ドラム目線が大きいというか
ーちなみに、“西村中毒“と言う名前は何がきっかけで名乗るようになったのですか?
西村:ソロで歌い始めて半年~1年くらいはまだ本名(西村達也)で出ていたんです。ただ、〈ネガポジ〉界隈って、ニックネームみたいなので出てる人多いじゃないですか。
ーああ、シャラポア野口とかエンペラーめだかとか。
西村:そうそう。あれ、ほとんど江添さんが名付けているんですけど、まさに江添さんから本名より何かいいネーミングを決めろって言われて。放っておいたら「サバイバル達也」になりそうだったので(笑)、高校の時の軽音楽部で組んでいた「美少女中毒」というバンド名のケツをとったんです。西村中毒を名乗って、ベートーベンズでも活動するようになってからは、今の活動の形に近い感じになりましたね。バンドをやりながらたまにソロでも弾き語りをするという。
ーラッキーオールドサンの篠原さんが西村さんの才能に惚れ込んで、ついにはラッキーオールドサンのサポートにまで抜擢されたのも、ベートーベンズでの活動以降のことですか?
西村:そうです。2015年の夏くらいだったかな。ソロの音源をアップしていたサウンド・クラウドにダイレクトメッセージが届いて。「初めまして。ラッキーオールドサンをやっている篠原です。サウンドクラウドの楽曲を聴いて、とても感銘を受けました」って感じで。そのあと、またメッセージが届いて、京都に行く予定があるので会えませんか?と。当時、僕はラッキーオールドサンのことを知らなかったんですけど、後から聴いたらすごくよくて。
ーその時にサポートをやってくれないか?的なお願いをされたのですか?
西村:いや、その時はただ仲良くなっただけで。頼まれたのは……いつだったっけな? ただ、ラッキーオールドサンが京都にライヴで来た時に観に行ったりはしていて、交流はしていたんです。その後、西村中毒バンドとして〈nano〉で対バンもして、そのあたりからですかね。ラッキーオールドサンの関西方面でのライヴのサポートをしてもらえないかと。2017年に初めて大阪と京都でライヴ・サポートをしました。
ーつまり、ただ、サポートとして絡んだだけではなく、同時に西村中毒バンドとしての活動もじわじわ進行させていたということですね。
西村:そうですね。最初にラッキーオールドサンと対バンした時も、メンバーはもう今の3人……神田(慧)くんと麻生(達也)くんと僕でしたから。
ーそうやって自分でも曲を作り、自ら歌い、こうしてシンガー・ソングライターとして作品を出すに至る中で、ドラムを長くやってきた末に曲を書くようになった、そうした経緯が何か自分の特徴として反映されていると感じることはありますか?
西村:自分ではあんまり気にしたことはないんですけど……ただ、リズムの立て方なんかに重きを置いている部分がちょっとあるかなとは感じますね。ドラム目線が大きいというか。フレーズがどうこうというより、同じ8ビートでもスネアの位置が歌より後ろに入るか、前に入るかってだけでも声の乗り方が変わったりしますから。その感覚はドラムをやってきたからこそ……なのかなと思います。とはいえ、結構感覚派ではあるんですよ。気持ちよくなるかどうか、よくなるまで試していくん。なんか違うな? なにか違うやり方あるかな? みたいにして作っていくので、理論立てることってないんです。トライ・アンド・エラーの繰り返しですね。ドラムってドラム単体で考えられるものではなくて、そのビートの上でどうやって歌っていくのか、みたいなことを試しながらドラムもメロディも組み合わせていく。でも、それも自分の武器にしているってほどじゃなくて、本当に自然にそうなってるって感じですね。
