自分のドキュメンタリーを音楽で表現する──新作『はためき』に込めたodolの祈り

odolが日本語で歌う理由は、嘘なく表現したいから。結成当時から母国語での表現を選択したのは、単に「日本人だから」というわけではなく、言葉の意味が最もそのまま伝わるはずだという純粋な想いがあってのことだ。6月9日にリリースされたodolのアルバム『はためき』は、表現に対するまっすぐな姿勢と物事や自身の思考に対する探究心が色濃く現れた新作だ。偽りのないリリックと立体感あるサウンドで構成された本作に揺られていると、こんな情勢でも、平凡な今日とちょっと先の未来が不思議と愛しく思える。そんな全9曲が収録されている新作『はためき』がリリースされた。
INTERVIEW : odol

odolの前作『往来するもの』は、このバンドのポテンシャル、センスの良さ、真摯さが美しく繊細な音に込められた佳作だった。そして2年8ヶ月ぶりの新作『はためき』は、大きく高まった期待値を軽々と超える傑作に仕上がっている。派手な仕掛けや過剰な演出やはったりじみたダイナミズムとは無縁だが、誠実に、丁寧に作られた言葉と音は、2021年という時代の核心を打つ。本作の全9曲中8曲は、サブスクリプション・サービスで既に発表済である。だが単にプレイリスト上で曲順通りに並べて聴くのとは、明らかに違う景色と感動がある。いかにして彼らはこの2年8ヶ月をアルバムという形に凝縮していったのか。すべての歌詞を書くミゾベリョウ(Vo/Gt)と、すべての曲を書く森山公稀(P/Synth)に訊く。
インタヴュー・文:小野島 大
写真:西村 満
自分がいちばん好きなのは作品を作っていくこと
──2年8ヶ月ぶりのアルバムですが、その間も音源はコンスタントにリリースされてましたね。実際アルバムの9曲中7曲は、去年までに発表済の曲です。録音時期も違うし、タイアップの曲も多い。さまざまな時期のさまざまなシチュエーションで作られた曲が混在しているわけですが、アルバムとしてまとめる時に考えたことはなんでしょう。
森山 (P/Synth) : 無理にまとめたくはないなと思ってたんですね。2年8ヶ月、ずっとこのアルバムに向かってやってきたわけでもない。その時どきで音楽を作ってきたし、そもそもそれをアルバムとしてまとめる必要があるかどうかも結構迷ってたんです。それでもメンバーやスタッフとずっと話していく中で、振り返った時に、1本の大きな流れのなかで曲を作ってきたのが見えてきた。それでナチュラルにまとめられるなと思いました。
──その「流れ」ってなんですか。
森山 : 人と人との関係とか、社会のこと、コミュニティのこと、もしくはコミュニケーションのこと、みたいな、いわば人間と人間のことについて、ずっと考えていた2年8ヶ月だったし、そういう曲を集めたとも言えるんです。そこに気づけた時に、ちゃんとひとつのタイトルを冠して、アルバムとしてまとめられるなと思いました。ちょうど「コロナの1年間」を経ての話だったので、そこにどうしてもフォーカスはいくし、バンドという形で活動する上でも、どうしても人との距離は意識せざるをえない。現実に集まれなくなってたりライヴができなくなったりしたんですけど、それってコロナ以前から、ひとりひとりのことを思って音楽を作ってきたことと繋がってると思えた、という感じです。
──現実にコロナによるバンド活動への影響はかなりありましたか。
森山 : odolとしては、影響は少ない方ではあると思います。そもそもライヴが多いバンドではなかったし、コロナ以前からデータのやりとりでリモートでの制作に前向きに取り組んでいたので。正直、打撃と言われるほどの影響はなかったですね。
──そもそも楽曲制作やレコーディングはどんな形で行うことが多いんですか。
森山 : まず僕がDAWで一通りアレンジまで作った状態のものをそれぞれのメンバーに送って。そこでやりとりしながらブラッシュアップして、レコーディングになると僕とエンジニアの方がスタジオで待機して、メンバーが順々に来て録音していって、最後に歌を入れる。なのでバンドで一斉に集まることってほとんどなくて。
──最近は曲を作る人が音を全部作って、メンバーが演奏するのはライヴだけ、というバンドも多いようですね。
森山 : それはヒシヒシと感じてます(笑)。周りの流れというか時代の流れを。でも僕自身はすごくバンドが好きなので、ソロ・プロジェクトみたいなものにはしたくない。曲を作る時も、たとえばドラム・アレンジだと、ドラマーが好きなフレーズや、音色を僕の中でイメージしながらのアレンジになる。そのメンバーがいることでしか生まれないものを作っているという自覚はあります。歌だとわかりやすいですけど、ヴォーカリストの音域が決まってるんで、そのなかで作るわけです。そのへんはおもしろみを感じてやってます。
──ドラムを叩かない人がドラム・パターンを作ると、実際にプレイすると叩けない、と言われることも。
森山 : ありますね(笑)。そこは気をつけてます。手が足りない、みたいなことにならないように。でもそのやりとりがあることでDAW上でのアイデアが身体性が伴ったフレーズにもなるし、そこで生まれる齟齬や違和感みたいなものが、バンドの特色になることもあると思います。

──制作体制に関しては大きな変化はなかったということですが、世の中の風潮とか空気に関しては、やはり異様な1年でしたよね。そうした空気感はどう影響しましたか。
ミゾベ(Vo/Gt) : 僕は、あえて曲のなかに意識的に落とし込む、ということはしてないですけど、もちろん日常を生きてる中でリアルなものを作ってるので、影響は受けてると思うんです。たとえば音楽活動を「ライヴ」と「曲を作ること」のふたつに分けるとすると、それまでは割と繋がってたんです。ライヴでやることを想定して曲を作ることが多かった。でもそうじゃなくなった時に思ったことは、もちろんライヴをするのも好きだけど、自分がいちばん好きなのは作品を作っていくことなのかなと。ライヴを1年に1回しかやらなかったなんてそれまでなかったですけど、それでも全然生きていけるなっていう感じがして。
──なるほど。極端な言い方になりますが、今作の9曲すべて、同じことを歌ってるような気がしたんです。
ミゾベ : うん、うん。
──さきほど森山さんが「人と人との関係性に関しての曲を作ってきた」とおっしゃってましたが、たぶんミゾベさんが2年8ヶ月の間に感じていたこと、感性や感情や生活や経験が、このアルバムにすべて集約されているんだろうと思いました。
ミゾベ : うん、このアルバムもそうだし前のアルバムもそうですけど、芯の部分は同じなのかなと思います。こうやって話させてもらって改めて気付くことなんですけど。架空の物語を作りたいわけじゃなくて、常に普段の日常のリアルというかドキュメンタリーを書いてるんで。オチがあるような歌詞とか、演出がすごい歌詞とか、そういうのもおもしろいと思いますけど、自分が音楽で表現したいのはそうじゃない。聴いてくれた人ひとりひとりに見えてる景色が違うような、そんな歌詞を書きたいと思ってるんで、同じ景色をみんなで見てそれを共有してるのが気持ちいい、というものじゃない。それぞれが思い描いたそれぞれの景色があることが温かい、みたいなものを書きたい。一貫してるのはその部分ですね。それを描くために自分のドキュメンタリーを提示する。2017年に『視線』というEPを出してから、意識的にそういう形になりました。それまではただ音楽が好きなだけで、歌詞に関しても、何を見せたいとか考えてなくて、ただ音にハマる気持ちいい言葉を乗せてるだけ、という。その時ちょうど大学を卒業するぐらいのタイミングで、それでも音楽を続けたいか自分に問いかけた時に、それまでなにも考えてなかったことに気付いて、音楽をやる意味を突き詰めたら歌詞を書けなくなってしまったんです。それまでは歌うために歌詞を作ってたんですけど、ただ歌うための歌詞だったら必要ないって思った時に、自分に出せるものがなにもないって気付いてしまって。それで1年ぐらい試行錯誤して出てきたのが、自分の中で思っているドキュメンタリーであれば、ある意味なんでもいいんじゃないかと思えて。それからいまのように開いてきたって感じですかね。
──歌うべきことがはっきりしてきたということでしょうか。
ミゾベ : 「歌うべきこと」という感覚はないし、「人に伝えるべきこと」とも思ってなくて……「僕が歌うことに意味があること」で、かつ僕自身が体験したことだけ、というか。
──まさに今作の歌詞はそういう印象です。
ミゾベ : タイアップの曲も、9曲中5曲なんですけど、タイアップのために物語を書いたのではなくて、自分をタイアップに拡張してもらって、その範囲を広げて書けるようになった、という感じがします。すごい幸運なことでもあると思うんですけど。たとえば「歩む日々に」は、森永乳業のタイアップなんですけど、森永の商品を通してお客さんの人生に寄り添いたいというコンセプトがあって、そこに当てて書いたんです。そのコンセプトと、いままで自分が音楽で表現したいと思っていた、「それぞれがそれぞれの景色を思い描いてほしい」とか「音楽が日常に寄り添う」というようなことは、全く通じていると思ったんですね。なので書くことができました。
──それぞれがそれぞれの景色を思い描いて欲しい、みんなに同じ景色を共有して欲しくない、ということですが、いろんな人に聴いてもらうことは等しく共有されることではないんでしょうか。たとえば日本の場合ヒットする曲って歌詞が共感を集めるパターンが多いと思うんですよ。
ミゾベ : ああ、なるほど。もっと深いところまで言うと、聴いてくれる人が受動的というよりは能動的になって欲しいというのはあって。もっと想像して欲しい。僕らも想像させる余地を残して作りたい。ただ受動的に同じ感想を持たれるのは怖いことで、それぞれに想像するっていうアクションを挟んで欲しいので。そのやり方は人それぞれだと思うので、全く同じものが共有されている、という状況ではないと思うんです。
──たとえばライヴで満員のお客さんが同じ歌詞を大合唱して同じように盛り上がっている、という状況はどうですか。
ミゾベ : その状況にもよります。でもどっちも良さはわかってるんで、どっちかを排除したいわけじゃない。大合唱もいいとは思うんです。でもいちばん目指しているのはそこではない、という。
──目指しているのはアンセムを作ることではない。
ミゾベ : 僕はそうです。てかアンセムなんてあるのかなっていう。作るなら、みんなが能動的になるようなアンセムを作りたい。