OTOTOYインタヴューでたどるBiSHの軌跡──アイナ・ジ・エンドが駆け抜けた日々

BiSHの振り付けを手がけ、シンガーとしても様々な共演を果たしているアイナ・ジ・エンド。この活動の軌跡を記した年表で、彼女が駆け抜けた日々を感じてください。
BiSH前夜
大阪時代
大阪で生まれ育ち、4歳からダンスを習っていたというアイナ・ジ・エンド。自分が天才だと思う理由やアピールできることのひとつがダンスだったという。
- なんでかわからないけど、無敵だと思ってました。
- (2015年4月22日掲載インタヴュー)
大阪より上京〜2015年頃まで
高校を卒業した後に上京。yucatのバックダンサーの集まりでPARALLELというユニットとして活動していた。
- 上京してすぐ位のときは、2日くらいだけど公園で暮らしてたこともあって。
- (2015年4月22日掲載インタヴュー)
- 渋谷のclub asiaで初ライヴをやったんですけど、お客さんが1人しかいなくて。でもノルマがあって、18000円くらい払って毎月ライブに出てました。
- (2015年4月22日掲載インタヴュー)
2014年7月8日
初期BiSが横浜アリーナで解散ライブ『BiSなりの武道館』を行う。
渡辺淳之介氏がプロデュースしていた初期BiSの解散ライヴ。約3年半の活動を締めくくった最後の会場には約8000人が集結した。
- ウイカさんの歌声にめっちゃ惚れて、BiSはアイドルの進化系や! と思いましたね
- (2015年03月17日掲載インタヴュー)