自分の境遇と重ねてしまうと、演奏できなくなっちゃう気がします
──この間の『Heavenly Heavenly』リリース時の取材で、次はゴリゴリのポスト・パンクっぽいものを作ります、明日から作ります、みたいなことを言っていたけど、いざできあがってみると、そういう感じの雰囲気にはなっていませんね。
越雲:そうですね。前回インタヴューして頂いた時からは、だいぶ、メンタリティーというか、生活への向き合い方みたいなものも変わりましたし。音楽への向き合い方も少し変わったような気がしますね。今回は精神状態がものすごく良くなかったので。本当にしんどかったです。もういいかな、みたいにずっと思っていたので。もう本当に限界かなって。音楽に向き合う力がなくて、生活するのにいっぱいいっぱいだったので。
──なにかあったんですか?
越雲:わかりません。原因はないと思います。ないと言ったら嘘ですけど、明らかにこれがトリガーになって、みたいなものはないような気がする……けど。気づいたらそうなっていたという感じ。
──作る側としては、自分のそういう精神状態とか、心の状態みたいなところから、曲を作っていくしかないと思う?
越雲:そうですね。作っていくしかないというよりは、それが自分の求めているものだったし、例えばポスト・パンクっていうのも、ザラっとしたもの、ゴリッとしたものを作ろうとすると、それは自分のいまの心情じゃないので嘘になっちゃう。だから、いまの自分をパッケージングすることにウェイトを置いたような気がします。
──この間の新代田FEVERのライヴ(4月14日開催 polly oneman「Noise for Silence」)の時も、激しい曲をほとんどやらなかったですね。
越雲:そうですね。自分のメンタルのなかで、推進力がない場合はそうなってしまうというか。意図したわけではないですけど。
──嘘偽りのない表現。
越雲:そうですね。なので、あのセット・リストは、いまでも後悔していないですし、自分達らしいなと。pollyとしてあの日、100%できるセット・リストはあれだったなと思います。
──pollyのお客さんは、越雲さんがいまの自分に正直な表現をやってくれればそれはそれでいいっていう、そういう受け止め方をしているように私には見えました。
越雲:そうですね、みんな優しいなと思いますね。その人がやるだけで、どの曲をやってかっこいい、みたいな存在になれれば良いんですけど、いまの自分に関しては、そうなれていないですし。
──それは人間として信頼されるということですよね。
越雲:そうですね。でもそこってすごく大事だなとは思っていて。真ん中に立って歌うこと自体、向いていないので、もともと性分的には。
──あぁ、いまさらそんなことを言いますか(笑)。
越雲:ここまで続けたので、やらなきゃという気持ちです。
──じゃあ、本来自分はなにをやればよかったと思いますか?
越雲:家で、メソメソ作曲しているのが、向いているのかなって(笑) 。
──高岩さんはデモを聴いて、そうした彼の精神状態のようなものは感じました?
高岩:デモを聴いた感じではないですね。音楽で感じることはないですけど。プライベートで感じることはあります。でも自分がどうこうできる問題ではなかったりする場合があるので。
──志水さんは音楽から彼の内面の変化みたいなものを感じたりしましたか?
志水:サウンドに関してはそういう風には思わなかったですけど。この作品の歌詞はものすごく重たすぎるので、リスナー目線で浸ったり溺れたりして聴く、みたいなことはできないです。近くで関わっている人間としてこれをリスナーと同じレベルで深く聴くのは、ちょっと自分はできないくらい、けっこう重いです。この2年間の記憶が鮮明に思い出されるくらい、けっこう……詰まっている作品なので。全部すごく思い入れがあるし。好きなんですけど……リスナーとして何度も何度も聴き込んで、自分の境遇と重ねて、みたいなことを自分は音楽を聴くときにしていたんですけど。この作品はそういうことをしてしまうと、演奏できなくなっちゃう気がします。一個フィルターを挟まないと、落ちすぎちゃうから。そこに関しては、簡単に入り込めちゃうので踏ん張っているという感じです。ライヴの時は、まともに演奏できなくなるんですよ。そんなに平然としていられるタイプではないので。
──そうですか。クールに全体を見ながらやっている感じがありますけど。
志水:もともと、落ちやすいので。感情の感度が弱まった時期が数年前にあって。それを保てるようにしています。もともとの自分の、繊細さだとまともに生活が出来なくなっちゃうので。極力そういうのを出さないようにしている。それが冷たく見えたりクールに見えたりするんです。そういうのもあって、このアルバムに関しては個人的にはとても重みのある作品です。