ノイジーなギターのなかに美しいピアノのアルペジオがあること
──なるほど。今回のEPの作り方は具体的には、越雲さんがデモを作ってきて、それをふたりに聴いてもらって演奏してもらうという?
越雲:そうですね。作り方はそんなに変わらないですね。でもピアノとか、僕は本当に打ち込みしかできないんですけど、そこを(志水に)頼んで、ちょっとフレーズを変えてもらったりとか。
志水:自分は個人的にピアニストが作るピアノ・フレーズとかコード感って慣れすぎていて魅力を感じづらいことが多いんですけど、ピアノやっていない人のピアノ・フレーズ、けっこう好きなんですよ。それにコンポーザーとしてその曲のイメージをいちばん濃く持っている人が作るフレーズの方が、自分的にもしっくりくる。それを自分がナマで弾くだけで雰囲気がだいぶ変わると思ったので、わりと(越雲の考えた)そのままのフレーズで弾きました。別に自分の意見を折ったとかではなくて、単純にめっちゃ良いじゃんと思ったから弾く、みたいな、わりとシンプルな感じでやりました。
──越雲さんとしては、彼女が弾いてくれたことによってどういうものが加わったと思いますか?
越雲:センシティヴな立体感のある鍵盤の音になったなと思います。今回レコーディングしてみて、ノイジーなギターだったりとかのなかに美しいピアノのアルペジオがあることが、我々の新しいアイデンティティーになるんじゃないか、みたいな発見がありました。
──確かにこの手のバンドでキーボードがいるってあまり聞かないですよね。
越雲:そうですね。ちゃんとピアノの音がノイジーななかに鳴っているバンドって、本当に僕が知っている限り日本にはいないんじゃないかと思っているので。それがすごい新しいなと思いましたし、それが我々のスタンダードになっていくと、バンドとしてのアイデンティティーというかオリジナリティになっていくんじゃないかと。
──確かに。前作『Pray Pray Pray』では越雲さんもめちゃくちゃ手ごたえを感じて、良いアルバムができたという達成感が非常にあったわけですよね。それだけに次の作品をどうするか、なかなか難しかったんじゃないかと思うんですけど。
越雲:難しかったです。前作は特に手ごたえがあったので。まずは前作よりも自分がドキッとするような、聴く人を驚かせるような曲を作れるのかどうかってことがまずはありました。手を付けるまでに自分の頭のなかで考える時間が長くて。逆に(前作とは)かけ離れた作品を作った方が良いかもしれないみたいな気持ちもあったんですけど。でも、前作より良いものを作れなかったら自分はソングライターとしては無能だってことで、そこからは真摯に向き合うようになりました。
──「聴く人を驚かせるような曲」っていうのは、新しいことをやるという意味ですか?
越雲:そうですね。これの次の作品の構想ももう出来ているんですけど。もうちょっとヒリついた、ポスト・パンク色の強いものを作りたいなっていう気持ちがあるんですよ。
──今作はすごく優しいですよね。
越雲:そうですね。前作の流れをすごく汲んだ上で、新体制としてなにができるかを考えました。
──ポスト・パンク的なヒリヒリした感じに行くのか、優しいセンシティヴな方向に行くのかの二択だった、と。
越雲:そうですね。ただ前作の流れで、今作がポスト・パンク的な流れだと、個人的に“逃げ“だと思ったんですよね。
──逃げ? なぜ(笑)?
越雲:なんか「あれはあれでひとつの終わり、区切り」みたいな風に見えちゃうなって思ったんですよ。メンバーも抜けましたし。メンバーが抜けたからああいう強度のある作品を作れなくなったと思われたくない。新体制になった方が前作よりもブラッシュアップした作品になっていなきゃいけない気持ちがあったんですよ。

──なるほど。前作と同じ路線で、なおかつ前作を超えたものにする、というのがテーマだった。
越雲:はい。
──それはどうやって乗り越えたのでしょうか?
越雲:乗り越えられたかどうかはちょっと分からないけど……いや、自分的にはもう超えていて……えー……めちゃくちゃ前作より良いですよ(笑)。
──(笑)。どういうところが進化していると思いますか?
越雲:メロディも耳馴染みが良くてすごく良いなって思ってますし、ギターという楽器にそこまで頼らなくなったというか。ピアノが入った時に、ギターじゃ絶対に出せないニュアンスがあるなと。全然違う楽器なんですけど、ピアノの方が悲しいというか。感情を表しやすい楽器だなと思ったんですよね。そういう意味で前作よりも情緒がはっきり出るなというのがありましたし。狙いどころにバチッとハマった感覚がすごくあった。ヴォーカル・ディレクションに関しても志水さんがエンジニアとふたりでしてくれていて。それがすごくよかった。自分がジャッジをすると、自分のコンプレックスをやっぱり消したくなるじゃないですか。でもそういうコンプレックスが意外と味だったりする。そういう意味でも、自分がジャッジしない方が良いっていう。ここは絶対自分がジャッジしたいっていうところはあるんですけど、全体的には自分じゃない人がジャッジした方が確実に良い。
──具体的には?
越雲:以前はなるべくプラスティックな、無機質な歌にしたかったんです。楽器的な歌が良いと思ってたんですね。たとえばシガー・ロスって歌詞もわからないし、なおかつ高いファルセットの音で繋がっていく歌だったので、ずっと無機質だと感じていたんですよね。でもそれって海外の言葉で意味がわからないから楽器として捉えていただけなんじゃないかと。ちゃんとよく聴くとこういうところに揺れがある、クセがある、要はヨンシーにしか歌えない歌が、ヨンシーにしか出せない情緒があるって気づいたんです。海外の音楽ばかり聴いてきた結果、海外の言葉が無機質なように感じていただけなんですね。それに気づいた時に、自分にしか歌えないものがあるはず、って思うようになって。歌ってやっぱり情緒がいちばん出るところじゃないですか。でも僕が歌うと他のヴォーカリストよりも情緒が出ないので。自分でジャッジするとそういうコンプレックスを消そうとして、どんどん無機質になる。でもそれじゃ良くないから自分で判断しないで他の人にジャッジをしてもらうようになりました。