
関西を中心に活動し、MINAMI WHEELに3年連続出演するなど注目を集めているKAMAMOTOMIKA。ヴォーカル&ピアノのトミカが創り出す詩の世界の軸は、人間なら誰もが抱える陰と陽。そこに日常と非日常を縫い合わせ、ひとつの物語を仕立て上げる。そして変幻自在、斬新なアレンジをほどこすバンド・サウンドとひとつになり、ステージを所狭しと暴れ回るパフォーマンスで次々とファンを増やしている。
そんな彼らが2013年10月、ついにデヴュー・アルバム『iii』をリリース!! なんとOTOTOYでは1週間先行配信&1週間全曲フル視聴を開始します。名刺代わりのキラーチューン「マジックミラー」をはじめ、ライヴでの定番曲「マホウ」、トミカのエモーショナルなヴォーカルが際立つ新曲「汚い世界」など、"ありのままのKAMAMOTOMIKA"が詰まった今作で、KAMAMOTOMIKAと出会ってください。
1週間限定全曲フル視聴(10/9〜10/16まで)
OTOTOYアプリでも同時に全曲フル視聴を実施中!! OTOTOYアプリについてはこちらをご覧ください。
OTOTOY独占、1週間先行配信開始!
KAMAMOTOMIKA / iii
【配信価格】
mp3、WAVともに 単曲 200円 / アルバム購入 2,000円
【Track List】
01. マジックミラー / 02. ゲームオーバー / 03. ふしあな / 04. 地下室の少女 / 05. B3 / 06. 夏の影 / 07. マホウ / 08. 諭吉 / 09. 汚い世界 / 10. ひみつのおはなし
KAMAMOTOMIKA、メンバーひとりひとりに想いを訊く

結成からまだ2年のKAMAMOTOMIKAから、1stアルバム『iii』が届いた。情感豊かなトミカの歌が、次々と表情を変えながら流れていく。それに呼応するかのように奏でられる曲は、3ピース・バンドとは思えないくらいに大きな広がりを見せる。番長のドラムと、やすのアップライト・ベース、トミカのピアノにより、疾走感のあるロック・チューンからエモーショナルで壮大なバラードまでが物語のように展開されていく。これはもうバンドという枠に収まらない。ミュージカルと表現した方が的確なのではないだろうか。それらはどれもとてつもなくポップで、その中心にはいつもトミカの歌がある。トミカの名前をそのまま使ったバンド名にも納得できる。
そんなトミカと、彼女の才能をいち早く察知して開花させた番長とやす。今回は、3人のパーソナルに迫るべく、ひとりひとりにインタヴューを行った。1stアルバムにして、すでにその世界観はあふれんばかりに膨らんでいる。彼らの話を訊いていると、それはさらに大きくなる予感を感じる。その過程を、ぜひとも目撃してほしい。いまから注目しておくべきバンドである。
インタヴュー&文 : 前田将博
INTERVIEW : 番長(Dr)

――いきなりですが、番長という名前の由来が気になりました(笑)。
番長 : 高校時代に、僕だけ長ランを着てたんですよ。やっぱり、男というものは長くないとあかん、短いのはチャラいだろうと(笑)。
――ひとりだけ長ランだと、まわりに恐れられていたんじゃないですか?
番長 : ポップなキャラだったので、みんな「番長ー!」って感じで声をかけてくれましたね(笑)。
――当時から、番長として親しまれていたんですね(笑)。番長さんはいろんなジャンルのバンドを掛け持ちしているそうですが、もともと好きだったのはどういう音楽だったんですか?
番長 : ベタにビートルズとかですね。邦楽を聴かない家だったので、洋楽は幅広く聴いていました。ブラック・コンテンポラリーとかポップス、アイドル、オールディーズとか。だから、逆にずっと邦楽を知らなくて、サザンも20歳になるまで知らなかったんです(笑)。日本に住んでてこれはまずいなと思って、邦楽も聴きはじめましたけど。
――邦楽はどんなものを聴きました?
番長 : スチャダラパーとか小沢健二とか。いろいろ聴くようになったらすごいアーティストもいっぱいいて、邦楽からも影響を受けるようになりましたね。
――自分で音楽をやるようになったのは、いつごろなんですか?
番長 : 高校のころにバンドをはじめました。めちゃくちゃ音楽が好きだったので、ずっとやりたかったんです。
――はじめからパートはドラムだった?
番長 : 誘った人がみんな楽器をやってる人だったので、ドラムとギターだけしか残っていなかったんです。でも、俺はギターは嫌やわって(笑)。
――たいていの人は、そこでドラムよりギターを選ぶ気がします(笑)。
番長 : ギターはチャラいイメージがあったんですよ(笑)。
――そこでも硬派なキャラが出たと(笑)。そのころやっていたのは、どんなバンドでしたか?
番長 : ロックですね。ビートルズやエアロスミス、レッドツェッペリンとかのコピーからはじめて、そこからブルースに流れて、レッチリみたいなちょっとラップ調で後ろがファンキーな曲をやっていました。
――当時から、音楽は長く続けたいと思っていたんですか?
番長 : そうですね。バンドがすごい好きで、やっぱりこれをやりたいなって。ドラムは僕ひとりじゃ到底敵わない人もいっぱいいるけど、全員で集まれば勝てるんちゃうかなって思えるような、特別な力があるんです。だから、バンドじゃないと僕は無理だと思っていますね。
全部はじめて感じた世界観だった
――KAMAMOTOMIKAのメンバーのなかでは、まずはトミカさんと出会ったんですよね。
番長 : 酔っぱらってるときに、一緒にいた僕の先輩に相談があるってトミカがやってきたんですよ。そのときにはじめて会ったんですけど、お互いベロベロだったので「そんなん俺が聞いたるわ」って(笑)。そしたら、音楽に迷ってるって言われて、なぜか「それじゃあスタジオ入ろうや」って言っちゃったみたいですね。バンド・メンバーを探していたわけでもないのに(笑)。
――スタジオに入ったときは、どういう印象でしたか?
番長 : こんな人と会ったかなって考えていましたね(笑)。でも、そこで声と曲を聴いたら、すごいなって思いました。全部はじめて感じた世界観だったんですよね。歌詞とか曲の雰囲気、メロディ、声もそうですね。
――トミカさんの声の存在感はすごいですよね。
番長 : はい。それを聴いて、一緒にやりたいって思いましたね。
――そのあとに、やすさんともスタジオに入るんですよね。
番長 : 雰囲気がチャラいなって思いましたね(笑)。でも、1回芯までちゃんと話し合おうってなって、当時は3人で週5くらいで飲みに行ってました。やっぱり、繫がりが大事だと思っているので、それがあるから音に魂が乗っていくと思うし。そこでお互い理解していった感じです。
――トミカさんと一緒にやるにあたって、こうしたらもっと良くなるんじゃないかっていう思いはありましたか?
番長 : ありましたね。特に、自分を出すっていう部分で。トミカは内側に引きこもるタイプだったので、演者としてのパフォーマンスも含めてそれをどんどん外側に出すっていうのと、自信を持ってしっかりステージに立つことさえできれば大丈夫だろうなって思いました。
――そういう意味では、今回のアルバム『iii』の1曲目「マジックミラー」は、いきなり外側に投げかけるような曲ですよね。番長さんのなかには、はじめからこういうイメージがあったと。
番長 : そうですね。絶対に本来はもっとポップな人間だから、そんなに暗くなる必要はないんじゃないかと思っていました。
ポップスとして、新しい時代をちゃんと迎えることができるバンドになれたら
――番長さんは、プロデューサー的な視点でもバンドを見ている気がしますね。ドラムに関しても、強く主張するというよりは、いろんな曲調があるなかで各曲にあわせた演奏をしている印象が強かったです。
番長 : それはすごく考えていますね。みんな口下手なメンバーなので、どう汲み取るかなんです。曲に対して最高のアレンジ、最高の雰囲気を作りたいので、1回自分のやりたいことは置いておいて、曲のベストはどうなのかなって考えます。そこに遊び心を混ぜていく感じですね。
――「汚い世界」なんかも、弾き語りが主体のアレンジですもんね。例えば、曲を生かすためにドラムがない曲が出てきたとしても、番長さんのなかではありだと思いますか?
番長 : 全然いいと思いますね。曲にとってそれがベストならば。
――今後、音楽シーンにおいて、KAMAMOTOMIKAはどんな存在でありたいですか?
番長 : ポップスとして、新しい時代をちゃんと迎えることができるバンドになれたらなって思いますね。いろんなジャンルがでてくるじゃないですか。ミクスチャーとかヒップホップ、レゲエとか。そういう新しい流れをポップスのなかに作りたいですね。例えば、ジャズがモダン・ジャズとかフリー・ジャズとかに進化していくような感じで。それの先がけになれたらなって思います。
――ポップスのなかでということですが、メイン・ストリームに対して訴えかけていこうという思いもありますか?
番長 : ありますね。僕はずっと海外の音楽を聴いて育ったので、海外のポップスと呼ばれている音楽の質とかクオリティに負けたくないなって思います。でも、日本人の良さは生かしたい。だから、ポップスのなかで最高の音楽をもっと作っていきたいんです。
――そこを目指すにあたって、なにか具体的な目標はありますか?
番長 : 100人中98人は言うと思うんですけど、やっぱり武道館でやりたいですね。ビートルズがやった場所なので、一緒のステージに立ちたいです。そこからスタートしたいですね。
INTERVIEW : やす(Upright Ba)

――やすさんが、自分で音楽を聴くようになったきっかけを教えて下さい。
やす : 中学3年のときに、知り合いの人にHi-STANDARDのCDをもらって聴いたらめっちゃかっこよくて、そこからメロコアを聴くようになりました。
――音楽をはじめたきっかけも、ハイスタなんですか?
やす : そういうわけでもなくて、まず中学のときにベースを買ったんです。モテたくて(笑)。ギター・ヴォーカルをやろうと思っていたんですけど、中学の先輩に「これからはベースの時代や」って言われて買っちゃったんですよね。でも、結局、部屋に置いてあるだけだったんですけど。で、高校で軽音部に入ってから、ちゃんと弾くようになりました。
――ベースを買ったときは、バンドをやろうとは思わなかったんですか?
やす : バンドじゃなくて、ただ音楽がやりたかったんですよね。まわりに音楽をやってるやつもいなかったし。僕自身、強くバンドをやりたいと思ったことはないんです。ずっと、やりたい人とやってるだけって感じなので。
――では、高校のころも固定メンバーでのバンドはやっていなかった?
やす : 固定のバンドも1回組んだんですけど、すぐにダメになっちゃいましたね。あとは、いろんなバンドで弾いていました。
――当時はどんなバンドで弾いていたんですか?
やす : ポップな感じのコピー・バンドが多かったですね。そのときに流行っていたCoccoとか、椎名林檎とか。
――ジャンルに対するこだわりはあまりなかった?
やす : なかったですね。それよりは、音楽をやりたい、ベースを弾きたいっていう思いの方が強かったです。
――オリジナルをやるようになったのは、いつごろなんでしょう。
やす : いまもやっている、みかとやすっていうユニットがはじめてですね。コントラバスとキーボード&ヴォーカルのふたりで、高校を卒業する少し前くらいにはじめました。
――当時からコントラバスを使っていたんですね。
やす : もともとは一般的なエレキ・ベースだったんですけどね。ずっとコントラバスに憧れがあったので、大阪音大に入ったときに変わりました。当時は、EGO-WRAPPIN'とかorange pekoeみたいな、ジャズ寄りのものもすごく好きだったんですよね。だから、音大ではジャズ科に入りました。
すごい小さい派手なおっさんが、チャリンコ乗りながらチリンチリンって来た(笑)
――KAMAMOTOMIKAのメンバーとは、番長さんと知り合う前に、まずやすさんとトミカさんが出会ったそうですね。トミカさんを観た時点で一緒にやりたいと思ったということですが、どんな部分に惹かれましたか?
やす : そのときはいまと音楽性も違ったんですけど、メロディや声が綺麗だなと思って。それで、一緒にやってもっとバンドっぽくしたいなと思ったんですけど、ベースとふたりじゃどうしようもないなと思って。
――トミカさんには、はじめからバンドのイメージだったんですね。
やす : そうですね。どこがどう違うっていうわけではないんですけど、バンドでやったらおもしろそうだなって思いました。
――その後、トミカさんが番長さんと知り合ったことでバンド結成に至るわけですが、番長さんと会ったときはどんな印象でしたか?
やす : 年齢とバンド名を聞いてレゲエの厳つい人が来ると思ってたら、すごい小さい派手なおっさんが、チャリンコ乗りながらチリンチリンって来たので、「あれ、この人なんや」って思いましたね(笑)。それが第一印象でした。
――(笑)。実際にスタジオに入ってみてどうでした?
やす : あまり覚えてないんですよね(笑)。緊張してたからだと思うんですけど。
――でも、そのあとバンドにしようと言ったのはやすさんなんですよね。そう思った決め手はなんだったんですか?
やす : 話の流れですかね(笑)。飲んでたときに、これからどうするって話をしていて、バンドをやったらいいんじゃないかって感じになって。はじめてスタジオに入ってから3~4ヶ月経ってからだったと思います。
――では、その期間で、すでに信頼が出来上がっていたんですかね。
やす : そうですね。あとは誰が言うかみたいな感じでした。
一番大事なのは、目の前の人を満足させることですね
――KAMAMOTOMIKAでは、どういう音楽をやろうとイメージしていたんですか?
やす : はじめてトミカに声をかけたときは、すごくポップでおしゃれな感じにしたいと思っていたんです。でも、番長はクラブ・ミュージックみたいな要素もあるので、ポップスなんですけど、そういうルーツ音楽も混ざってるようなものがかっこいいんじゃないかと。トミカの歌詞の世界観の後ろですごく踊れる音楽が鳴ってるっていうのが、KAMAMOTOMIKAの一番の魅力だと思います。4つ打ちのリズムが鳴っているようなイメージですね。
――では、今回のアルバム『iii』のイメージも、結成したころからある程度できていたのでしょうか。
やす : ここまでカラフルになるとは思わなかったですけどね。でも、こんな感じかなって思っていました。
――「汚い世界」では、ベースを弓で弾いていますが、それがさらに独特な世界観を演出しています。やすさんのベースも、番長さんと同じように曲を第一に考えている印象を受けました。
やす : 「夏の影」も弓で弾いています。レコーディング中などは、自分が弾いていないときもあるわけですけど、僕はその瞬間もプレイしていると思っていますね。だから、トミカの歌が良くてお客さんが満足するライヴができるのであれば、僕がギターを弾いたりするのもありだと思います。
――そんななかで、今回のアルバムはライヴで再現できることにこだわったそうですが、それはなぜなんですか?
やす : まだKAMAMOTOMIKAのことを知らない人が多いと思うので、CDを手に取ってライヴに来て、全然違ったらがっかりするかなと思って。あと、フリー・テンポなところが強みだと思うので、それもライヴ感なのかなって思います。
――やすさんは、KAMAMOTOMIKAはどんな存在でありたいと思いますか?
やす : 聴いてくれる人のなかで、必要とされる存在でありたいですね。ちょっとしんどいから聴きにいこうとか、少し元気になりたいからCDをかけようって思ってもらえたらうれしいです。
――もっと多くの人に必要とされたいという気持ちはありますか?
やす : ありますね。全然売れてなかったときに好きだった人が売れたら、僕はうれしいなって思うので。
――ちなみに、やすさんが売れたと思う基準はなんでしょう。
やす : タモリさんの横に並ぶことですかね(笑)。トミカがタモリさんの横に座ってたらおもしろいと思います。
――実現できるといいですね。
やす : でも、やっぱり一番大事なのは、目の前の人を満足させることですね。ライヴをやって、お客さんが「楽しかったです」って言って帰ってくれることが一番うれしいです。そういう人たちと一緒に上がっていきたいですね。
INTERVIEW : トミカ(Vo、Pf)

——トミカさんは、どんな音楽を聴いて育ったんですか?
トミカ : 小さいころは、よく母に童謡を聴かせてもらっていた気がします。ピアノを習っていたのでクラシックもよく聴いていました。あとは、ミーハーに歌番組が好きだったので歌謡曲も。
——ピアノはずっとやっていたんですか?
トミカ : レッスンを受けていたのは4歳から高校受験まで。小学校時代からから卒業式や合唱コンクールでは必ず伴奏をしていました。その時流行のJ-POPの楽譜を片っ端から買ってピアノで弾いたり、とにかく歌に合わせてピアノを弾くのが好きでした。
——歌うのは好きではなかった?
トミカ : 特別好きではなかったです。むしろ人前で歌うのは苦手なタイプでした。音楽の授業で、クラスのみんなの前でひとりで歌わされたりするのなんてほんと嫌でした!
——歌うようになったきっかけはなんだったんでしょう?
トミカ : 高校3年生の時に進路にすごく迷って。将来どんな仕事に就きたいとかも考えてなかったし、でもなにをするにも大学には行っておいたほうがいいかなとか思ったり。でも本当に勉強が嫌いだったんです。唯一好きだった授業は音楽だけ。周りの友達みんながどんどん進路を決めていくなかで、なかなか決められずにいる私のために、担任の先生が色々調べてくれて、ヴォーカル専攻になるけど課題曲を歌う実技試験のみで受けれる大学があるよと勧めてくれたんです。当時課題曲のレッスンをしてくれていた先生に絶対に落ちると言われて泣いたこともありましたが、受かっちゃったんですよねー(笑)。
——では、大学に入ってから本格的に音楽活動をはじめたと。
トミカ : 大学3回生のときに私の声を気に入ってくれた子がいて、一緒にバンドをやらないかって誘ってくれたんです。それでバンドを組んで、初めてヴォーカルとしてステージに立ちはじめました。
——それまでは、自分でバンドをやりたいとは思わなかった?
トミカ : ずっと憧れてはいました。でも自信がなくて。引っ込み思案だったし、自分にはできないと思っていました。だから誘われたときはうれしかったな。はじめて歌を褒められたんです! 大学の先生には、けちょんけちょんに言われていたのに(笑)。
——そのバンドはいつまで続いたのでしょうか。
トミカ : 卒業と同時に解散しました。でも、私はそこで初めて、ひとりでも音楽を続けたいと思ったんです。
弾き語りで歌っていた曲も3人で演奏すると全く新しく生まれ変わるんです
——そこから、ひとりで活動をはじめたと。
トミカ : なにもかも一から始めました。ピアノの弾き語りで『カマモトミカ』という名義で当時働いていたライヴハウスで活動したりしてました。曲作りも弾き語りもしたことがなかったので本当に大変でした。そこで番長とやすを知ったんです。
——やすさんにバンドをやろうと誘われたときは、どう思いました?
トミカ : 声をかけてもらえるのは嬉しかったんですけど、そのときは特にバンド・メンバーを探していたわけでもなかったし、ドラムも見つからなかったので、やんわり逃げました(笑)。
——その数年後に番長さんと出会うわけですね。そのときは、トミカさんが相談したいことがあって、相談相手に会いにいったら番長さんがいたということですが、どんなことで悩んでいたんですか。
トミカ : 当時お世話になっていたプロデューサーの方と離れることになり、ひとりでどう活動していけばいいのかわからなくなって不安で悩んでいたんです。でもその日、相談相手にはいっさい相談できませんでした。横でめちゃくちゃ酔っていた番長に邪魔されて!
——番長さんは、トミカさんも酔っていたとおっしゃっていましたが…(笑)。
トミカ : 私はまったく酔ってなかったですよ!! そもそも、落ち込んでたんですから(笑)。
——でも、そこで曲を聴いてもらって、すぐにスタジオに入ったんですよね。
トミカ : そうなんです。曲を聴いてすぐ、「一緒にやろうや!」って言ってっくれたんです。酔っぱらってる人の発言は信用しないようにしてるんですけど、番長の事は一方的に前から知っていて、すごく素敵なドラムを叩く人だなと思っていたので、これはチャンスだ! と思い、「じゃあ一緒にスタジオ入ってください!」って、勇気だして連絡先を聞いたり。ここぞとばかりに頑張りましたよ! でも次の日連絡したら、番長は全く覚えてなかったらしいんですけどね(笑)。そんなこんなで、後日やすも一緒にスタジオに入って、サポートという形で何度か3人で一緒にライヴをしたんです。
——そういう流れがあって一緒にやることになったんですね。ちなみに、弾き語り時代はどんな曲をやっていたんですか?
トミカ : んー、陰気。暗い。基本的に失恋の歌しか無かったです(笑)。でも当時弾き語りで歌っていた曲も3人で演奏すると全く新しく生まれ変わるんです。アルバムにも入っている「マホウ」なんて、何度も何度もバンドで作り直して、サビも変えて。更に今回のレコーディングではBAGDAD CAFE the trench townの方々にも参加していただいて、もともと悲しい失恋ソングだったのが、最高にハッピーな曲に生まれ変わったんです!
どっちもトミカなんだっよって受け入れて支えてくれた2人のおかげ
——今回のアルバム『iii』はとてもバラエティに富んだ内容になっていますが、もともとどのような構想がありましたか?
トミカ : 「私たちは3人でKAMAMOTOMIKAってバンドなんです!」っていうことを、どうしても提示したいっていうのがこのアルバムを作るにあたっての私の1番の思いでした。そして陰と陽。すごく振り幅の広いバンドだと思うんです。そこを、あまり飾り付けはせずライヴで表現できるありのままの私たちで表現できたらなって。
——バンドをはじめるときに、名義を変えようとは思わなかった?
トミカ : … 実は1度だけぶれました(笑)。このままで変えずにいこうって決めたんですけど、KAMAMOTOMIKAって誰がどう見ても個人名だし、ひとりで活動してた期間が長かったから、番長とやすがサポート・メンバーだと思われることが多くて嫌だったんですよね。それで、別の名前も考えたんですけど…、やっぱりKAMAMOTOMIKAがいいなっていう結論になりました(笑)。
——なるほど(笑)。もともと引っ込み思案だとおっしゃっていましたが、「ゲームオーバー」や「汚い世界」など、曲のタイトルも一見ネガティヴなものが多い印象があります。でも、どの曲も最終的には前を向いていますよね。
トミカ : そこは意図的に気をつけています。内向きな自分から抜け出すために曲を作っていたところがあるので。
——抜け出そうと思ったきっかけはありますか?
トミカ : バンドになってからです。3人になると明るい曲もできるんだなーって嬉しくて。いままでは作りたくても作れなかったから。
——では、バンドをやるようになって、トミカさん自身も変わっていった。
トミカ : はい。根本的に考え方が前向きになりました。3人でいると、2人につられて、前向きに考えれる比率が多くなるんです。更に私は酔っぱらうと180度キャラが変わってしまって、自分が1番強いと思ってやんちゃしてしまうらしいんですよ(笑)。普段の暗い私も、明るくてやんちゃな私も、どっちもトミカなんだよって受け入れて支えてくれた2人のおかげで、変わっていくことができたんだと思います。
――アルバムのなかでは、他に「マジックミラー」と「汚い世界」が特にインパクトが強かったです。
トミカ : まさに底と天辺ですよね。私のなかにある陰と陽の部分。「汚い世界」は特に陰の部分が強い曲で、元々弾き語りで歌っていた曲なんですけど、2人のアレンジが加わることでこの曲の世界観がすごく広がりました。
——逆に「マジックミラー」はすごく突き抜けている印象がありますが、こちらはもともとトミカさんのなかにはなかったものなんでしょうか。
トミカ : なかったです。私の作る曲はもともとバラードが多かったし。けどこの曲は3人でライヴに出たあと、客席にいるときに頭に浮かんだ曲なんですけど、その時点ですでにみんなで盛り上がれる曲のイメージになっていました。
——自分のなかになかったものを表現することに、抵抗や違和感はありませんでしたか?
トミカ : すごくありました。みんなの反応も気になるし、大丈夫かな、私に出来るかなって不安でした。
——でも、できたものはまったく違和感はないですよね。アルバムの1曲目に収録されていることもあり、バンドを象徴するような曲にもなり得ると思いました。
トミカ : いまこの曲がKAMAMOTOMIKAを1番表している曲かなと思います。ライヴを重ねるごとにどんどん染み込んでいって、もちろんいまとなっては違和感もないし、これからもこういう曲をもっとやっていきたいです。
——KAMAMOTOMIKAは、これからどんな存在になっていきたいですか?
トミカ : その日落ち込んでいた人も、楽しみに来た人も、ライヴを見てくれた人たちみんなに元気を与えれるライヴ・バンドになれたらなって。
——それは、トミカさんがバンドをとおして変わっていったように?
トミカ : それもあります。でも内を向いてる人って、なかなか大衆のなかで思うように楽しめなかったり、楽しみかたがわからなかったりする人が多いと思うんです。少なくても私はそうでした。だからこそ、それが逆に強みになるんじゃないかなって。その日会場にいる全員が笑顔で楽しんで帰ってくれるように。毎回それを1番に考えて私たち3人も真剣に楽しんでいます。
——バンドをやっていくにあたって、トミカさんが目標としているものはありますか?
トミカ : 大学時代、卒業公演で大阪厚生年金会館(現・オリックス劇場)でバンドのヴォーカルとしてステージに立ったんです。15分4曲のライヴでした。たくさんの人の前で歌って、感動して、気持ちよくて。その日バンドは解散したけど、私はそこでひとりでも歌っていく決心をしました。フェスにも出たいし、目標はいっぱいあるけど、自分の音楽人生がスタートした場所に、やすと番長と3人で立ちたいなっていうのが自分のなかにずっとあって。簡単に立てる場所じゃないですけどね! がんばります!
LIVE INFORMATION
MINAMI WHEEL 2013
2013年10月13日(日)@大阪ミナミエリア ライヴハウス20ヶ所以上
shimokita raound up
2013年11月4日(祝月)@下北沢ライヴハウス10会場+α
2013年10月30日(水)@大阪MUSE
2013年11月1日(金)@渋谷7thFLOOR
2013年11月2日(土)@タワーレコード渋谷店
2013年11月2日(土)@渋谷Lush
2013年11月16日(土)@minami horie ZERO
PROFILE
KAMAMOTOMIKA
人を惹きつける歌声で、心に残る言葉やメロディーを奏でるカラフル・ポップ・バンド。さらにステージを所狭しと暴れ回るパフォーマンスと斬新なアレンジが話題を呼んでいる。つねに新しいことに挑戦している動物的な3人が新世代POPに挑戦。いつもと同じ風景も違う角度から見ればNEW WORLD!!!
2011年9月
ピアノ弾き語りで活動していたトミカと、それぞれのバンドで活動していた番長(BAGDAD CAFE THE trench town、AFNICA、ワンダフルボーイズ)、やす(みかとやす)とが出会い、KAMAMOTOMIKAを結成。
2011年10月
MINAMI WHEEL 2011出演。
2012年7月
見放題2012出演。
2012年10月
MINAMI WHEEL 2012出演。(FM802『RADIO∞INFINITY』Recommendアーティストに選ばれる)
2013年2月
KAMAMOTOMIKA×ENTHRALLS(ex.Sentimental Toy Palette)×pechica 3組共同企画イベントを心斎橋CONPASSにて開催。大盛況で終わる。
2013年10月
MINAMI WHEEL 2013出演決定。KAMAMOTOMIKA初となる全国流通アルバム『iii』を発売。
現在、関西を中心に勢力的に活動中!!!