南壽あさ子が『AMULET』に託した“音の拠り所”──どこへでも飛び立てて、いつでも帰ってこられる場所

言葉を丁寧に選び、隠れた心の深層にそっと光を当てる——南壽あさ子の音楽は、いつも静かでまっすぐだ。6年ぶりとなるメジャー4枚目のフル・アルバム『AMULET』には、音楽に向き合う真摯な姿勢が滲んでいる。青森のローカル番組のために実際に現地を訪れ、肌で感じた空気や文化をすくいとった“あおもりもりもりのうた”“幸せの途中”。タイアップの枠を離れ、ゼロから自らの感覚を試すように書いた“珈琲フロート漂流記”。どの曲にも、「前を見ている」まなざしと、聴く人の心に静かに響く普遍性がある。酒井駒子によるジャケットの黄色い鳥が象徴するように、『AMULET』は旅立ちのときも帰路にも寄り添ってくれる、そっと差し出された“お守り”のような一枚だ。
書き下ろし2曲を含む、約6年ぶりのフル・アルバム!
INTERVIEW : 南壽あさ子

『AMULET』は南壽あさ子にとって『Neutral』(2019年)以来約6年ぶりのアルバムだ。“あなたがいる” “呼吸のおまもり”(2021年)に“あじき路地”(2022年)などのシングル曲をはじめ、映画主題歌(“時の環”)から企業CM(“がんばるひとへ”)まで、全11曲中実に9曲が既発表のタイアップ曲。それなのに不思議と印象が散漫にならず、“珈琲フロート漂流記” “オン・ザ・スクリーン”の新曲2曲も手応え満点の快作である。
南壽は昨年12月に中国ツアーを開催。公演を重ねるごとに動員は増え、最終日には満席を記録したという。中国で多くのファンに支持されている理由は、南壽スタッフいわくOTOTOYにあるという。日本の音楽が“グレート・ファイアウォール”に阻まれて聴けなかった時期にも、なぜかOTOTOYだけはその壁を越えて、中国のリスナーに届いていたのだとか。
2012年に「フランネル」でデビューして以来、その活動を継続的に紹介してきたOTOTOYに、南壽あさ子が再び登場。2016年の6か月連続特集以来、実に8年半ぶりの登場となる。どうぞじっくりとお楽しみください。
取材・文 : 高岡洋詞
撮影 : 梁瀬玉実
自分が書く曲に共通しているのは、「前を見ている」こと
──タイアップ曲が多いですが、歌詞も曲調もいろいろなのに、不思議なくらいまとまりを感じます。
南壽あさ子(以下、南壽):実は今回ほどタイアップに向けて書いた曲が詰まっているアルバムはないんです。曲はたくさん溜まっていて、いつでもアルバムを出せる状態だったんですけど、いろんなところに宛てて書いているものなので、それをただ詰め込んで大丈夫なのか、というのがまずわたしが最初に思ったことでした。統一感も何も考えずに作った単品のメニューがひとつにパッケージ化されて、いいものになるのか、と。そう思いながらプレイリストに並べて繰り返し聴いていた時期があったんですけど、意外といけるなと思いました。その理由はまだわたしの中で答えが出ていないんですけど、ひとつこの曲たちに共通しているなと思ったのは「前を見ている」みたいなことで。
──あー、なるほど。
南壽:心持ちは少しネガティブな部分があっても希望を失っていないというか、短調や暗い曲調があっても、光は見ているところが共通しているなと思っていて。それがおそらく、自分が曲を書く上でテーマにしていることなんですよね。テーマにしているというよりは自然とそうなっているというか、潜在意識の中で、ただどん底まで落ちていくっていう音楽は作りたくない、歌いたくないという気持ちがおそらくあるんです。
──案件としても、ちょうどいいものが多かったのかもしれませんね。
南壽:タイアップといえど「こうしてください」みたいな条件がないものばっかりでしたし、中では映画の主題歌になった“時の環”がいちばん目に見えてテーマ性があるものでしたけど、よくも悪くもテーマに寄り添いすぎないというか、この曲だけ独立して聴かれても「いい曲だな」と思ってもらえて、「何の曲なんだろう?」って入り込んだときに初めて「映画の曲か」とつながっていくくらい自然に、音楽的でありたいんです。
──例えば“あなたがいる”にしても“時の環”にしても、“ローファー”や“あおもりもりもりのうた”にしても、タイアップ先のことをすごくちゃんとリサーチして、その中で「わたしが曲にするとしたらこの部分だな」という、濾過するような作業を丁寧にされている気がしました。
南壽:ありがとうございます。“あおもりもりもりのうた”と“幸せの途中”は、同じ『あおもりもりもり』という番組のオープニングとエンディング曲なんですけど、曲を書くためにわざわざ青森に3泊4日の旅をしていろんな地域の文化を見せていただいたんです。すばらしい体験でしたけど、結果的に具体的な名称はまったく入っていません(笑)。
──あ、確かにそうですね。
南壽:せっかくいろんな場所を見せていただいたので、最初は満遍なく入れようかなと考えていたんですけど、住んでもいないのに、どれだけ理解できているかがどうしても気になってしまって。一歩間違えると地元の方に違和感を抱かせてしまうというか、わかっていない人が書いたものになってしまうのでは、という懸念がありました。
──うんうん。地元の方たちが聴くものですもんね。
南壽:でも、いろんな地域の方と触れ合って、最後は津軽鉄道のストーブ列車に乗せていただいて、イカを焼いて食べながら車窓から外を眺めていたときに、今の自分と外の景色とを重ね合わせて「人生、いいときも悪いときも旅の途中なんだな」「ちょっとネガティブな気持ちになるときも、幸せになる途中なんだな」と感じたんです。どんな場所に住んでいても、そういう心持ちは誰もが感じ取れるものなので、これを曲にしてみよう、という結論に達しました。要望に応えられたかはわかりませんけど、先日、青森に行って歌ったときに、すごくみなさん感動してくださったんです。番組でも流れているので「生で聴きたかった」という声があって、やっと「作ってよかったな」っていう気持ちになりました。

──抽象化のプロセスをとても誠実に噛ませたことで、どこにお住まいの方にも「おらが町の歌」みたいに聞こえるかもしれませんね。
南壽:縛られずに書くっていうのはある意味、普遍性を持たせることだと思っています。入口がどこであっても、そこから間口を広げていくというか、聴く人の層を広げていくことはすごく意識しているので、それが結果として、先ほどの “時の環” と同じように「これ、青森の曲だったんだ」と思われるくらいになればうれしいなと思って作っています。
──そういう感じはどの曲にも強く出ている気がします。千葉県内のFMラジオ合同キャンペーンソングだった“あなたがいる”はラジオを擬人化したような歌ですが、知らずに聴いても十分楽しめるでしょうし。
南壽:聴く人によって捉え方がまったく違ってもいいと思いますし、同じ人間でも時を経て聴いたら全然違って聞こえる曲を目指しています。
──“あじき路地”は京都東山の路地とのタイアップという、あまり見たことのない曲ですね(笑)。20〜30代の工芸家や芸術家たちが入居する、築110余年の町家長屋だそうで。
南壽:わたしが密着されたテレビ番組を当時の大家さんの息子さん(現・大家さん)がたまたま見てくださって、ライブにいらして「歌を作ってほしい」とお手紙をいただいたんです。その後すぐコロナ禍に入って、わたしが路地の曲を書く心持ちになれなくなって、ちょっとお待たせしてしまったんですけど。少し持ち直してきたときに書いたので、自分をも励ませるような曲になっているかなと思います。
──「銭湯の煙突」にグッときました。
南壽:路地の入口に大黒湯という銭湯があって、その煙が東京に向かってたなびいているイメージです。ものづくりをしている作家さんって、小さな部屋で黙々と作業していても、心には大きな夢を抱いていると思うので、その気持ちを銭湯の煙に重ねてみました。