2025/07/11 19:00

高橋健太郎x山本浩司 対談連載

『音の良いロック名盤はコレだ!』 : 第12回

お題 : ボブ・ディラン『Blood On The Tracks』(1975年リリース)

オーディオ評論家、山本浩司と、音楽評論家でサウンド・エンジニア、そしてOTOTOYプロデューサーでもある高橋健太郎の対談連載。本連載では、音楽、そしてオーディオ機器にもディープに精通するふたりが、ハイレゾ(一部ロスレス)音源と最新オーディオ環境を通して、改めて“音の良さ”をキーワードにロックの名盤を掘り下げてみようという連載です。毎回ロックの名盤のなかから「音の良さ」で作品を選び、解説、さらにはそのアーティストの他の作品、レコーディングされたスタジオや制作したプロデューサー / エンジニア、参加ミュージシャンなどの関連作品など、1枚の「音の良い」名盤アルバムを媒介にさまざまな作品を紹介していきます。

第12回の名盤はボブ・ディラン 『Blood On The Tracks』、1975年にリリースされ、国内では『血の轍』の邦題でも知られる作品です。そしてオーディオ機器の方はTEACのReference500シリーズからUSB DAC / プリアンプ / ヘッドホンアンプのUD-507をフィーチャー。最新のデジタル・オーディオ機器で聴く、珠玉の名盤をお楽しみください。

本連載12枚目の音の良い“名盤

オーディオ文脈であえて評価するディランの名盤

本記事でフィーチャーされている楽曲のプレイリストはコチラ、ぜひ聴きながらお読みください

高橋:また少し時間が開いてしまいましたが、次はボブ・ディランをやろうというのは、山本さんと前から話していました。今年は映画『名もなき者』の日本公開もあったので。

山本:面白い映画でしたね。1961年から65年にかけてのディランを描いた映画でしたが。

高橋:主演のティモシー・シャラメが無理なくディランを演じていて、彼の歌や演奏も素晴らしかった。

山本:僕はサウンドトラックも愛聴しています。

高橋:映画は音響的にも素晴らしかったですね。そんなこともあって、次はディランをやろうということになったんですが、ただ、前回のローリング・ストーンズもそうでしたが、ディランの音楽もあまりオーディオ的なことは語られない。ディランの音楽をオーディオ的に聴く人がどれだけいるだろう?という話にもなって。それでディランのアルバムで音が良いのはどれでしょう?と山本さんに振ったら、最初に名が上がったのが『ブラッド・オン・ザ・トラックス』でした。

山本:はい。1975年発表のアルバムだから、あの映画で描かれたディランよりさらに10年後ですね。音が良いと言ったら、間違いなく、このへんだと思いますね。

高橋:僕は実は『ブラッド・オン・ザ・トラックス』は日本盤のLPを買って持ってはいましたが、実はそんなに聴いていなかった。今回、じっくり聴いて、なるほどと思いました。僕はその前作の『プラネット・ウェイヴズ』(1974年)の方がよく聴いたんですよ。ザ・バンドとレコーディングしたアルバムで、このサウンドには痺れた。僕が最初に買ったディランのアルバムでした。

山本:そうですか。健太郎さんは60年代のディランはそんなに通ってないんですか?

高橋:僕がロックに興味を持ち始めた1970年前後って、ディランはオートバイ事故で隠遁生活していて、聴こえてくる曲もあまりロックな感じじゃなかったので、それほど興味を持たなかったんです。

山本:僕は中学時代に日本のフォーク・ブームがあって、吉田拓郎とかね、何かというとボブ・ディランの話が出てくる。それでセカンド・アルバムを買ったんですけど、あんまりよくわからなくて、中学生ですからね、「やっぱりビートルズの方が楽器がいっぱい入っていていいな(笑)」みたいな。でも、1974年にボブ・ディランがザ・バンドと全米ツアーして、『偉大なる復活』(原題 : 『Before the Flood 』)というライヴ・アルバムを作った。それが僕にとってのボブ・ディラン最大のショックで。物凄いロックンロールだったじゃないですか。それを聴いてから、このへんをちゃんと聴こうと思ったんですよ。それで翌年にはザ・バンドの『南十字星』(原題 : 『Northern Lights – Southern Cross』が出て、いやもうザ・バンド最高、ボブ・ディラン最高みたいに。

高橋:なるほど。僕はザ・バンドから先に入って、ディランは上の世代の人が凄い凄いと言ってるんだけれど、何か上手く焦点が合わなかった。『プラネット・ウェイヴズ』で初めて後追いじゃなく、リアルタイムでアルバム聴いて、ザ・バンドのサウンド込みで好きになった感じですね。今回のプレイリストの最初に入れた「Going Going Gone」が大ショッックだった。この曲のロビー・ロバートソンのギターが。

山本:ロビー、弾きまくってますよね。

高橋:ロビーはこの頃からストラトキャスターを使い始めて、痙攣するようなアーミングのギターが、ディランの声にも凄く合っていて。

山本:このアルバムはロサンゼルスの〈ヴィレッジ・レコーダー〉で録ってますね。ロブ・フラボーニがエンジニアリングとプロデュースでクレジットされている。

高橋:ロブ・フラボーニって1951年生まれなので、この時まだ23歳くらいなんですよ。その後、〈シャングリラ〉ってスタジオをマリブに作って、ザ・バンドの『南十字星』も手掛けますが。

山本:そうか、若いですね。

高橋:彼はロスンジェルス育ちで、子供時代から〈ゴールドスター・スタジオ〉にもぐりこんで、フィル・スペクターのセッションを見てたりした。その後、ニューヨークの〈レコード・プラント〉でエンジニア修行して、1972年にロスアンジェルスに戻ってきている。『プラネット・ウェイヴズ』の録音は〈ヴィレッジ・レコーダー〉でスタジオ・ライヴ形式で録るということで、フラボーニが綿密に計画して進めたようです。

山本:あ、そうか、コレ一発録りに近いんですね。

高橋:バンドの演奏はほとんど一発録りだと思います。「Going Going Gone」なんかはザ・バンドのメンバーも歌ってますが、このへんも一発録りでやってるんじゃないかな。ディランとバック・バンドみたいな演奏じゃなくて、全体でバンドっぽいですよね。

山本:なるほど。これが1974年で、フラボーニは続いて『偉大なる復活』でもエンジニアを務めるんですね。プレイリストにはさらにフラボーニのこの頃の仕事として、ハース・マルチネスの『ハース・フロム・アース』とザ・バンドの『南十字星』から1曲ずつ。このへんはどれもとんでもないレコードですね。1975年のハース・マルチネスのアルバムはロビー・ロバートソンのプロデュース。これも〈ヴィレッジ・レコーダー〉録音ですか?

高橋:〈ヴィレッジ・レコーダー〉と〈シャングリラ〉の両方ですね。この頃にフラボーニは〈シャングリラ〉を作っていたんだと思います。でも、ハースのアルバムは大編成のストリングスなども入っているから、そういう録音は〈ヴィレッジ・レコーダー〉でしょう。

山本:凄い予算をかけたアルバムですよね。

高橋:でも、全然売れなかった。アメリカでは「ハース・スマルチネスって誰?」状態。いまだにウィキペディアにも項目がないんですよ。

山本:彼は1960年代からのキャリアを持つメキシコ系のミュージシャンだったんですよね。

高橋:そう。でも、兵役でミュージシャン活動を停止した時期があって、そんな彼をボブ・ディランが発見したんですよね。「ノーマンズ・レア・ギターズ」という有名なギターショップで偶然会って、ハースがディランにデモ・テープを渡したんです。それを聴いたディランがすぐにロビー・ロバートソンにも聴かせて、ロビーがプロデュースすることになった。でも、ワーナーはハースの経歴を完全に隠して売り出したんです。バイオグラフィーはデタラメで、事故で片足を失ったことになっていた。

山本:このハース・マルチネスの曲はベースがめちゃくちゃカッコイイ。

高橋:チャック・レイニーです。ハースのアルバムはソウルやブラジル音楽の要素もあって、すごく洗練されたサウンドですよね。ロブ・フラボーニは土臭いロックも得意だけれど、一方で洗練された感覚も持っている。この時期だとウェイン・ショーターがミルトン・ナシメントと作った『ネイティヴ・ダンサー』なんかもやってます。

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