Haim 『I Quit』
「やりたいことはなんだってやる、(略)どんな自分にだってなれる」。一曲目の「Gone」で静かな決意と共に歌われるこの一節は、今作の姿勢を明確に体現している。『I Quit』は、あらゆる束縛から自分を解き放ち、変わろうとすること、前に進もうとすることを祝福するアルバムだ。もちろん、このテーマの背景にあるのは、公私ともに長年のパートナーだったダニエルとプロデューサーのアリエル・レヒトシェイドとの別離。実際に多くの曲で、別れに至るまでの苦悩や葛藤が生々しく歌われている。それゆえに、全体的なムードはダークで気だるい。だが最終的にそうした痛みを乗り越え、軽やかな解放感をまとった「Relationships」や「Get Me Back」のような境地に辿り着いているからこそ、今作は強いカタルシスも感じさせる。アルバム前半は硬質で乾いたロック・サウンドが中心。後半に進むにつれて90年代初頭のマッドチェスター的なダンス・ビートも登場するが、それも「やりたいことはなんだってやる」という今作の姿勢の表れに他ならない。そして『I Quit』というタイトルは、アルバムを通して繰り返し浮かび上がる“別れ”や“再出発”のモチーフを凝縮したフレーズとして、聴き終わった後に強い余韻を残すだろう。
Pulp 『More』
実に24年ぶりとなる復活作で、ジャーヴィス・コッカーはこのように歌う。「僕は年老いているんじゃない、ただ熟しているだけ」(「Grown Ups」)。その言葉に嘘がないのは、今作のサウンドからも感じ取れる。ゲンズブールと80年代シンセ・ポップとディスコが入り乱れた音楽性は、まさしくパルプ。ただし、『Different Class』までの彼らを特徴づけていたキッチュなシンセは大きく後退。かといって、『This Is Hardcore』以降の過剰な重苦しさもない。61歳のコッカーとその仲間たちが肩肘張らずに現在の姿を刻んだような、円熟したサウンドが鳴らされている。
そしてもちろん、あの歌詞――恋愛と性欲の問題をどこまでも生々しく、滑稽さすら交えて描くコッカー節は健在だ。しかし今回はそれだけではない。過去への後悔や長年ともに過ごしたパートナーとの関係性の変化など、年齢を重ねたからこその視点も加わっている。かつて彼はこう問いかけていた。「初めてのときのことを覚えているかい?」(「Do You Remember The First Time?」)。だが今や彼は、「初めてのときのことなんて覚えてないし、最後のときのことだって思い出せない」(「Background Noise」)と囁くのだ。
パルプとコッカーの美学は変わらない。そのうえで、24年という時の流れを真正面から受け止め、作品へと昇華させている。それはまさに「年老いているのではなく、熟している」と呼ぶにふさわしい。
Sleep Token 『Even in Arcadia』
ゴースト、そしてこのスリープ・トークンと、新世代のメタル・バンドが全米アルバム・チャートで立て続けに1位を獲得したのは、2025年上半期における事件のひとつだった。だが、なぜいまメタルがセンセーションを巻き起こしているのか? その答えは今作を聴くとよくわかる。端的に言えば、これはポスト・ジャンル以降のメタル・アルバム。ここにはラップ/トラップもあれば、レゲトン、ヨット・ロック、さらには『Kid A』期のレディオヘッドまである。ボン・イヴェールやサム・スミスと比較されるメロウで内省的なヴォーカルも、メタル・バンドでは異質だろう。ジェントと呼ばれるプログレッシヴ・メタルの一形態も随所に顔を出すものの、それはあくまで曲に緩急をつけるためのパーツのひとつであり、全体がメタル一色に染まることはない。そのバランス感覚は秀逸だ。ここ10数年のメインストリームにおける流行を周到に押さえたゴッタ煮サウンドは、いわゆるメタルを聴いているという印象が薄く、現行のポップに慣れた耳には呆気に取られるほど聴きやすい。彼らのファンは非メタル層が多いというのも納得できる。メタル純粋主義者からは「こんなのはメタルじゃない!」という声も多く上がっているという。しかし裏を返せば、だからこそ彼らは時代の覇者足りえたのだろう。