CROSS REVIEW 1
『痛快に耳から右脳左脳を駆け抜けていく』
文 : 松永良平
UlulUというバンドのことを知ったのは、2018年。3曲入りのEP『話をしようよ』が出た頃だったはず。MVが制作された曲「夕方のサマーランド」が素晴らしく、何かに取り憑かれたような切迫と、同時にその光景を愛すべき懐かしいものとして俯瞰するようなクールさが同居していて、すぐに心を奪われた。
その頃、ぼくがスタッフとして関わっていた配信音楽番組『PARK』(フジテレビオンデマンド)には、メジャー・デヴューしていないがこれからの可能性を感じさせるバンドやシンガーを呼ぶという前提があり、その打ち合わせに彼女たちの名を出した。スタッフたちがバンド名を見た時に「ウルル……」と、つい口にしていたのを覚えている。結果、出演は実現しなかったが、声に出して読みたいバンド名を持っているというのはいいことだ。
あれから4年。彼女たちから新たな音の便りはなかったが、ようやくのファースト・アルバム『UlulU』を聴いた瞬間、思った。待っていた甲斐があった。オープニング・ナンバーの「せかいを」は1分ちょっとの曲だが、このバンドの良さが全部出ているのではないだろうか。シンバルの音が、この曲をこれから聴くすべての「わたし」の耳元で平等にやかましい。終わっても終わっても何度でもまたなにかが始まる目覚まし時計みたいなファンファーレ。「おい、わたし、目を覚ませ」と。
大滝華代(ギター)、古沢りえ(ベース)、横山奈於(ドラムス)のアンサンブルにはスリーピース・バンドとしての潔さがしっかりとあるし、すごく練り上げられていることもよくわかる。バンド全体が曲を理解し、練習を重ねないとできない絞り込まれた音。ロック的な快感だけに甘えず、自分と向かい合ったうえでの詩情を持つ言葉。音源のない4年間でバンドがずいぶん先に進んだことは、「3分間だけ愛されたい」から、痛快に耳から右脳左脳を駆け抜けていくこのアルバムでよくわかる。デビュー・アルバムにしては出来すぎなくらいだし、このバンドならきっと時間にとらわれずにすくすくとやっていけるだろう(〈NEW FOLK〉にはそんなバンドが多い)。
ところで、バンド名のUlulUで想像することがいくつかある。ロック・ファンなら、ネイティヴ・アメリカンのアメリカン・ロッカー、ジェシ・エド・デイヴィスのゴツゴツと荒っぽい優しさが染み出したセカンド・アルバム(1971年)のタイトルとして思い出す人もいるかも。あるいは、あのときテレビ局のスタッフが思わず口走った「ウルル」という語感に宿る、心の狼の唸り声みたいな感覚。そして、最後は、この“UlulU”というアルファベット表記のかたちが、彼女たちがスリーピース・バンドとしてステージにシュッと立っている姿(3人と2本のマイクスタンド)なのではないかという妄想。
この堂々としたファースト・アルバムを聴いて、その想像(妄想)は全部当たってると、ぼくはいま確信しているところだ。

松永良平
ライター。1968年熊本県生まれ。2019年末『ぼくの平成パンツ・ソックス・シューズ・ソングブック』(晶文社)刊行。
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