中川敬はどこからやってきたのかという自分史の振り返り
──曲作りにおいて、コロナの影響をあげるとしたら?
16歳の時にギタリストとしてバンドを始めて、19歳のときに、「自分が歌うバンド」としてニューエスト・モデルを立ち上げて、そこから40年、ひたすら喧騒に囲まれて、もしかしたら色々なことを誤魔化しながら突き進んできたみたいなところがあって。それがコロナ禍になって、なにもない真空の空間に放り出されたみたいな感じがあってね。物理的に自分を振り返る時間が増えたから、転勤族の息子やった幼少期の自分の体験のディティールが脳裏に蘇ったり。で、いろいろ振り返ってみると、常に「転校生」の子どもの頃はなかなか友達も作れない、それこそ、11、12歳のころから日本の鎖国的ムラ社会、日本的集団主義を敵視しはじめる、みたいな、多感な頃の自分がいる。いじめ的シチューエーションで、「やられた側」にも「やった側」にもなった自分。でも、そういう嫌な思い出も、ある種「答え合わせ」をしてるようなところがあって、ああ、こうやって「よそ者・中川敬」が出来上がっていったんやな、みたいな。そんな内観めいた日々から、いま、もっと過酷な状況で「よそ者」として扱われている人たちに、また違った目線で目が向くようにもなってゆく。ことの軽重には大きな差があるけれど、たとえば戦争難民やホームレスだったり、いわば、晒されて見られる側の人たち、差別され偏見を持たれ排除される側の人たちの見えかたが、この3年でより立体的に感じるようになった。そういうなかで曲作りをしてた。
──ロシアがウクライナに対して戦争を起こしました。今作のタイトルである“メロディヤ”というのも…。
ウクライナ語。キーウから西へ、ポーランドのほうへ抜けていく、お母さんと子供だけの避難列車がまずあった。で、もちろん、自分の人生の旅としての「夜汽車」っていうのもあるし。移動の諸々のイメージを客車に見立てて、夜汽車にどんどん連結させていく感じやね。各々の人生が孕んだ無数の旋律(メロディヤ)が、夜汽車を貫通してゆく。これは、ある種の「絶唱」でもあるし、ちょっとした「呟き」でもある。
──ロシアの侵略に対して、このアルバムのなかで特に表現しようとしたことはありますか?
“栄光は少年を知らない”(M4)は、実はコンゴやスーダンの少年兵や沖縄戦の鉄血勤皇隊のことを元に書きはじめた曲なんやけど、書いてる真最中にロシアによるウクライナ侵略戦争が始まった。まさに2022年2月24日にこの曲のギターを録り始めてるんよね。それと“荒れ狂う波ごしの唄”(M5)は戦争難民のことを歌っていて、6年前の前作(2017年『豊穣なる闇のバラッド』)に収録されている、ヨーロッパの難民の道行きを歌った“バルカンルートの星屑”の続編的な曲。過酷な移動と、新天地の希望、願いを歌ってる。

──この曲は最後にお子さんの声が入っていますよね。
下のパートを歌ってるのが長男16歳で、オクターブ上を歌ってるのが次男9歳。次世代の日本が、「Refugees Welcome」「難民歓迎」と言える世の中になっていて欲しい、という願いを、音楽の中に具体的に入れたいなと思って。この16小節だけは「次世代」のふたりに歌ってもらおう、という。
──今回のアルバムでは、ご自身の“子供たち”も意識されたんでしょうか。
中川敬はどこからやってきたのかという自分史の振り返りが、コロナ禍での自分の子供の成長と見事にオーバーラップしてね。“イチヌケタの声が聞こえる”(M2)の主人公は俺ではなく、たとえばいまの10代の背中を押すような要素が大きいけど、歌詞のそこかしこに俺の体験が出てくる作りになってる。ビートルズやストーンズ、山口百恵やチューリップを聴いて一緒に鼻歌を歌ってるときは、えもいわれぬ、何か明るい気持ちになる、音楽が大好きな孤独な少年が、バンドをはじめて、そのころに忌み嫌ったムラ社会的な諸々を全部無視して、「俺はもう、イチ抜けた!」という、俺特有の「通過儀礼」が歌い込まれている。
──なるほど。“半端な月のブルース”(M9)や“不屈のワイルド・チャイルド”(M7)も、中川さんの幼少期から青年期にかけてをイメージしながら作った歌でしょうか。
“半端な月のブルース”はいちばんやさぐれてたときの俺が入ってるね(笑)。10代後半から20代前半くらいの「イチ抜けた」の次の段階。メジャーセブンになるサビの部分は、小学校4年の4月に奈良から大津に、トラックの荷台に乗って引っ越ししたときの、ガタガタの未舗装の道中で、車酔いして吐きまくった時の景色をふと思い出してね。その時期のことを、20代前後ぐらいの荒んだロック・ミュージシャンが思い出しているという、ややこしい構造になってる(笑)。ただ実際、曲のなかには多くの主人公がいて、俺の物語でもありつつ、俺の物語じゃないところもある。“不屈のワイルド・チャイルド”は『ハビタブル・ゾーン』を出してすぐに書いた曲で、『ハビタブル・ゾーン』にもあったようなホーランド=ドジャー=ホーランドやスモーキー・ロビンソンのようなノーザン・ソウル的なテイストが残ってて、俺の「ポップス原風景」が旋律やコード進行に現れてる。歌詞は、子供のころの自分と、世界中で大変な思いをしている苦難の真っ只なかにいる子供たちとで、一緒に遊んでいるようなイメージで書いた。