RECORDING REPORT

どんな場所で歌っても当たり前のように、彼女の歌はごく自然に日常に寄り添っている
平賀さち枝が、11月20日に三鷹天命反転住宅でDSDレコーディングを行った。新宿から郊外へ30分ほど電車に揺られ、さらに15分ほどバスに乗る。すると、大通りに面した住宅街にひと際カラフルな建物が目に飛び込んでくる。赤、青、黄、緑、紫、茶色、ピンクなど、住宅街に存在するにはあまりにも奇抜な色合い。これが、今回レコーディングを行う三鷹天命反転住宅だ。こちらは全部で9戸の集合住宅になっており、宿泊、見学用の2戸以外はすべて人が住んでいるらしい。実際、ほかの部屋の入り口には表札もあり、なんとも不思議な雰囲気を醸し出していた。我々が借りている部屋へと向かう。

なかに入ると、まず驚いたのは家全体が丸くなっていることだ。中心に掘り下げられたキッチンがあり、それを囲うように4つの部屋がある。畳の部屋、寝室、シャワー・ルーム、そしてなにに使うのかまったくわからない黄色一色に塗りつぶされた球体の部屋。部屋ごとの仕切りがないオープンな空間。天井は高く、床はデコボコで岩のようになっている。家というよりは、宇宙船のコックピットか、月面に建てられたシェルターのような空間だ。先に到着していた平賀さち枝は、畳の部屋でくつろいでいる。意外なほどにこの空間に馴染んでいるように見えた。
レコーディングは、この家独自の音感を出すために、もっとも奇抜な丸い部屋で行うことになった。こちらは、当然のごとく床も天井も丸い。平賀がなかに入ると、滑ってしまい立っているのも精一杯という感じ。しかし、次第に座ったり寝転んでみたり、彼女はこの独自の空間を堪能しているようだった。試しに、部屋の中心で座りながら歌ってみる。反響音がすごい。ギターの音が籠ってしまうということで、結局、部屋の前で黄色い球体の空間に向かって歌うことで落ち着いた。マイクなどの機材をセットする。近くで工事があり、ドリルの音が鳴り響くというハプニングがあったものの、その終了を待ってレコーディングはスタートした。
平賀が「希望にあふれた雨雲でいっぱい」を歌う。優しい歌声が鳴り響く。我々は、キッチンのまわりで思い思いの場所に座り、それに聴き入る。小さな音も拾われてしまうため、音を出すことは許されない。なので余計に、いつも以上に歌を集中して聴いていた。「Loving you」「眠ったり起きたり」と、順調にレコーディングは進んでいく。こうして改めて彼女の歌を聴いていると、「日常」という言葉が頭をよぎる。こんな不思議な空間で歌っているのに、彼女の歌はとても等身大で自然体。我々の場所からは背中しか見えないため、表情はわからないが、まるで自分の部屋で歌っているかのように安らかに歌っている。後のインタヴューでも語られているが、どこで歌うかは彼女にとってあまり関係がないようだ。どんな場所で歌っても当たり前のように、彼女の歌はごく自然に日常に寄り添っている。

「江の島」は、CDの軽快なテンポとは違いゆったりと歌われた。はじめは緊張感のなかで聴いていた我々も、この頃にはなんだかとても穏やかな気持ちにさせられてしまっていた。しばしの休憩を挟んで歌われた「いつもふたりで」も、「江の島」同様にゆったりとしたアレンジ。最後に「恋は朝に」を歌って、レコーディングは終了した。全部で1時間ほど。やり直した曲もあったが、ほとんどの曲は2テイク以内でOKとなった。とてもスムーズなレコーディングだった。レコーディング終了時にはちょうど日が沈む頃で、天命反転住宅の極彩色と夕日の暖かさが心地良いコントラストを生みだしていた。
初台にあるKIMKEN STUDIOに移動し、その場でマスタリングを行う。完成された音を聴くと、やはりそこには平賀の日常がつまっていた。コンクリートがむき出しになったスタジオで聴いていても、まるですぐそばで歌っているかのように、穏やかな平賀の歌声がすっと心に沁み込んでくる。彼女の歌には、まわりのすべてをほっこりとさせてしまうような暖かさがある。それは歌だけでなく、彼女自身の魅力なのかもしれない。レコーディングの合間にうれしそうにお菓子をほおばる彼女の姿を見ていると、それだけで穏やかな気持ちにさせられてしまった。『平賀さち枝と天命反転住宅』には、そんな空気がそのままパッケージされている。それをリアルに味わうことができるDSDで、ぜひとも彼女の歌を聴いてほしい。きっと、平賀がすぐ隣で優しく歌っているような気持ちになってしまうことだろう。
INTERVIEW : 平賀さち枝
――今日録音した天命反転住宅は、その名のとおり普段は住宅として使われているんですよね。
そうなんですね。なんか、あそこに住んでる家族はすごく幸せそう。私も住んでみたいな。でも、どんな人が住んでるんだろう。
――想像できないですよね。平賀さんの部屋は、普段どんな雰囲気なんですか?
なんのこだわりもなくて、本当に必要なものだけ置いてある感じかなあ。そんなに置き場所がないから。
――天命反転住宅も、収納スペースがほとんどなかったから丁度いいかもしれないですね(笑)。
収納なかったですね(笑)。床もでこぼこだったし。でも、真ん中にキッチンがあるのがいいなと思いました。お料理しながら全体を見渡せるのがいいなって。綺麗だったし、住みにくそうな感じでもなかったかな。

――平賀さんはかなりいろんな場所でライヴをやられていますが、歌う場所によって気持ちは変わりますか?
場所が違ってもマイクや機材があればどこでも一緒ですね。だから、場所によって気持ちが変わるというより、その場所に機材があるかないかとか、お客さんの雰囲気とかで変わるほうが多いと思います。
――いままで歌った場所で、「これはすごい」って思った場所はあります?
昔は八百屋とかで歌ったなあ。その八百屋の人が音楽を好きな人だったので、店先でちょっと野菜をどけて歌いました。ファースト・アルバム(『さっちゃん』)を出す前ですね。YouTubeにもそのときの映像が上がっていますよ。
――八百屋で歌うのは珍しいですね。
でも、場所よりもそのときのライヴがどんな気持ちだったかっていうのが印象に残りますね。歌うのは、やっぱりライヴ・ハウスが好きです。
――そういう意味で、1番印象に残っているのはどのライヴですか?
1番強く残っているのは、今年の春に大阪の梅田ムジカジャポニカでやったワンマンですね。そのときはツアー中だったんですけど、まったく声が出なくなっちゃって。普通の話し声も出ないくらいだからもちろん歌えないんだけど、持ち時間も2時間くらいあって、ソールド・アウトしてたからいっぱいお客さんも来てくれていて、どうしようって。でも、私は全力で迎えようって思いました。あの日が私は心に残っていますね。
――そのときは、ギターだけで演奏したんですか?
ギター弾いて口パクで歌うんですけど、声が出るところは「あー」って感じで無理矢理歌ったりしました。
――そのあとに、最近もう一度大阪でワンマンやったんですよね。
そうそう。今度はちゃんと声も出てたから良かったです。大阪は好きな場所ですね。
この先も歌い続ける曲だろうなって思ったからです
――今回のレコーディングは、普段のレコーディングともライヴとも違う不思議な感じだったと思うのですが、歌ってみていかがでしたか?
逆にもっとレコーディングっぽくないと思っていたので、意外とレコーディングっぽいなって思いました(笑)。
――普段はギターと歌を別々に録っているんですよね?
最近は先にギターを録って、あとで歌を入れていますね。だから、一緒に録るのは久しぶりでした。
――前にタワーレコード新宿店で公開レコーディングをしたことがあったじゃないですか。今回はあのときに近い感じですかね。
そうですね。でも、あのときはうまく弾けなくてつらかったな。
――やっぱり、多くの人に観られながらレコーディングするのは緊張しました?
緊張っていうかなかなか集中もできなかったし、あのときは精神的にすごく弱かったんですよね。単純に自分の心の状態があまり良くなかった。その日の天気とかにも、すぐに気持ちが左右されちゃうんですよね。本当は良くないことですけど。
――そういう意味では、今日はすごく順調に録れたんじゃないですか? どれも1~2テイクで次の曲に行っていました。
今日はどれもライヴでよく歌ってる曲だったので、歌い慣れていたんです。

――今日やった6曲は、そういう基準で選んだんですか?
そうですね。
――そのなかで、僕は特に「江の島」が良いなと思いました。「いつもふたりで」もそうですが、普段と違うゆったりとしたアレンジで歌っていましたね。
最近はライヴでもたまにあんな感じでやってるんです。ゆっくり歌うとちゃんと丁寧に歌えるから好きなんだけど、長いから眠くなっちゃう(笑)。でも、ああいうふうに歌いたくなるときもあります。
――「Loving you」はこれまで音源化されていなかった曲ですが、あれもライヴでは結構前からやっていますよね。今回この曲を入れようと思ったのはなぜですか?
この先も歌い続ける曲だろうなって思ったからですね。ほかの曲もそうだけど。
――あの曲をやりはじめたのは、前のアルバム『23歳』を出したあとくらいだったと思うんですけど、作ったのもそれくらいですか?
そうです。去年作ったのかな。
――あの曲は、すごく軽やかでかわいらしい曲だなと思ったんですけど、どんなイメージで作りましたか?
恋のはじまりのようなイメージです。
――なるほど。だからすごくピュアな歌詞なんですね。相手とまだ少し距離がある関係というか。
そうなんです。
ここで吐息が入った方がいいなって曲もあるので、そこまで聴こえるのはいいですよね
――平賀さんとしては、今回のレコーディングの満足度はどのくらいですか?
その日の時間とかまわりの状況とか自分の体調とかによって、今日はこれ以上できないなっていうところが毎回あるんです。だから、満足っていうのはなかなかないですね。今日は今日の感じで録って、その結果がこれって感じですね。
――今日のありのままが出ているってことですかね。平賀さんは普段どうやって音楽を聴いていますか?
普通に部屋にあるステレオで流して、スピーカーかヘッドフォンで聴いています。

――iPodとかではなくCDで?
うん、CDで聴くかな。外では音楽を聴かないんですよね。家で聴くときは、ちゃんと歌詞カードを見ながら聴くことが多いです。
――音質とかにはこだわらないですか?
聴ければいいなって感じですね(笑)。
――そうですよね(笑)。今回はDSDという最高の音質と最先端のシステムで録ったらしいんですけど、自分の音楽が高音質で配信されると訊いて、どう思いました?
すごいなーって(笑)。でも、私も聴いてみたいですね。違いがわかるほど耳が良くないかもしれないですけど。
――DSDの音はとても生々しいんですよね。野外で録ったものだと、川のせせらぎや虫の鳴き声がすぐそこで鳴っているように聴こえます。あとは、ギターの音が消える瞬間とか、息を吸う音とかもとてもリアルに聴こえますね。
そっか、そんな小さい音も入っちゃうんですね。じゃあ、弾き語り向きなのかな。
――そうですね。アナログみたいな暖かさもあります。逆に、そんな音まで聴かれてしまうことへの恥ずかしさはないですか?
ないですないです。むしろ息づかいとかが入っていた方がうれしいですね。ここで吐息が入った方がいいなって曲もあるので、そこまで聴こえるのはいいですよね。
――これをきっかけに、オーディオ好きな人たちも平賀さんの音楽に興味を持ってくれるかもしれないですよね。
ああ、そっか。そういう可能性もあるんですね。せっかくなので、綺麗な音で聴いてほしいですね。
文&インタヴュー : 前田将博