっていう思いが実は強くて、今回はこういう布陣になりました。
ケンヤ : ファーストの時は僕がギターも弾いていたんですけどね。今回は“秋刀魚“で10秒だけ弾いてます(笑)。
ポテト : あとは歌割りについては、必ず僕とケンヤのふたりで決めてます。
ケンヤ : 曲を作っている時点では、ここを誰が歌うかっていうところは全く意識していないんですよ。歌割りってメンバーからすると、とても大事だし、思い通りになっていなくてガッカリされることもあるので、その恨みがポテトに集中しないように(笑)。ポテトはレコーディングの時のメンバーの想いとかも乗っちゃってると思うので、最終的には僕がテイクだけを聞いて「これ!」って決める感じですね。
──おふたりとも京都出身ではないですが、きのホ。が京都にこだわるのはなぜなんですか?
ケンヤ : 僕とポテトが学生時代を共にしたのが京都だからというのが大きいかもしれないね。
ポテト : もともとケンヤとは立命館大学で出会ったんですよ。それも中国語の再履修の授業で(笑)。そのときに「楽器やってるんだ、じゃあ一緒に音楽やろうぜ!」って仲良くなったことをきっかけに、バンドをやることになって。
ケンヤ : いろいろライヴもやったね。
ポテト : でも実は「京都最高!京都しか好きじゃない!」みたいなのはないんですよ。僕は活動や制作には「縛り」があったほうがいいと思っているんですけど、京都には縛る価値があると思うんですよ。歴史や文化は深いけど、新しいカルチャーはなかなか受け入れられなくて、でもそれを乗り越えて認められたら、強い応援をしてくれそう。あと外向きには、京都はある種のブランドがあったりもして。そのあたりは最大限有効活用したいなと。
ケンヤ : まあ自分たちも京都にいる時間が長すぎたから、この場所に価値を見出すっていう考えに至っているのかもしれないね。