「なにかが起こったあと」の「そのあと」の話

──なるほど。タイトル『a one & a two』の由来は?
福原:僕の好きな映画、エドワード・ヤン監督の『ヤンヤン 夏の想い出』(2000年)の英題『a one & a two』から拝借しました。この英題は「人生は複雑のようで意外とひとつやふたつのことでできている」という意味合いでつけられたみたいで。その言葉が心に引っかかっていたのと、語感もいいしファーストとセカンドを出したみたいでお得だなと思って。
収録曲の“そのあと”は、悲しいことがあってそれと向き合うためのセラピーのように作った曲なんですけど、その内省的な成り立ちとバンドで音楽を作ることがうまく合致した感覚があって。“そのあと”というのは「なにかが起こったあと」の「そのあと」なんです。ふと「ヤンヤンってそういう話だったな」とも思って。聴いてくれている“ひとり”と僕ら“ふたり”とも取れるし、いろんな意味合いを含んだタイトルになったと思います。
細野:「英語のタイトルは恥ずかしくて嫌だ」と音くんが言っていたんですけど、3週間くらいかけて説得しました。いいタイトルだったので。
──“a one”と“&”と“a two”はアルバムのなかでどういう位置付けなんでしょう?
福原:レコーディング中にエンジニアの中村さん(中村督)から「若気の至りが足りない」と言われたんです。ファースト・アルバムなんだからもっと直視できないくらいの痛いことをやった方がいいということだったんですけど。じゃあコンセプトっぽいことをしてみようと。
細野:“スタンダード”から抜きとってメロディーを作りました。

──レコーディングはどこでされたんですか?
福原:ドラム、ベース、ギターのベーシックは〈スタジオ・サウンド・ダリ〉で、それ以外のウワモノは白金のスタジオで録りました。合宿っぽいこともしたかったので、友達の別荘へふたりで行ったりもしました。
──そのほかのフィールド・レコーディングやおもちゃの音は自分たちで録っているんですよね?
細野:そうですね。そのくらいの録音はパッとできますね。地下時代の蓄積と言いますか。
福原:僕は1940年代の近くて遠いような音が好きで、地下時代はその音像を出したくて録音の研究をしていたので、その辺のことはある程度自分たちでできるんです。
──福原さんは弾き語りで曲を作るとのことでしたが、自分が作った曲をインストに変えることに対してどう思っていますか?
福原:基本はシャッポの曲はすべてインストになるものだと思って作っているので、そこに対して抵抗はないですね。自分が曲作りするうえで作りやすいのが弾き語りというだけで。歌うのは恥ずかしいので「歌わずにすんでラッキー」くらいに思っています(笑)。
──1曲ごとにお訊きします。“めし”はどういった経緯でこの構成になったんでしょうか。
福原:これは大学生の頃に作った、僕たちの一番古い曲です。成瀬巳喜男監督の『めし』(1951年)を観ながら作って、タイトルもそのまま付けていました。アルバムに入れるにあたっていろいろアイデアを出しているうちに、どちらともなく朗読の案が出て。
細野:最初は料理のレシピを読み上げる案が出ていたけど、映画の原作の本(林芙美子による長編小説『めし』)を読んでみようという話にもなったんだよね。
福原:そうそう。文章をどうするか考えていたときに、僕のハロプロ友達で小説家の柚木麻子さんとご飯を食べていたときに、柚木さんは僕がどういう作品を作っているのか知らなかったんですけど、「そういえば音くんはどういう音楽をやってるの?」と聞かれて“めし”の話をしたんです。そのときにふと「これは柚木さんに書いてもらうのがいいかもしれない」と思って柚木さんに持ちかけたらノリノリで「やりたい」と言ってくれて。どうやら柚木さんは林芙美子がすごく好きだったらしいんです。

──文章の内容はどういうリクエストをしたんですか?
福原:僕としてはただ料理のレシピを柚木さんなりに書いてくれたら最高だと思っていたんですけど……。結果的に僕が普段思ってることから『めし』のオマージュまで、かなり詰め込んで素晴らしい文章になりました。
『めし』は林芙美子が亡くなったあとに映画化されて、原作は未完なんです。川端康成が監修した映画の最後では、出ていった奥さんが戻ってくるエンディングになっているんですけど、柚木さんは「林芙美子は絶対そんな終わりかたにしない。奥さんは戻ってこないと思う」と言っていて、曲ではそのことも絡めたいと。
──なるほど。“御法度”はどうでしょう?
福原:これはもともとは全然違った歌もので、僕はインストにする想像がつかなかったんです。でも悠太くんが「イントロを膨らませたらインストになるんじゃないか」とアイデアを出してくれて。海老原くんがもともとやっていたジャズ要素が強いアレンジになりました。
──4曲目の“Chitotong”の読みかたは「チトトン」で合ってますか?
福原:はい。「チトトン」というのは、海老原くんのあだ名なんです。彼が子供の頃にドラムのことを「チトトン」と呼んでいたらしくて。
細野:“Chitotong”はライヴで“ふきだし”をやるときのイントロとして作った曲で、あくまでも“ふきだし”とセットだったんです。それをアルバムに入れるときに独立させました。
福原:ユアソン(YOUR SONG IS GOOD)のライヴを観て影響を受けた僕が「盛り上がるリズムの曲を作ろう!」と呼びかけて3人で組み立てました。海老原くんにはいつもお世話になっているので、その気持ちも込めて曲名につけました。
──6曲目の“コンボ!!!!!!!!!!”も、リズムがかっこいいですね。
細野:これもライヴ用に作った曲です。
福原:2024年の2月に幡ヶ谷のForestlimitのレギュラー・パーティー〈ideala〉(2025年2月に終了)に呼ばれたときに、もっと踊れる曲があってもいいと思ったんです。
1960年代のロッキンコンボのイメージと、ハービー・マンが一時期ディスコに走っていた『Super Mann』(1979年)あたりの、ちょっと外れたファンクの雰囲気がやりたくて、その要素も入っています。