故・笑福亭笑瓶への思い

──“バイバイ笑瓶ちゃん”は感動的な曲です。笑瓶さんへの想いを訊かせてもらえますか。
年は向こうの方がちょっと上で、キャリアは僕の方がちょっと先なんだけど、時系列で言うと、僕が21歳で破門になったときに笑瓶さんが24歳で入ってきたんですよ。その頃は、笑瓶さん、根本要さん(スターダスト☆レビュー)、北野誠さん、桂雀々さんとの5人で仲良くしていたんです。みんな大阪のラジオ「ヤングタウン」出身で、海のものとも山のものともわからんときから、一緒にやってましたんでね。同じ頃、明石家さんまさんなんかは、同期のオール巨人さんとか島田紳助さんとか桂小枝さんとか、みんなで飲みに行っていましたし。
──みなさんが本格的に芸能界で活躍する前からの仲だったんですね。
若い頃からのそういう関係性の中での出来事(笑瓶さんが2023年2月に逝去)でしたからね。“バイバイ笑瓶ちゃん”は、笑瓶さんの一周忌のライヴのときに生ギターで歌ったんですけど、当然アルバムで形にするつもりはなかったけど、プロデューサーのアイディアで弦を入れて、内容も詰めて収録しました。その後、雀々さんも亡くなってしまったので、今度また歌うんですけど、そういうことは自分にしかできない仕事だなって思います。
──普段ユーモラスに歌ってるからこそ、本当に胸に迫る曲ですね。ストリングスが入ったアレンジにも思いが表れています。
そこはプロデューサーさんの采配というか。僕は普通やなと思ったんですけど(笑)、「この曲は良い」ってすごく褒めてくれて、弦でやりたいって言ってくれたんです。そこから、「ここはもうちょっとこうしましょう」とか、「CメロとAメロが一緒やからCメロを変えよう」とか、細かいことを専門的に言われて「そりゃそうやな」ってちょっと直したりとか、そういうやり取りは面白かったですね。
──“バイバイ笑瓶ちゃん”もそうですが、アルバムは、“小市民~昭和篇~”から最後の “ギターパラダイス” まで、後半に行くにつれもっと身近な人生に寄り添った曲が増えていくように思えます。
あ、なるほど。僕もそう思ってました。
──本当ですか(笑)?
後半ええよねえ。ようできてるやんこれ(笑)。
──“小市民”はいろんなバージョンが出ていますが、すごく良いメロディですよね。1作目が出た1988年当時、この曲で少し嘉門さんのイメージが変わった気がしたんですが、ご本人的にはどんな曲なんですか。
“小市民”は、歌っていて飽きることがないですね。なんでああいうメロディーになったのかちょっと説明しにくいんですけども、当時参宮橋の友だちの家泊まっていて、駅の売店で「ビッグコミックスピリッツ」を買って嬉しそうに帰るサラリーマンの姿を見て、自然と出て来たんですよ。それで公衆電話から留守電に「ホンニャララッタ~ホンニャララッタ~」って録音して(笑)。
──まだボイスレコーダーとかないですもんね(笑)。
小市民という言葉自体は、ホイチョイ・プロダクションの馬場さんに、「僕の歌を今後どういうふうにしていったらいいと思います?」って訊いたら、「小市民的なメッセージを綴っていくのもありだと思いますよ」って言われて、小市民っていうキーワードが頭に残っていたんです。それで、“アホが見るブタのケツ”で歌った、「学校のクラスにこんな奴おったよね」っていうのを、もうちょっと日本全体的に「人間ってみんなこうやるよね」っていうまとめ方で作りました。この曲で、僕が主演で室井滋さんが奥さん役で、三宅裕司さんとかも出演したTBSのドラマ(「あ~あ小市民」)があったり、ちょっと新聞記事になったり話題になったんですよ。その反面、周囲の「この手の曲がここまで売れてよかった」っていうゴール感もあって、新たな環境に移っていくっていう良い流れがありましたね。
──今回は敢えての“小市民~昭和篇~”ということで、〈カレーを食べるときスプーンをコップにつけてから食べる〉とか、若い世代には伝わらなさそうな違和感を歌うところが面白いです。
それはもうずっとそうですね。だから今ここへ来て4、5年前のコロナ禍のこととかもそろそろ、今から見た違和感として歌えるかなっていう感じはします。今度のライヴで振り返ろうかなと思っていて。〈あなたお願いよ そばに寄らないで〉(岩崎宏美「ロマンス」の替え唄)とか、そういう定番があるんですよ(笑)。〈コロナ禍の ソーシャルディスタンス〉(THE ALFEE「星空のディスタンス」の替え唄)とか。
──どんどん湧き出てきますね!(笑)。
ソーシャルディスタンスと「星空のディスタンス」っていう、やっぱりそこは共通性というか、元の歌が持ってるところいかにハメるかっていう醍醐味なんです。これを歌うときには、普通にストロークで〈ソーシャルディスタンス〉ジャカジャカジャカじゃなくて、ジャーンジャーンっていうバックのギターのキメも再現するのが大事なんですよ。
──細部へのこだわりがすごい(笑)。
人から与えられたコミックソングよりも、自分の気持ちをギターで歌うっていうのが一番

──最後の曲は“ギターパラダイス”ですが、ギターにも相当こだわりがありますね。ジャケットで持っているギターはK.Yairiのカスタムメイドですよね。
そうです。これは12年前に作ったやつなんですけど、今日撮影で持ってきたギターは先週来たばかりの一番新しいやつです。ギターは、中学生のときにお年玉で買って、高校に入ったらずっと楽器屋の店頭にあった7万円のギターを、甲子園でかちわりを売るバイトで貯めた現金を握りしめて買いに行ったっていう、思い入れがありますね。
──ギターはやっぱり相棒ですか?
そうですね。テツandトモ、AMEMIYA、どぶろっくとも一緒にやってますけど、みんなギターを持って歌うっていう共通点とおなじみのフレーズがあるっていう「歌ネタ四銃士」で、“ギターパラダイス”は「歌ネタ四銃士 爆笑浪漫飛行 歌ネタライブ」で全員で歌った曲です。
──嘉門さんがアコースティックギターで歌うルーツはどこから来てるんですか?
最初は、中学生の頃に聴いた吉田拓郎さんとか井上陽水さん、泉谷しげるさん、かぐや姫とか、ギターを弾きながら自分の気持ちを歌う人たちに影響を受けましたね。そこから、あのねのねが出て来たのがデカいですね。ただ、当時はちょっと僭越ながら「おもろいなこの人たち。でもこれよりもうちょっと深い音楽をやりたいな」と思ったんですけど(笑)。
──“赤とんぼの唄”とか、充分深いと思います(笑)。あのねのねさんみたいな、ちょっと毒っ気のあるコミックソングが一番の原点でしょうか。
自分の思いを歌うっていうことに影響を受けたのは、ザ・フォーク・クルセダーズが一番最初ですけども、その前の青島幸男さんが書いた曲をクレイジーキャッツが歌うとか、ザ・ドリフターズとか、人から与えられた楽曲をコミックソングとして歌うことには、あんまり魅力感じなかったんです。自分の気持ちをギターで歌うっていうのが一番なんですよね。月亭可朝さんの作詞作曲の“嘆きのボイン”が僕の中では微妙な位置ですね(笑)。でも、2年前に可朝さんのギターを娘さんからいただいて家にあるんです。だからあの曲をちょっと現代風にするとか、他にも面白い曲があったり、その前にまず人間が面白いし、そういうことを伝えていく仕事もこの先やっていけたらなって思います。
──嘉門さんにとって、音楽で笑いを届けるっていうスタイルは、一挙両得みたいな気持ちもあるんですか?
多分、潜在的に意識してると思うんです。最初に落語家として弟子入りしたとき、松竹芸能の角座で師匠のカバン持ちから始めたんですけど、そこにはかしまし娘さん、宮川左近ショーさん、暁伸・ミスハワイさんとか、錚々たるメンツがいてドッカーンってウケていて、僕は16歳でカバン持ちをしながら「すごいなあ」ってずっと見ていたんですよね。でも、刹那的に実演することの儚さっていうか、「この人らどこへ行くんやろうな?」っていうことはずっと思っていたんですよ。それで、「ここやないよなあ」っていうことも感じていて。今もたまに、吉本興業の劇場とかに偵察に行くんですけど、それは何で行くかって言ったら「ここやないな」っていうことを確認しているんです。
──芸人ではなく、シンガーソングライターとしてやっているんだという。
元々フォークシンガーとか、大阪の「春一番コンサート」とかギターを弾いて歌っている人たちの影響を受けて、落語界に入ったらヤングタウンへと導いてもらえて、そこにアリスがいたりとか、「これもかっこいいな」とかね。それで破門になってから、サザンオールスターズとの出会いがあって。
──嘉門さんの芸名は桑田佳祐さんからもらったことは有名ですが、今回のアルバムは偶然にもサザンのニュー・アルバムと発売日が同じということで、本当にご縁がありますね。
物語がまだまだ続いてますね(笑)。桑田さんには、アルバムを真っ先にお届けしようとは思ってます。桑田さんとかさんまさんとか宇崎さんとか、ずっとカッコイイじゃないですか?カッコイイかどうかってすごく大事なんですよね。「カッコよく生きるには」っていうことを、そういう人たちを見ててすごく感じます。

──嘉門さんもスタイルが全然変わらない気がします。そういえば、サングラスをかけてるのは何かきっかけがあったんですか?
あれは、事務所を移ったときに、ビジュアル面も考えていこうっていうことで始めたんです。事務所が、なんか“サングラス家系”だったんですよ。サンプラザ中野、スペクトラムのときの新田さんとか。
──事務所移籍の際に、その系譜に入れられたわけですか(笑)。
そうそう、伝統のサングラスやから(笑)。それと、具体的な内容の歌を歌っているので、ビジュアルは黒い服で怪しくて何を考えてんのかなっていう、ミステリアスな感じにしようっていう演出があったと思いますけどね。
──アルバムのリリースを受けて、ツアーも行われますが、どんなライヴを考えていますか?
もちろんアルバムの曲もやりますけど、やっぱり常に現代を歌いたいので、ちょっと今のテレビ事情とかね。
──歌っちゃいますか(笑)。
歌っちゃうよ~(笑)。昔はみんながテレビに出ることに憧れたり、テレビのフィールドで暮らしていくことがサクセスだったりしたけど、今そこにちょっと疑問符がつきだしてるじゃないですか?そういうところを歌おうと思います。
──最後にお訊きしますが、今の夢はなんですか?それと、この時代に於いてどんな存在でいたいですか。
今、「嘉門タツオ記念館」の構想がありまして、一昨年の年末に大阪の「太陽の塔」が見える部屋を借りたんですよ。今そこに部屋があることによって、僕の小6のときの原体験であるかつての万博公園の太陽の塔が目と鼻の先にあったり、四季の景色とか風の吹き方、そこの空気を感じることができるので、「嘉門タツオ記念館」を建てるならその場所がいいなと思っています。存在としては、「何か面白い人やったな」って、死んだ後も興味を持ってもらえるかどうかっていうことをやりたいんですよね。作家の人とかでも、川端康成文学館に行ったら三島由紀夫と川端康成の往復の書簡があって、これがあってこの作品が生まれたって学芸員が学術的に説明すんねんけども、嘉門タツオ記念館では、 “鼻から牛乳”を最初に書いたノートとか、小学校のときの作文とかを、自分で全部、「こんときはこうやってん」って解説しながら観てもらって(笑)。「こんな人やったんや、面白い人やったなあ」と言われて終わりたいですね。そのために今、こうやって歌っているんです。
嘉門タツオの魅力が今様にアップデート&凝縮された1作
LIVE INFO
「嘉門タツオ 至福の楽園~歌と笑いのパラダイス~」ツアー
3月22日(土)東京・渋谷プレジャープレジャー
3月30日(日)大阪・なんばHatch
4月12日(土)名古屋・ボトムライン
詳細は嘉門タツオホームページまで
http://www.sakurasaku-office.co.jp/kamon/
CD RELEASE INFO
嘉門タツオ
『至福の楽園~歌と笑いのパラダイス~』
KICS-4187 定価:¥3,300 (税抜価格 ¥3,000)
2025年3月19日発売
【収録内容】
1. ハンバーガーショップ~カフェチーノ篇~
2. インバウンド・ブルー
3. 鼻から牛乳~令和篇~(アルバムバージョン)
4. ギャーシリーズ(キッズライブバージョン)
5. どんなんやねん(ライブバージョン)
6. なごり寿司(さびマシマシ)~なごり雪~
7. 焼き鳥バカ一代
8. カッコ良く言ってみるシリーズ
9. 言うたらアカンがな
10. 大阪・関西万博エキスポ~港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ~
11. 小市民~昭和篇~
12. 60なかば
13. 知らんけど
14. うまい事言うなぁ
15. バイバイ笑瓶ちゃん
16. ギターパラダイス
その他の商品詳細は詳細は下記〈KING RECORDS〉公式ページにて
https://www.kingrecords.co.jp/cs/g/gKICS-4187/

PROFILE : 嘉門タツオ
1959年3月25日生まれ。大阪府出身。 1970 年大阪万博に魅了された小学生時代を経験。中学生になりMBSラジオ「ヤングタウン」と出会い、 1975年高校在学中に落語家の笑福亭鶴光師匠に弟子入り。1978年笑福亭笑光として「ヤングタウン」のレギュラー出演を果たしたが1980年に破門、放浪の旅へ出る。その後、サザンオールスターズ桑田佳祐氏と出会い、桑田氏の別名、嘉門雄三 から姓を受け、「嘉門達夫」と命名される。そして、嘉門達夫としてヤングタウンのレギュラー出演に復活。 1983年「ヤンキーの兄ちゃんのうた」でレコードデビュー。YTV全日本有線放送大賞新人賞、その他レギュラー出演、受賞経験多数。 1991年発売「替え唄メドレー」、1992年発売 「鼻から牛乳」が 大ヒット。同年、NHK 紅白歌合戦出場。笑いと音楽の融合した独自のジャンルを確立した。主な作品は、アルバム『天賦の才能』『怒涛の達人』『HEY! 浄土』、シングル『小市民』『替え唄メドレー』『鼻から牛乳』『さくら咲く』『明るい未来』など。現在は「嘉門タツオ」と名を改め、音楽活動、執筆、 YOUTUBE など表現の場をますます幅広く展開し続けている。
【HP】: http://www.sakurasaku-office.co.jp/kamon/
【Youtube】: www.youtube.com/@嘉門タツオ公式チャンネル