草野球とバンドは同じ感覚? ──ピュアにマイペースにグッド・メロディを作り出す“家主”って?!

左から谷江俊岳(Vo/Gt)、田中ヤコブ(Vo/Gt)、岡本成央(Dr&Perc&Cho)、田中悠平(Vo/Ba)
とんでもなくグッド・ミュージック!! 2018年にソロ・アルバム『お湯の中のナイフ』をリリースし、インディー・シーンで注目を集めていたシンガー・ソングライターの田中ヤコブを中心に、3人のソングライターで構成されるロック・バンド、家主が初のフル・アルバム『生活の礎』をハイレゾ・リリース。これはめちゃくちゃいいですよ……。ロックに、ポップに、フォーキーに、それ以外にもさまざまなジャンルの枠を取っ払って、ただただストレートにいいメロディが鳴らされる、最高に気持ちのいい音楽。2019年の締めくくりにふさわしい作品となっているんじゃないでしょうか! ということで今作はマストでチェックしていただきたいのですが、まずはこの謎多きバンドについて、インタヴューで明らかにしていきましょう。
インディー・シーンで大注目の家主、初のフル・アルバム!
1stフル・アルバム『生活の礎』CM1stフル・アルバム『生活の礎』CM
INTERVIEW : 家主
いま1番普通にいい曲を聴かせるロック・バンドは何かと聴かれれば、たぶん迷わず「家主」と答える。それは、たとえばスピッツがそうであるように、あるいはくるりがそうであるような感じ、というべきだろうか。そういう意味では、居場所がインディーのあの周辺、とかあの時代やあのジャンルの音を参照にしたあの感じ…… といった矮小化されたところにあるわけではないので、つかみどころがないとも言える。ただそれは、言い換えると、小さな枠組みを全く必要としない、器がとても大きなバンドということでもあるだろう。
なのに「家主」の曲は作り手(ソングライターが3人いる)が、様々な音楽をそれぞれに取捨選択し丹念に聴き込んだ末に誕生していることを感じさせる層の厚いものばかりだ。しかも、マニアとか蒐集家のような目線ではなく、本能で好きなものを咀嚼した自由な目線がそこにある。だから、俯瞰的にみると古い音楽へのオマージュもあれば、同時代へのシンパシーや嫌悪もあるし、それを体系的に並べないことで生まれる再解釈も含まれているだろう。強烈なリスナー体質であるにも関わらず、批評家的な整理や再考に従わないからイビツなおもしろさがあるし、でも演奏のスキルやロック、ポップ・ミュージックのフォルム、形式を無視せず基本に忠実でもあるので確実にロックやポップ・ミュージックが本来持つダイナミックな醍醐味を実感させてもくれる…… って、ああ、もう、絶賛しきりで恥ずかしくなるけど、でも、「家主」は本当にそのくらいとんでもないバンドであり、でも、とんでもないバンドという評価をスルリとかわすアウトロー的な存在でもある。ああ、「アウトロー」という言い方ももしかして違うかもしれない。ただ、ただ、そこにいる「家主」といういい曲を書くバンド。それ以上でもそれ以下でもないという事実! このジレンマを言葉にうまくできなくてとても悔しい。
「家主」は昨年1stソロ・アルバム『お湯の中のナイフ』をリリースした田中ヤコブを中心に、田中悠平、岡本成央、そして今年春から加入した谷江俊岳による4人組。全員同じ大学のサークルの先輩後輩という気心知れた関係ながら、ここまでひたすら曲を作って合わせる、ということだけを楽しんで活動してきた連中だ。その彼らが1stアルバム『生活の礎』をリリース。そこで、今回はレコーディングとミックスを担当したエンジニアの飯塚晃弘にも同席してもらう形でロング・インタヴューを行った。かつて葛西敏彦の元でアシスタントを務めていたことがある飯塚は、まだ単独で録音作業をする機会は少ないが、メンバーと世代が同じということもあり理解し合える雰囲気の中でレコーディングができたという。というわけで、メンバー4名+エンジニア1名、さらに辛抱たまらずサポート発言で参入してきたレーベル〈NEW FOLK〉のディレクター、須藤朋寿も加わってのあけっぴろげな「What's 家主?!」トーク。根掘り葉掘り、でものらりくらりでマイペース、でもすべてが本音です、の貴重な対談を最後までお楽しみください。
インタヴュー&文 : 岡村詩野
や、もう現実逃避ですよ
──家主というバンド自体はそもそもいつからあるんですか?
田中ヤコブ(Vo&Gt / 以下、ヤコブ) : 2013年からです。でも、ほとんど最初はライヴ活動とかしてなかったです。ライヴは呼ばれたら出る、呼ばれなきゃ出ない、みたいな感じだったんで。これはいまも基本的にそうなんですけど。
──メンバーも最初からヤコブくんを中心に?
ヤコブ : そうです。谷江(俊岳)さんが今年2019年春に京都で開催されたイベント〈うたのゆくえ〉から加入して4人編成になるまではずっとこの3人(田中ヤコブ、田中悠平、岡本成央)でした。
──まさか、「ライヴは呼ばれたら出る、呼ばれなきゃ出ない」というのは結成時のコンセプトだったとか?
ヤコブ : ではないですけど、自主的に出るほどやる気があったわけじゃなかったというか。ずっとひとりで曲を作っていて、バンドそのものをやってなかったんですね。ちょうど、その頃大学生で就活中だったんですけど、就活がダルいので逃げたいみたいなのもあったと思います(笑)。
田中悠平(Vo&Ba / 以下、悠平) : (ヤコブは)いい曲いっぱい作ってるクセに、それを発表するバンドをやってなくて、人のサポートばかりしてたんですよ。
ヤコブ : 自分が聴くために曲作ってたんですよね。田中さん(悠平)も岡本さんもサークルの先輩なんですけど、それまでは一緒にやったりやらなかったり…… その場のノリでじゃあやるか、みたいな感じの一瞬のバンドはよくやってましたけど、俺としては、宅録じゃつまらない曲というか、バンドでやれそうな曲…… セッションでやれるジャムっぽい曲が出来てきたからちゃんと組んでやろうかなと思ったんですね。それが家主です。
──3ピースというのは最初から決めていたんですか?
ヤコブ : いや、そこはこだわりはなくて…… ただ、その頃、初恋の嵐を聴いてて…… それでって感じですね。いま思い出しました。
──ジャム・セッションでやれそうな曲が出来たから、大学のサークルの先輩である悠平くん、岡本くんに声をかけて結成した。すごくシンプルで必然的な理由ですけど、それでもライヴをやろうって気にはならなかったのはなぜだったんですか? スタジオで合わせるだけで満足だったと?
ヤコブ : ライヴやる気、サラサラなかったですね。(ライヴ・ハウスの)ブッキングって金払って出る、みたいなところがあるじゃないですか。それで合わないバンドと一緒にやるとか、ライヴ・ハウスの人に「もっと練習しろ」とかいろいろ言われるとかあるっていうじゃないですか、僕らはその経験ないですけど。それ、苦行ですよね。
悠平 : (無理してライヴ)やってもなんにもならない気がするしなあ。
ヤコブ : だから、友達の企画イベントに呼ばれたら出る、みたいな程度で活動していたんです。
──ということは、最初のライヴも知り合いの企画だったと。
ヤコブ : そうです。〈KiliKiliVilla〉から出してるTHE SATISFACTIONってバンドがいるんですけど、俺、昔サポートやってたことがあって。その彼らが高円寺のドムスタ(サウンド・スタジオ・ドム)でスタジオ・ライヴをやるっていうことで呼ばれて。2013年5月、それが家主としての最初のライヴでした。あ、そうだ、その時に一緒に出てた、「バカみたい」ってバンドを観て、それでバンドやりたいって思ったような気もします。そのあたりから、いまのラッキーオールドサンの篠原(良彰)くんがやってるCOPIESとかともつながったりもしました。
──「バカみたい」もそうですし、篠原くんがやってるCOPIESもそうだし、同じくいま一緒にラッキーオールドサンをやってるナナさんのいる「箔」もそうだし…… 割と周辺には家主と相性の良さそうなバンドも多くいたんじゃないかと思うんですけど、それでも自主的にはライヴをやらなかった。
ヤコブ : やらなかったですね(笑)。
悠平 : クソ内向きですよね(笑)。

──では、ずっと何がモティヴェイションでバンド活動を続けていたのですか?
ヤコブ : や、もう現実逃避ですよ。就活やりたくないというのが1番です。フラストレーションのやり場というよりは本当に現実逃避。みんなで音を合わせたらダラダラする、みたいな。
──曲は最初からオリジナルだったのですか?
ヤコブ : そうです。
──現実逃避だけなら、なにもオリジナル曲をやらなくてもカヴァーとかをやっててもいいわけですよね。でも、オリジナルを作るという熱量。
ヤコブ : ああ、そもそも我々がいた大学のそのサークルって、オリジナル・ソングを作るというのが前提になったサークルだったんですよ。カヴァーをやるって発想がそもそもなかったですね、最初から。
岡本成央(Dr&Perc&Cho / 以下、岡本) : カヴァーを許さないみたいなのがあった。
ヤコブ : あ、ただ、家主ではやってないですけど、サークルの新歓とかではやりました。ヴェルヴェット・クラッシュ(笑)。田中(悠平)さんがギター・ヴォーカルで、俺がギターで、岡本さんがドラムで、ベースが、さっき名前を出したTHE SATISFACTIONのメンバーで……。でも、そういう例外はあっても、基本的にオリジナルを作るのが当たり前という環境だったんですね。
──なのにライヴは企画しない。
ヤコブ : しない。自発的に人を集めてやった、というのは1度もないですね。
岡本 : 最初のライヴのあと、その超久々にやったのが牧野(ヨシ)くんのバックをやった時じゃなかったかな。ラッキーオールドサンのレコ発だった。(新代田)FEVERじゃなかった?
悠平 : そうそう。ひっさびさに招集されたんだった。
ヤコブ : 牧野さんと俺ら3人。で、その時は田中さんがギターで。結局、家主としてライヴをやってない間は、俺はラッキーや牧野さんのバックをやったり、彼らの作品を一緒に作ったりしていたんですよね……。そもそもライヴをやろう、企画しようって発想にならないんですよ、ただバンドをやってるだけで楽しいから。それで十分満足していたんですよね。それは今も同じなんです。「曲できたわ」って感じでスタジオで合わせて、ボイスメモみたいなので録音して(笑)。
──じゃあ、スタジオには定期的に入っていた。
ヤコブ : いや、そこもそうでもないというか(笑)。俺はラッキーを手伝ったり宅録で日常的に曲は作ってましたけど、でも外にいかないから知られてませんでした。最初の4年間くらいはそんな感じで。
──曲のストックはかなりあると。
ヤコブ : あ、もう2〜30曲くらいは。1回しかやってない曲とかも入れたらそれくらいになりますね。
悠平 : ただ、あくまで私家的な(笑)。ボイスメモで録ってみんなで聴く、みたいな。
岡本 : 最初、ヤコブからセルフ・デモみたいなのが送られてくるんですよ。で、「めっちゃいいじゃん!」って返事をして……。
ヤコブ : で、スタジオで合わせて「よし、できたできた!」。
岡本 : で、僕らはまた次の曲を待つ、みたいな。
ヤコブ : それの繰り返しです(笑)。
俺にとってバンドって草野球と同じ感覚なんですよ
──もっとたくさんの人に聴いてほしいという気持ちはないんですか。
ヤコブ : 当時は全くなかったですね。いま思うと、自分らのまわりにもそうやって人に聴かせようとしたりライヴをガンガンやるような人があまりいなかった気がする。ライヴの動画も自分たちではアップしないし。いまYouTubeにあがってる動画も僕らじゃなく周囲の人があげてるんですよね。
岡本 : ただ、やっぱりヤコブがソロでデビューしたというのは大きかったですね。ラッキーのバックをやって注目されて。
──やっとここまできたと。
悠平 : いや、「ここまで」も来てないですよ〜(笑)。
ヤコブ : 俺にとってバンドって草野球と同じ感覚なんですよ。勝つためにやってるわけじゃなくて、楽しければいいというか。当時、俺は普通に勤めていて、月〜金で働いてたけど土日はやることがなくて。平日の夜とかに勤めから帰ってきて曲を作って、土日にみんなで集まってその曲を合わせて「たのしいね」って。そんな感じ。
──日曜大工的な。
ヤコブ : あ、そうですそうです。ほんと日曜大工とか草野球と同列。趣味なんですよ。
──はははは。ただ、作り手にとって趣味であっても、聴き手である我々としては、趣味であってもそうじゃなくても出来上がってきた作品やライヴがよければどっちだって構わない。ただ、ヤコブくんと家主の作品やライヴはすばらしいという事実があれば。そこで聞きたいのは、モティヴェイションとして外に伝えたいという意識がほとんどない状態で作られた作品の、その内容のすばらしさを担保しているのは何だと思いますか?
ヤコブ : それは音楽を聴いてきて、ある程度審美眼があるからだと思います。
岡本 : つまんなければ作らない。
ヤコブ : そうそう。美学、美意識によってクオリティが担保されてるんじゃないかと思いますね。
──そこはメンバーで共有しているんですか。
岡本 : 「あれおもしろい」「あれクソつまんない」みたいな話は本当によくしますからね(笑)。
ヤコブ : 日常的にそういう話はしてますね。その価値基準がみんな近いんですよ。
──たとえば?
ヤコブ : サイクルズとか好きですね。知ってます?
──主に1990年代に活動していた日本のポップ・バンドですよね? 森川亜希子さんがヴォーカル / ソングライターの。好きでしたよ私。
ヤコブ : そうですそうです。いいですよね。あとは、熊谷幸子とかも。当時の“J-POPレアグルーヴ”的なアーティストの話とかはメンバー間でお互いにリークしてますね(笑)。「これやばいですよ」とかって。
悠平 : 普通にいい曲を書けるバンドがいいってことじゃないかと思うんですよね。
ヤコブ : 捨て曲いらない、タルい曲いらないってことですよね。
──タルい曲とタルくない曲、その境目はどこにあるんですか?
ヤコブ : 時間が無駄に長い曲と演奏が肌に合わない曲ですかね。尺と演奏と…… あとメロディがつまらない曲もアウトですね。
悠平 : 当たり前のことですよね。
岡本 : 安い、速い、美味い、みたいな。
ヤコブ : 基本に忠実に…… ということですね。野球だと、ボールは両手で捕る、みたいなものです。あと、田中さんの場合は歌詞も重要ですよね。たとえば、いいメロディって…… こればかりは感覚的なものなんですけど、とってつけたようなメロディって聴いたらなんとなくわかるんですよ。ここでBメロいくだろうなと思ったら、やっぱりいった、となるとこういうサビくるんじゃない? って思ったら「はい、きた!」みたいな。予想できちゃう感じを避けたいんですよね。

──その「予想できる流れを避ける」感じが「基本」。
ヤコブ : そうですね。ベーシックなものから逸脱しない範囲で遊ぶ、みたいな。それを無理なく自然にやれてたらいいな。あとはどこからか借りてきたものをそのまま使うんじゃなくて、なるべく自分から出たもの、自分のフィルターを通したものを大事にしたいですよね。最近のポップな曲って割とコード進行が似てるんですね。それも無意識で似ちゃってるように感じる。でも、俺らは流行りの音楽のシーン周辺にはいなかった。意識的に離れてたわけでもなく興味がなかったんですよね。もちろん日本のインディーも聴いてましたけど、でも一方でBUMP OF CHICKENとか、田中さんならASIAN KUNG-FU GENERATIONとかもずっと好きで聴いてたんですね。
たぶんいろいろな音楽を聴いた結果アウトプットの整理が追いつかないでどこにも行けなくなる人たちって一定数いるんですよ。僕らもたとえばペイヴメントとか好きですよ。聴くんですけど、だからってそこを主軸に押し出すようなことはしなくて。とってつけたような模倣はせずに、本当にいいと思ってるものを単純に踏襲していきたいという感じですね。カッコつけないでやっていくというか。本当に好きなものを好きでいて、軽はずみなことはしないってことですね。
悠平 : 好きなものに対して筋を通していたいって感じかな。
ヤコブ : そうそうそう。
谷江俊岳(Vo&Gt / 以下、谷江) : 音楽的な核になってるものとかルーツに対して丁寧に聴き込んだ上でリスペクトをしている感じがあると思うんですよ。上澄みだけ掬い取って時代ごとにアレンジするようなやり方じゃなくて。そういうのがあるんじゃないかと思いますね。
ヤコブ : いま思い出したんですけど、2010年頃ってバンドのThe Drumsがメッチャ流行ったじゃないですか。インディー・バンドの多くってThe Drums的なサウンド・アプローチにいった感じがしたんですよ。その時、「好きだけど、俺はドラムスにはいかないようにしよう」って思って、それでELOとかビートルズとか、自分のルーツに回帰していましたね(笑)。
岡本 : 好きなものを聴き込んでいるだけって感じなんですよね。
ヤコブ : そう。軽はずみなことはしない。ほんとにそれだけですね。
なんでも何か機会をもらわなきゃ動かない、そういうバンドなんですよ(笑)
──で、ようやく今年2019年に4曲入り自主制作盤『YANUSHI EP』を発表しましたよね。私は京都で開催された〈うたのゆくえ〉の会場で買いました。
ヤコブ : そうです。ほんとにあれが最初。そういうわけで、俺らってライヴも自主的じゃないから、CDとかも誰も作ろうとかって言わないバンドなんですよ(笑)。作った方がいいかなとは思っていたんですけどね。でも、そうこうしてるうちに、ライヴとかイベントに呼んでもらえるようになって。でも、お客さんに「音源ないんですか?」って聞かれても、「ないです」(笑)。もう、毅然とした態度で「ない」と。
岡本 : ないものはない(笑)。申し訳ないから心は少し痛かったですけど、作る予定もなかったし。
──2018年暮れに京都ではじめて家主のライヴを観た時、私もたぶんヤコブくんに聞いたと思います。「音源はないの?」って。
ヤコブ : そうでしたよね。あの時に結構観てくれた人に言われて、それでようやく作ろうかっていう感じになって。それで作ったのが最初のあの自主制作盤。そもそも、その〈うたのゆくえ〉の時から谷江さんがバンドに加入したので…… なんでも何か機会をもらわなきゃ動かない、そういうバンドなんですよ(笑)。
──あのタイミングで谷江さんが新たに加入した理由というのは?
悠平 : 谷江さんが「入りたい」って(笑)。
谷江 : 家主はサークルの後輩だったんですけど、2016年かな、秋葉原グッドマンでやったライヴを観に行ったらすごくよくて。で、「入れて」って言ったら、「いいですよ」って(笑)。
岡本 : ただ、そこから2年以上……。
谷江 : 大阪勤務だったんですよ。で、東京に戻ってきたので一緒にやれることになって。
岡本 : でも、その間、僕らもライヴをやってなかった(笑)。
──その時点でもう3ピースにこだわってなかったんですね。
ヤコブ : それはもう結成して最初の1ヶ月でなくなってました(笑)。てか、そもそもよく知ってる人だし、緊張しないし、断る理由がなかったですね。
悠平 : 谷江さんが“マイグラント”ってすごいいい曲を持ってるのを知ってたから、谷江さんが入ってくれればこの曲できるじゃん! って。
岡本 : ほんとそんな感じで自然でしたね。
──で、いよいよ今回リリースされる正式なアルバム『生活の礎』の制作に入るわけですけど……。
ヤコブ : いやもう、それも須藤さんから「作ろう」って声をかけていただいたからで。ほんと、その話をいただかなかったらいまも作ってないし、作ろうとしてなかったと思います(笑)。
岡本 : ほんと、100%そうです。4曲入りのあの自主制作盤があればいいかな、くらいに思ってましたから。
ヤコブ : ただ、曲はたくさんあったから、じゃあってことでその中から選んだんです。『サイゼリア』に行ってみんなで話をしながら(笑)。
須藤朋寿(家主のディレクター) : 自主盤を作った段階では谷江さんがまだいなくて(注:ジャケット写真は谷江が撮影)。その後加入して4人になって今回のアルバムの制作に入ろうってことになったんですけど、その時点でソングライターが3人いるわけですよね。自然と3人が曲を持ち寄って、そこから曲を選んでったって感じでしたね。それが『サイゼリア』での話し合いです(笑)。
悠平 : 俺と谷江さんは、前からあった曲を提供して。
谷江 : さっきも話に出ましたけど、そういうわけで“マイグラント”は前にやってたバンドでの曲なんです。2007年くらいとかの曲(笑)。
ヤコブ : ただ、俺らって本当にレコーディングとかそういうことがわからなくて。リハスタとレコーディング・スタジオの違いさえわかってないという(笑)。
須藤 : だから、まずヤコブくんと話をして、「エンジニアはツーカーで気兼ねなく、心が通じ合える人がいい」ってことなので、じゃあ世代も近い飯塚さんにしようと。飯塚さんはヤコブくんのソロ作(『お湯の中のナイフ』)の録音を葛西敏彦さんのアシスタントとして手伝ってくれていたのでよく知っていたんです。飯塚さんも飯塚さんでおもしろがってくれて、ひとりでフル・アルバムを全部手がけるのははじめてだったけど、「やりましょう」って言ってくれて。
ヤコブ : 自主制作盤は自分たちでマイクも立てたりして録音したものなので、そもそもそこからちゃんと飯塚さんと相談したんですよね。
飯塚晃弘(本作のレコーディング・エンジニア) : 事前に準備しておくこと、決めておく必要のあることについて話をしました。それから、練習に入る毎にできるだけ最新版のデモを送ってもらうようにもお願いしましたね。
ヤコブ : ちゃんとしたレコーディング・スタジオで録音するのがはじめてだったんです。ラッキーオールドサンで録音も手伝ってはいたんですけど、4人でバンドとしてちゃんと録音したことなかったからそもそも勝手がわかってなくて。だから話しやすい飯塚さんじゃないときっとできなかったと思いますね。事前にボイスメモで録音したデモを飯塚さんに送って「この曲はクリックを使おう」とか、「この曲は勢いが大事で」とか、そういうアドバイスをもらってから録音に入るというやり方だったんです。
岡本 : だから飯塚さんには録音前にリハスタに来てもらいました。
ヤコブ : 「ここで1回ブレイクをしてから本番はこのタイミングで入りましょう」とか、そういうのをリハスタでアドバイスをしてもらって僕らも確認して。かなり細かくやりましたね。
飯塚 : 音決めとかも含めてリハスタで一緒に確認できたのは良かったですね。
ヤコブ : いやほんと、あれがあったからうまくいきました。結果、ほぼ1発録りでしたからね。
草野球をやることへの野心がある、という感じですね
──飯塚さんは今回の作品作りに対し、エンジニア的観点からどのように考えていたのでしょうか。
飯塚 : デモを最初にパッと聴いた感じでは、1990年代の音かな? って思っていたんです。でも、彼らの人となりを知っていくうちに、「何かにしよう」とか「何っぽい感じにしたい」みたいなのとは違うんだろうなって思いはじめて。具体的に、意識的に方向性を決めるんじゃなく、とりあえず出てくる音を全部受け止めようと思ったんですね。
ヤコブ : 明確なリファレンスなしですからね(笑)。
飯塚 : で、とにかく全部受け止めて、それを紐解いていく。その作業で、安心感があったのは通じ合えてたからだと思うんですね。深層心理での価値基準において分かり合える部分が多かったので、紐解いていく中で、特に方向を決めなくても大丈夫な気がしたんです。
ヤコブ : やっぱり世代が近いっていうのが大きかったですね。
悠平 : 本当に飯塚さんで良かったって思いますよ。めちゃめちゃやりやすかったし、理解してもらえてたし。
──たとえば、家主、ヤコブくんの作る曲には、さっき彼も自分で名前を出してましたけど、ELOやビートルズが好きな側面が出てるし、曲によっては1960年代のカントリー・ロックやウェストコースト・サウンドも感じる。悠平くんの曲にはパワー・ポップ然とした側面があるし、谷江さんの曲はネオアコ〜フォーク・ロック調だったりもする。でも、ヤコブくんも悠平くんも谷江くんそこは自覚がないかもしれない。つまり、これは1960年代の音楽だ、これはあのジャンルの曲だ、現代の音楽だ、という認識で分け隔てしていない。認識はしてるかもしれないけど、咀嚼する時にそこはまぜこぜになってる。バンドとして持ってるこの共通認識がおもしろいなと思いますね。
ヤコブ : ああ、なるほど。
岡本 : 僕は曲を書かないから、普通に3人ともいい曲書くなあって感じる程度ですけど、たしかにそうですね。
悠平 : 3人それぞれソングライターとして個性はあるけど、共通して持っているもの、ありますよね。
ヤコブ : 俺から見たら、田中さんはすごいストレートなメロディを作るなって感じがしますね。野球で言えば先発型です(笑)。谷江さんはワンポイント…… 送りバントをするDHって感じですね(笑)。ストレートじゃないけど変化球でもなく、緩急をつけて投げてくる感じです。俺は趣味にいくけど、でも俺と田中さんは結構ストレートな曲を作るかな。谷江さんは洋楽…… UKインディーっぽい(笑)。
悠平 : でも、谷江さんの曲が1番レコーディングで変化したと思いますね。この曲がこんなになったんだ、みたいな。
飯塚 : 音像みたいなものは谷江さんの曲は結構考えましたね。
──ぜんぜん気取らず欲を出さず…… で6年間。でも、3人のソングライターによるメロディの良さが際立っていて、バンドとしての頑固な立ち位置も明確にある。しかも、ライヴは絶対的にロックであるというような骨格の太さがある。
ヤコブ : いやあ、でも、この先のことはぜんぜん何も考えてないですよ。現状維持以外、何もしたくない。現状維持するためには野心を持たないことですね。野心を持て余して消えたヤツらを見て来たので。言ってみれば、草野球をやり続ける、草野球をやることへの野心がある、という感じですね。
岡本 : 草野球、毎週末もやらない。月一くらいのイメージ。
ヤコブ : 個人的にはいまもずっと宅録で曲を作ってるので、もうそれでいいというか。バンドにも期待しないし、自分自身にも期待していないです。バンドで生計を立ててるわけでもないし、立てたいとも思わないんで。
──「期待してます」とか言われたら?
ヤコブ : 「あざす!」って言って終わる(笑)。
悠平 : そんなこと言われたら荷が重いな〜(笑)。
須藤 : その美学が崩れたらおもしろくないですし、そもそも真剣に音楽をやるために仕事をやめる、音楽に専念するみたいな発想が、必ずしもいい方向に作用するとは思えない。「これ失敗したら終わる」みたいな変な切迫感がないから、何よりピュアだし打算がない訳だし。
──ところで、「家主」というバンド名はどういう意図で名付けたんですか?
ヤコブ : 高校の時に、バンド名考えてた候補の中に書いてあったんです。で、その時のノートを見て、ああ、じゃあ、「家主」でいいやって(笑)。
編集 : 鈴木雄希
『生活の礎』のご購入はこちらから
過去作もチェック!
新→古
LIVE SCHEDULE
『生活の礎』リリース・ツアー
※各公演ゲスト/詳細/チケット情報は後日発表
2020年1月26日(日)@東京 渋谷 La.mama
出演 : 家主 / すばらしか / and more.
2020年2月01日(土)@京都 西院 ネガポジ
2020年2月02日(日)@静岡 静岡 騒弦
2020年3月08日(日)@長野 松本 Give me little more.
2020年4月18日(土)@福岡 福岡 UTERO
2020年4月19日(日)@愛知 名古屋 K.Dハポン
PROFILE
家主

【田中ヤコブ a.k.a 家主 公式ツイッター】
https://twitter.com/coboji_