自我の権化たる「THIS IS 向井秀徳」の確認ですよね
——枚方市民会館… いまのZAZEN BOYSの音像は、具体的にどういう特徴があるのでしょうか?
向井:以前にシンセで鳴らしていたものをギター・サウンドでアレンジしているというのはありますね。大きな理由としてはですね、シンセをもっていくのが煩わしいなと思ってですね。ギターとシンセだったら、シンセの方が重いわけですよ。
——そういう理由だったんですか!
向井:移動するときに困難がある。どうにかシンセのリフをギターで弾けないかなと思って、ギターで鳴らしまして。
——ライヴアレンジに限らず、今作でもシンセは、一切聴こえてきませんでした。
向井:ここでシンセの音を入れてしまうと、シンセをまたもっていかないといけなくなると思って、これは二度手間だと。私は合理的に考える人間なんですよ。もちろんKORGのMono/Polyで鳴らすと、景色が広がる瞬間はありますよ。でも、これで弾いてしまったらあの重い移動が始まると思って、1回引っ込めまして。ギターで弾いてみると、これでもいいじゃないかと。また別の色合いだなと思いましたね。そういう部分では軽妙ですよ。
——なるほど。実利を重視したと。
向井:もちろんギターが2本あって、ギターのリフとリフ、もしくはコードに絡むギターの単音は根本的に好きなわけです。ローリング・ストーンズ、テレヴィジョン、ソニック・ユース、そういったギター・ロックのスタイルに取り憑かれているんですよね。
——12年の歳月の中で、時代の変化に合わせて、これまでと作り方を変更したことはあったんですか?
向井:やり方は変わっていないですね。例えばリモートワークで「ベースを入れてデータ送り返してくれや」みたいなやり方もできると思うんですけど、それはしないです。我々の場合は、顔を突き合わせないと難しいですね。バンドは呼吸合わせが必要ですから。我々はMATSURI STUDIOで鳴らし合う。それは変わっていないし、そういうやり方をしますね。でも音楽の売り方に関しては、大きく変わりましたね。我々はずっと作品を発表していない、つまり商売をしていないわけだから、ここにきて今こうなっているのかというのは気づきましたね。サブスクリプションの形がありまして、世の人たちがどういう音楽の聴き方をしているのかをここにきて知った部分は多い。

——そうしたサブスク主体のストリーミングでの視聴環境において、音質の違いは明らかです。やはりストリーミングだと音質が明らかに下がってしまうのですが、そういった現状についてどう考えていますか?
向井:多くはイヤフォン、ヘッドフォン、もしくはiPhoneのスピーカーで聴くのが主流なんだろうけども、私はそれに合わせてミックスするつもりはない。でもマスターデータを聴いたら、初めて違いがわかると思いますよ。それは大きな違いがありますからね。ただし、こういうスタイルで聴かなければいけないとコントロールする必要もないと思っていて。20年以上前からCD をどう聴くか色々あったわけで。でも本当の意味で、俺らの音を聴くなら、MATSURI STUDIOのスピーカーの前に座って聴いてもらう、もしくはライヴに来てもらうしかないですよ、としか言えないですね。スマホのスピーカーで聴いているものは、全てを担ってはいないし、ひとつ言えるのは、スマホのスピーカーでも人を惹きつけるような音作りはしていないです。
——今作のマスタリングは、どなたが担当されたんですか?
向井:久方ぶりに、ナンバーガールでずっとやっていただいた小泉由香さん(Orange)というエンジニアの方にお願いしました。
——レコーディング、ミックスダウンまでは向井さんが行って、小泉さんにお渡しした形ですか?
向井:そうです。マスタリングというものは、最終的にまとまった音源にするためにある程度いろんな状況に対応できる音像に整理する作業なんですけども、録音した各楽器のバランスを並べて、ステレオの2ミックスにするミックスダウンの作業とはまた違うんですよ。楽器のバランスをとる耳の使い方と、そのミックスをCD、または他のメディアにエンコードするための耳の使い方は違う。となると、マスタリングの方がより客観的に周波数を聴く耳が必要になる。私の場合は、2ミックスにするときに音が映像として見えとりますんで、その並べ方が独特な周波数の聴こえ方をしているんです。それを私は「地獄耳」と呼んでいるんですけども、その地獄耳に取り憑かれているわけですよ。決して客観的に聴こえていないし、しかも自分で演奏しているわけで独自の地獄耳しかないわけです。2ミックスの作業では地獄耳から地獄迷路に迷い込むわけで、それを客観的に聴いてもらうのは必要だということで、小泉さんにお願いしました。
——なるほど。今作の『らんど』は、作品としてどういう構想で制作が始まったんですか?
向井:結局「今回はこうしよう」とかはないわけですよ。なんせこれだけ時間があったわけですから。自ずとこうなったとしか言いようがないんですけどね。最終的にできあがって、「結局俺にはこれしかないんだ」と思いましたね。何をやってもこうにしかならない、でもそれは悪いことではないと自分では思っています。これが自分であると自覚できるというのは、幸せなことなんですよ。自我の権化たる「THIS IS 向井秀徳」の確認ですよね。
