穴の中に落ちた、スポットが当たらない人がいるんですよ
――ある種逆転の発想ということにもなり得ると思うのですが、今回の作品のタイトル『PARADOXON DOLORIS』というのも〈悲しみのパラドックス〉と直訳できますけれども、こちらの構想はどういったところから固められたのでしょうか?
眞呼:浮かんだのは、制作の途中ですね。歌詞も書いてメロも作ってっていうときに「そろそろ締め切りです」と(笑)。でも、これが一番に出てきたんです。他にも候補はあったんですけど、玲央さんから「こっちの方がいい」と。
玲央:僕、字面も気にするので「これ、絶対いいと思います!意味も含めてこっち」と。
――今作は完全新作ということで、眞呼さんが発している言葉も限りなくリアルタイムなものだと思うんです。そこでこの機会にお伺いしたかったことがありまして、これまでも人間の内面や社会に向けた見解を作品にされてきたと思うのですが、まさに現代の人や社会を見てどんなことを感じられているのか、伺えますでしょうか?
眞呼:……かつて戦争が起きて、終戦したわけですよね。まあ、(日本は)良くしようと思って抵抗したものの、負けたわけですけど。よく、「そんなことを考えなくてもいい国になったね」って言うし、みんな思っていると思うんです。でも僕、余計に酷くなっていると思っていて。戦時中、戦後の混乱の時期よりも、僕は今の方が酷いと思う。日本は、というよりも世界もかな。
――酷くしてしまったのは人、もしくは時代や社会的変化のどちらだと感じますか?
眞呼:例えば、お金があることによって〈仕方がない〉が多いんですよ。そういった鎖が人を非情にさせているというか、〈しょうがない〉ってみんながみんな同じレベルで〈前へ倣え〉している感じがする。それは僕自身もそうなっているとは思いますけどね。お金をもらって生活するっていうことの中には、家族や守るべきものがあればそれを守らなければいけないというのは当然あるとは思うんだけど、根本的に寂しい世の中というか、楽園ではないというか。成功者しか、まともに生活できない世の中ではあるじゃないですか。
――はい。
眞呼:みんな、成功者を見て「よかったね」って。反対に「みんなも頑張ればできるよ」って、成功者からすればそうやって言えますよ。でも、いるんですよ、穴の中に落ちた人って。そこにスポットが当たってないというか、当てる気もない。それも〈仕方ないでしょ〉っていう風になっていることが、なんか気持ち悪いなと。
――スポットが当たる人とそうでない人の差は大きくなったとは感じます。光の方が見えやすい現代だからこそ、そこに前へ倣えしたくなるというのも。
眞呼:まさにコンプライアンスっていうけど、それも上っ面だけなんですよ。結局、何も変わってない。
玲央:むしろ、「誰のためのコンプラなの?」って思うときないですか? 「悲しむ人がいるから」って言うけど、「え、どこに?」って。
――そうですね。何を守っているんだろう?っていうこと、ありますね。
眞呼:綺麗に見せようとしているだけで、問題は解決してないんですよね。
――まさしくコンプライアンスの話ではないですけれど、率直に〈メジャー〉というフィールドでkeinはどうアプローチするのか?という部分にも興味があったんです。その点に関して考えたことはありましたか?
玲央:これは昨年のフルアルバムのときもそうだったんですけど、アプローチとして考えたことは、keinをそのままパッケージすること。今回の作品に関しても、音楽業界的にも歌詞の中身としても、皆さんがヒヤッとするような表現も大いにあると思うんです。でもこれが実際にメジャー流通するわけで。メジャーって皆さんが思っているほど縛りのある場所ではないんですよ。「keinがメジャーデビューしたら、大衆化した当たり障りのない音楽になるんじゃないか?」と思っている方もいるかもしれないですけど絶対にそんなことはないし、メジャーシーンに対してバンドを捻じ曲げる悪い場所だっていう偏見はやめてほしい。より良い自分たちの作品を作りたい、より多くの人に聴いてもらいたい、じゃあメジャーへ行った方がいいよねって、ただそれだけなんです。
――lynch.でも13年近くメジャーシーンを経験されている玲央さんだからこそ、説得力があります。
玲央:単純に関わる人が多いという点でも、人と人が一緒に何かを作るときは必ずエネルギーが生まれますし、より多くの人に伝えていただくプロフェッショナルがいるわけなので。そういうことをもうちょっとみんなが意識していけたらもっとこのシーンも活発になっていくんじゃないかなっていう期待も込めて、この業界でも歪な存在であるkeinがメジャーに行く意義があるんじゃないかな、なんて勝手に思っているんですけどね。