「藤子」は自分に似ていて、でも自分じゃないもの

──でも、ジャズでいうところのセッションやインプロ感ではないですもんね。そこが『Love Supreme』に近いかもしれない。あれも禁じ手だらけのレコーディングですしね。自分の音楽を通じて、コルトレーンやストラヴィンスキーに近づきたいという気持ちもあるんでしょうか?
野口:今思うと、勝手にそうなってたんでしょうね。ストラヴィンスキーって、きれいなメロディが流れてると思ったら急に怖い展開になったりする。ああいう音楽が先にあるとやりやすいんですよ。僕が「これはすごくヤバいことをしてるんじゃないか」なんて思わずに音楽をできる。
──100年以上前にもっとヤバいことやってるやつがいるぞ、と。そういう意味でも、過去との距離の取り方が独自なのかも。今は過去のカタログが膨大にあって、それをどう参照してチョイスするかというセンスの時代になっているという面は否めないけど、野口さんはその参照元がそもそも限られている。
野口:確かに周囲にはめちゃくちゃ音楽に詳しいやつはいますよね。何年の何がどう、みたいな。僕はそういうの1ミリもついていけないんです。ストラヴィンスキーの3曲とコルトレーンの『Love Supreme』しか聴いてない、みたいな(笑)。
──音楽以外の影響もあると思います? 自分の暮らし方とか、家族とか? スマホも持ってないし、SNSもいっさいやってないんですよね?
野口:あるとは思いますね。携帯は以前バイト先に忘れちゃって、そのために戻るのも面倒だから1週間くらい放置してたらわりと平気だったんで解約しちゃったんです。あんまりそこは深く考えてない(笑)。メールのやりとりとか、大学に行ってた頃は大学のPCでやってました。だからあんまり困らなかった。
──ある意味、いちばん現代的なノマド。誰からもつかまらない(笑)。
野口:周りは本当に大変です。でもさすがにひとり暮らしを始めたんで、家に電話くらい引こうかなと思ってます。
──そういう思考とこのハイブリッドな音楽が一緒にあるのが本当にすごいですよね。でも、デジタルと生音が分け隔てなく一緒にいていいという感覚はそういうところから生まれるのかも。好き嫌いじゃなくて、野口さんがそれで自然だからということですもんね。それに、人と交わるメディアを手にすることが逆に何かを隔てるツールになったりする時代でもありますしね……。このつかまらなさは維持したまま、今後も音楽を作り続けることを自分の人生にしたいと思っていますか?
野口:そうですね。音楽を続けられたらいいなと思います。
──自分の中のシンガー・ソングライター性について意識することはあります?
野口:あります。アルバムを作るということ自体がそうなんですよね。制作してから結構時間が経った今あらためて『藤子』を聴くと、もう忘れてたり、当時は気がついてなかったことがちゃんと全部出てるなと思うんです。歌詞もあんまり考えないで書くから、逆に意識してなかった自分が出ちゃう。「意外といろんなことにムカついてたんだな」みたいに思うし(笑)。怒ってるつもりはないんですけど、悪口ばっかり言ってる。普段から怒ってるわけではないんですけど。
──冷たい怒りみたいな感覚は伝わってきますよ。「高架橋」とかね、シンガー・ソングライター曲としても素晴らしいですけどね。
野口:今聴くとわかる部分もわからない部分もあるという感じです。
──タイトル曲の「藤子」は英語詞のラップですが、そういう面ではどんな存在ですか?
野口:あー、でもタイトル曲にしたのは後付けなんです。最初の3曲はタイトルが決まってなくて、「アルバム・タイトル曲がないからこれにするか」みたいな感じ(笑)。でもハマったかなという感じはあります。このアルバムをよく表してる曲という気がします。
──煙に巻いてるようでめちゃ真剣で、ロボット・ミュージックのようでめちゃ人間で。だから「藤子」が「藤子不二雄」のことかもしれないと思ってたんです。
野口:あー、なるほど!
──まあ、世代が藤子不二雄じゃないか!
野口:この「藤子」は、自分に似てて、でも自分じゃないものについて書こうかなという気持ちから出てきた名前なんです。「藤子は音楽サークルでギターをやってたようだし、でも性別は僕と違うし、自分の中で持ってる悩みは僕と被るところもある」みたいな人のこと。それをイメージすることで、自分というものを明確にされていくんじゃないかなと思ったんです。自分自体が僕と僕じゃない人で構成されているから。なので、曲の「藤子」というより、アルバムとしての『藤子』を1枚作ろうと思ったんです。
──それってパラドックスっぽいですよね? 「藤子」のリリックは、アルバムの性格を意識して書いた?
野口:いやいや、何も考えてないです。それに、この歌詞は僕じゃないんですよ。C子あまねのベーシストだった創太郎なんです。彼は『botto』でもラップをしてくれてます。
──「こういうリリックにしてほしい」というリクエストをして書いてもらった?
野口:いや、それもあんまり言ってないです。僕の人間性をわかってて描いてくれたんだと思います。
──そうなんですね。面白い。これからもどんどん作っていく人なんでしょうね。すごく話していて頼もしかったです。野口さんには自分の音楽が他人に晒されることへのプレッシャーもなさそう。
野口:いやあ…………………、ない(笑)。この世界にはもっとたくさんの音楽がありますしね。それこそフランク・ザッパとか信じられないペースで作品を出してたじゃないですか。
──そういう意味では僕らはまだまだ野口文の音楽を楽しめるし、あと100年くらいは驚かされ続けるんでしょうね。
野口:100年後ですか!(笑)
──いや、死後にも未発表曲がたくさん発見されるタイプかな、と。
野口:そうですね。この『藤子』を録り終えてポスプロしてる段階で、もうサード作りたいなと考えてましたし、今すでに作ってますから!

編集 : 石川幸穂
ジャズ、クラシックからポップスまで、音楽遍歴が反映された『藤子』
〈第7回APPLE VINEGAR -Music Award-〉特別賞を受賞したファースト・アルバム
PROFILE : 野口文
都内の大学に在学中の23歳。
幼少期からクラシックピアノを習い、高校3年の時に自宅で楽曲制作を始める。
2021年に自身がコンポーザーを務めるC子あまねというバンド・プロジェクトで「晴天に雷鳥」「Japan」などを リリースし、各種ストリーミングサービスにおいて多数のプレイリスト選出を獲得。
2023年より野口文としてソロ・プロジェクトを開始し、2024年には1st AL『botto』が後藤正文氏主宰の〈Apple Vinegar Music Award〉特別賞を受賞。
クラシックを下地にしつつ、ジャズ、ロック、ヒップホップといった様々なエッセンスを混ぜ、幼少期から現在に至るまでに辿った音楽遍歴を意識しつつ、常に革新的なサウンドを模索している。
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