「なにこれ!?」みたいな気持ち、それ以上いらんやん
──メロディやアレンジってどうやって作っていくんですか。"SPACE OUT !" とか "Strange Yellow"を聴くと、全部演奏が出来上がってから歌をつけてるように思えるのですが。
金城:だいたいそうですね。いま、メロディーと歌詞が後になりがちなんですよ。僕はイラストを描くし映像を作るし曲も作るんですけど、絵を描いてるときがいちばん楽しいなって思ったことがあって。でも音楽を聴きながら曲は作れないので、しんどいんです(笑)。それで喫茶店に1冊のノートを持っていって、音楽を聴きながら音楽を作ることできへんかなと思って、文字で音楽を作ることに挑戦してみたんです。それが"ケミカルカルマ"を作った頃ですね。リファレンスの音源を探しながら曲を聴いて、かっこいいと思ったらメモして。その途中から絵を描いたりしてるんですよね。"ケミカルカルマ"をイメージした絵を描いて、その周りに散文的に言葉とか、リファレンスする曲の何分何秒のリフとかってバーって書いたノートを「この曲はこういう絵やねん」ってメンバーに見せるんです。それをみんなが解釈して、「この1ページを1曲にしましょう」ってスタジオに入りました。そこからは本当に大喜利で、僕も歌詞もメロディもリフも決まってない状態で、自分で出したお題に自分で答えていくというか。
GIMA:その絵は縦横無尽に描かれているので、僕が見てもなにを描いてるかわかんなかったりするんですよ(笑)。だいたいのイメージ、発想を得るためにノートを見ていました。
──その絵を見せたときに、出てきたものは金城さんが思ってもなかったことの方が多いんですか。
金城:その方が多いです。というか、変な話ですけどそこを思い描いてもないんですよ。自分はできるだけなにも答えを持たないようにしてスタジオに入りたいので、できれば僕と同じ感覚でおもしろい大喜利のお題を出してくれる人が欲しいんです。でも、さっき言ったサルトルの話じゃないですけど、他人になった時点でもう自分と違うので、それって無理なんですよね。だから自分が出したお題に自分で答えるのがいちばん楽しいって思ってる節もあって。最後の最後まで答えを決めずに、無意識の自分、ロジカルな自分で返すみたいな感覚ですね。
──GIMAさんは、お題に対して自分が出した答えが正解なのかどうかっていう気持ちになりませんか。
GIMA:ほんまにわからんかったら、金城君に答えを訊いたりはしていましたけどね。そこは常に伺いながら歌詞を書いていたりはしてました。ゴールに向かってとりあえずずっと組み立てて作って壊して作り続けていくみたいな感じで、曲が完成したときに正解が見える感じの曲たちでした。

──以前は「愛はズボーンが"愛はズボーン"をテーマに」曲を作っていたとおっしゃいましたけど、そうじゃなくなった今回、結果的にいちばん「これが愛はズボーンだ」っていう作品になっている気がします。
金城:そうなんですよ。僕らもそれはすごく感じてます。もしかしたら、自分らも愛はズボーンのお客さんでいたいっていう気持ちがあるかもしれないです。自分らでもどうなるかわからんものを作ってる方がいいというか。最近すごく考えるのは、いまの世の中、なにでもかんでも解説動画とかで簡単に情報を得ようとするじゃないですか? 例えば僕の好きなクリエイターだったら、庵野秀明さんの『エヴァンゲリオン』の解説を見たり考察を見たりするのも、めっちゃ好きやから楽しいんですけど、最終的にもう裸一貫でその作品にポンッて飛び込んでボーッと見て、「なんか解説できへんけど脳汁出るな」っていう領域に行ってるときの自分の方が好きなんですよ。いま日本のメディアもなんでもかんでもでもロジカルにしすぎやし、小学生のときに見た『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の衝撃みたいな、手放しではじめて映画を丸々1本見たときの、「なにこれ!?」みたいな気持ち、それ以上いらんやんっていう感覚はあって。ライターさんにこういう話をぶつけるのもちょっと、変な話かもしれないですけど(笑)。
──いや、すごくわかりますよ。
金城:音楽で言えば、楽器の上手い下手も、もっといろんな種類の上手い下手があっていいと思うんですよ。ショート動画にめっちゃ合ってるから上手」だとか「かっこいい」とか、そんなことよりも、バーンッと弾いて「最高!かっこいい!」だからギターが上手い、歌が上手い、で良いですよね。そういう、ロジカル・テクニカルなところで評価される世の中に対するアンチテーゼも、このアルバムには入ってます。
──これだけ様々なタイプの曲が入っていて、アルバムを通して聴くと理屈じゃなくてただただおもしろく聴けるというところにメッセージがある?
金城:それをこれだけ言語化できるようになったのも、そういうアルバムを目指して作ってる佳境で、宮崎駿監督の『君たちはどう生きるか』を観に行ったときに、「これこれ!」って心のなかで思ったからなんですよ。村上隆さんがXで、「作品を作った人の脳内を旅できるツールが作品だ」っていうふうに書いていて、まさにそうだなって。宮崎駿監督ほどのぶっ飛んだ作品を作る人間の脳みそのなかにダイブするツールとして映画があるみたいな。美しいでも、かっこいいでも、気持ち悪いでもないし、言葉という文化を超えてるというか、言い表せない感想をロジカルに解説したところで無粋だなと思って。作品を見た意見をお互いにぶつけ合って、お酒を飲んで楽しむっていうのはめちゃくちゃ賛成ですし、そういう場を設けられる作品を作れたらいいな、とは常に思ってます。
GIMA:僕も、なにか一瞬でも共感して感動し合える瞬間を目指してやっているので、別に答えとか意味とかってあんまり求めてないですね。ライヴの瞬間には、なにか内から滲み出てくる感情のぶつけ合いみたいなものがめっちゃ詰まっていて。そこでみんなで手を挙げることが正解でもないと思ってるし、ライヴハウスの隅っこでずっとぼんやり見つめてる人の心の内側までライヴハウスは目に見えて空間を共有できるので。そういうやり取りのし合いみたいなところは、いまだに感動し続けてます。
金城:そう言いながら、毎週『ONE PIECE』を読んで、「こうなるんちゃうか?」とか言ってるもんな、俺ら(笑)。
──『M-1グランプリ』を観てもなんだかんだ言いながら結局考察していたり(笑)。
GIMA:今回の『M-1』を見返したんですけど、僕はさや香の最後のネタ「見せ算」がドキドキしていちばん胸に残ってますね。おもしろい、おもしろくないとかじゃなくて、あのタイミングで、こんなにどぎつい自分らの思想バリバリのやつをやるんや!?っていうところに、ただ感動したので。
金城:「この人たちわかるわ~、やりたいんやろうなあ」って。でも僕はほんま、はじまって1分ぐらいしたところで「ああっ!」ってなって、「それ我慢して優勝してくれ!」って思ってましたけどね(笑)。
