Turnstile 『Never Enough』
スリープ・トークンが全米1位を獲得したのも事件だったが、ターンスタイルのようなハードコア・バンドの新作が全米トップ10入りを果たしたのも、同様に時代のうねりを感じさせた。もちろん彼らがこれほどの支持を集めるようになったのは、前作『Glow On』のインパクトがあってこそだ。陶酔的なシンセ、ジャングリーなギター、ゴー・ゴー・ビートなどを飲み込みながら、ハードコアの可能性を押し広げた同作は、チャーリー・XCXからメタリカまでも魅了した。
そして彼らの冒険は、『Never Enough』でさらに推し進められている。ニューウェイヴ・ポップ、ラテン・フレーヴァー、ポップ・パンクとアンビエントの融合、あるいはパワー・ポップと、まるで次々と衣装を着替えるように楽曲ごとのジャンルが変化する。そしてアグレッシヴなギター・リフには、彼らの出自たるハードコアの遺伝子が刻まれているのは言うまでもない。
もっとも、前作にはアルバム全体を貫く一体感があったが、今作では一曲ごとの実験性が際立ち、どこへ向かおうとしているのか、見失いそうになる瞬間もある。ただ、それでも彼らは歩みを止めることなく、次なる衝動へと身を委ねていくに違いない。「Never Enough=決して満たされることはない、何をしても足りない」という焦燥こそが、彼らの原動力であるのだから。
Black Country, New Road 『Forever Howlong』
アイザック・ウッドの脱退後、初のスタジオ・アルバムとなる今作には、残された6人のメンバーが互いの絆を確かめ合いながら、手探りで、しかし着実に前進する姿が刻まれている。バロック・ポップ的な音楽性は二作目『Ants From Up There』の延長線上。ただ、あの張り詰めた緊張感は今作では影をひそめ、代わりに穏やかで牧歌的なムードが広がっている。特筆すべきは、3人の女性メンバーによってソングライティングとヴォーカルが分担されている点だ。ウッド時代の中央集権的な体制から一転して、より民主的で平等な構造へと移行したこの新たな体制は、彼らの音楽だけでなく、バンドとしての在り方そのものを象徴している。1曲ごとに異なる声が立ち上がる構成は、ひとりのカリスマを失ったバンドが、支え合いながら多層的なアイデンティティを編み直そうとする過程そのものに他ならない。
『Live At Bush Hall』でソングライティングとヴォーカルを担っていたルイス・エヴァンスは、今作では演奏に専念し、代わってジョージア・エラリーが前面に立つ場面が増えた。このように、現在のBC,NRにはまだ流動性が残されている。それぞれのソングライティングにも、さらなる発展の余地があるだろう。つまり、いまの彼らを完成形と呼ぶのは尚早。三作目にして再出発を果たしたBC,NRは、いまだ助走の最中にある——ただ、その足取りは軽やかで力強い。
Mark Ronson, RAYE 「Suzanne」
やはりオーセンティックなソウルやファンクにさりげなくモダンな意匠をほどこすセンスにおいて、マーク・ロンソンの右に出る者はいない。いまのイギリスで随一のシンガーであるレイとのコラボによる新曲は、ひさしぶりにそんな気持ちにさせてくれる仕上がりだ。トランペットやトロンボーンが彩る、メロウでスムースなソウル・サウンドは、吹き抜ける初夏の風の如く爽やかで心地よい。レイは感情を過度に押し出すことなく、淡々と、だが確かな表現力で旋律に表情を与えている。否が応でもエイミー・ワインハウスとロンソンというゼロ年代のゴールデン・コンビを思い起こさせるが、それはこの曲に対する最大限の賛辞だ。この曲は高級時計ブランド、オーデマ・ピゲの創業150周年を記念したもので、歌詞は創業家の祖先であるスザンヌ・オーデマへのトリビュート。彼らは映画『F1』のサントラでもう一曲コラボを披露しているが、これだけ相性がいいのであればアルバム単位での共演にも期待したくなる。