the dadadadysより、日曜日が楽しくない人へ──痛烈な“りありてぃ”を放つファースト・アルバム『+天竺』

佐藤健一郎(Ba)、yucco (Dr)、山岡錬(Gt)、儀間陽柄(Gt)、小池貞利(Vo/Gt)
the dadadadysが、結成3年目にして初のCDリリースとなるファースト・アルバム『+天竺』(読み:プラステンジク)をリリース。FRUITYを想起させるパンクからオルタナ、既発曲のリアレンジまで、てんこ盛りの一枚だ。そんな本作には、混沌とした時代を生き抜くために、上も下もわからないままでも前を向いて足を動かしていく──そんなバンドの泥臭い姿勢が色濃く反映されている。冒頭曲“GO jiGOku!!”の「生きては恥晒し (我々は我々だ)」という一節からも、恥をかくことをおそれずに、不恰好でもがむしゃらな生き様をみせる覚悟が感じられる。インタビューに応じる小池貞利はあいかわらず飄々としている。それでもthe dadadadysとして音楽に向き合う姿勢や美学、そして覚悟には、確かな変化が垣間見えた。
喜怒哀楽、起承転結てんこ盛りの痛快なファースト・アルバム!
INTERVIEW : the dadadadys

tetoからthe dadadadysへの改名が2022年。それから3年、大傑作ファースト・フル・アルバム『+天竺』を作り上げたthe dadadadysの5人へのインタビューである。このインタビューの中で、小池貞利(Vo/Gt)は「本当のリアルなんて共有する必要もない」と言っている。では音楽を通して、表現を通して、私とあなたは一体何を共有し得るのだろう? そんな問いに対する、ひとつの答えが、アルバムの9曲目に収められた「らぶりありてぃ -la dolce vita-」だ。アルバム全曲を聴いてほしいが、もしあなたに時間がないのなら、まずはこの曲だけでも聴いてほしいと思う。超がつく名曲だ。<こっちの世界は平和そうだ / ここに居れば全部が対等だ>――小池はそう歌う。この美しさがあれば、この優しさがあれば、この悲しさがあれば、僕はまだ「ちょっとでもマシになりたい」という気持ちを、諦めないでいようと思えるのだ。
取材・文 : 天野史彬
撮影 : 小杉歩
音楽をやる上で大事なのは「匙加減」
――ファースト・フル・アルバム『+天竺』、本当に素晴らしいアルバムだと感じました。個人的な感想を言わせていただくと、猛烈に聴き手とコミュニケーションを生み出そうとしているアルバム、という感じがしたんです。ものすごい密度で聴き手と繋がろうとしているアルバムである。それと同時に、抱き合えば抱き合うほど、人と人はお互いのことがわからなくなっていくものだと思うんですけど、その「わからなさ」までもパッケージングしている……そんな感じがします。まず、この僕の観点は、小池さんとしてはどうでしょうか。
小池貞利(Vo/Gt)(以下、小池):意図はしていないところだけど、言われて「なるほど」と思います。……俺、基本的に他人には興味ないんですけど、ちょっとでも知っている人なら、対話したくなるんですよ。すっごい、人が好きなので。「この人はどういうことを考えているんだろう?」と思うし、その人と趣味が合わなかったら、その人の好きなものの何が楽しくて、その人はそれをどう好きなのか、ちゃんと理解できないと自分の中でスッキリできない。そういう意味では対話するのが好きだし、コミュニケーションっていうのはあるのかもしれないですね。
――tetoから改名してthe dadadadysとなり3年越しのファースト・フル・アルバムとなりますが、アルバムを作り出すに当たって考えられていた方向性などはありましたか?
小池:曲は結構ぶっつけで作る感じが多くて。作りながら、アルバムの全体像を想定してはいたんですけど……最終的にどうなるかは、自分でもわからなかったんですよ。アイディアは自分の頭の中に落ちているものを拾って出せばいいだけなので、煮詰まることはなかったんですけど。でも、シンプルにしたかったのかな。シンプルにした結果がこれっていう感じがします。
――シンプルというのは、重要なポイントでしたか。
小池:俺がやっていることって、自分の中ではシンプルなことなんですよ。ただ、それを繰り返すことにどう向き合うか、とか。あと、時代が変わっている感覚に寄り添おうとした意識はあったかもしれないです。抽象的な話になっちゃうんですけど。

――時代は変化していると感じますか?
小池:ゆっくり変わっている感じはしますね。ただ、自分にとっては想定内の変化しか起きていないので、ちょっとまだ退屈な時代が続いちゃっている感じがします。音楽だけで言えば、退屈な時代。それ以外の部分で言えば、誰しもが自分の囚われていた常識にようやく気付いてきている時代っぽいなと思う。自分の中でも「音楽の作り方ってこうじゃなきゃダメだ」みたいなものが決まっていたけど、それがもうバカバカしい。そういう感覚もあって。年齢も年齢だし、いろいろ気付いてきたものは多いかもしれないです。
――時代が変化してく中で、音楽だけは周りを見渡しても退屈だなと感じますか?
小池:長らく停滞している気はしますけどね。「もう、そういうのよくない?」みたいなことが俺的には多いかなと思います。2000年代後半から今に至るくらいまでは、正直、日本の音楽は全然面白くない。面白い人たちはいるけど、そういう人たちが陽の目を浴びていない。そういうことは感じるかなあ。俺が個人的にドキドキワクワクしないっていうくらいの話ですけどね。音楽ってスポーツと違って、記録とか点とか、全然関係ないじゃないですか。あくまでも個人の感覚だから。なんだっけ、俺がよく言ってるやつ……。あれだ、匙加減。
佐藤健一郎(Ba)(以下、佐藤):よく言ってるねえ(笑)。
yucco (Dr):ふふふ(笑)。
小池:匙加減の判断が退屈なんだよなあ。なんて言えばいいんだろう。難しいな。匙加減過ぎるんだよな。
佐藤:「ここを超えたらヤバい」みたいなラインは下がっている気がするね。
小池:そう、浅い。簡単に言うと、浅い(笑)。それは作り手の問題なのか、受け手の問題なのか、わからないけど。俺は作り手の問題な気がする。「浅いな」って思う。
――なるほど。
小池:俺は音楽を作ることが好きなんですよ。どういう音にして、どういう言葉を選んで、どういうリズムにして、どういうイントネーションで歌にして……とか、すげえ考えて作るんですけど、俺のそれと対等の熱量を持っている人が、意外といない。意外と対話できる人が少ないなって感じる。そこが自分としては、寂しい気持ちになるんですよね。自分はもう、税金とか政治の話も気にしなきゃいけない年齢になっているし、そういう部分も含めて、しっかり思考を辞めずに考えている人が周りにどれだけいるんだろう? と思うんだけど、それを本気で考えると、寂しくなるっていう。それで、おっしゃっていただいたように、コミュニケーションを求めるのかもしれない。