COLUMN #2 印象派と4人が共に描く、新たな色彩の音楽
Text by 坂井彩花
アイドルカルチャーに“楽曲派”という言葉が定着して久しいが、まさにAQもそういった文脈に堂々と名を連ねるアーティストだろう。なんといっても、楽曲制作を手掛けているのは、あの印象派である。2010年代の邦楽シーンに接していた人なら、思わず前のめりになってしまうのではないだろうか。
かくいう私も“印象派が楽曲を手掛けるアイドル”というトピックに飛びついた人間のひとり。どんなものだろうと耳にしたAQの1stフルアルバム『S.E.A』は、期待をド直球で貫いてくれる作品だった。印象派と同じ時空に存在しながらも、新たな色彩で描かれていく楽曲たち。そもそも印象派だって、miuが「micaちゃんの声で、生楽器で、サイケやトランスの要素があることをやりたい」と思ったのがきっかけで始まっている。犬麻るか、花灯ぎん、五五五ろく、中島もた、といった4人のボーカルとの出会いにより、個々の歌声を活かした音楽が生まれていくのも想像に難くない。
アルバムから先行配信された「ダリラリラ」は、低温で儚い空気をまとった中島の歌いだしから始まるナンバー。少女たちは声を荒げるでもなく、パワフルに歌い上げるでもなく、独り言のような温度でぽつりぽつりと言葉を紡いでいく。あまりにもピュアな節回しは、素顔の彼女たちにそっと触れているかのよう。ハーモニーやユニゾンで重なる声は切なくも美しく、胸の奥をグッと締め付けていくのである。

一方で「可愛げのないわたし」は、それぞれの声質を存分に味わえる1曲となっている。花灯の凛としたカッコよさ、犬麻のパリっとした色気、中島の内から出る激情、五五五の愚直なまでの真っすぐさ。ギターが掻き鳴らされるバリバリのロックチューンに乗せ、ボーカリストとしての4人の素質を垣間見ることができるのだ。
マニアックなサウンドとポピュラリティーを両立させながら、鋭くもキャッチーな楽曲を生み出してきた印象派が新しい色を手にいれると、こんな世界が広がっていくのか――。AQの楽曲を聴いていると、そんなふうに思わずにはいられない。とはいえ、この世界観が生み出せているのは、AQがAQたらしめているからこそ。
アイドルグループでありながら、顔の全貌がわからないアーティスト写真を使用し、グループのSNSだって頻繁に更新されるわけではない。端的にいってしまえば、SNSを使って集客をしているアイドルが多い時代に、とても攻めた活動スタイルをとっている。そんな彼女たちだからこそ、印象派の生み出す音楽と共鳴し、自分たちのカラーと溶け合わせ、聴く者を魅了することができるのではないだろうか。
そういえば、今作を期にAQは「深海編」を完結し“フジョウ”するらしい。“DEEP DIVER”で音楽の大海原に飛び出した彼女たちが、海(『S.E.A』)から飛び出してくるとは、なんて粋なことか。水面に顔を出したAQが、今後どのような音楽を放ち、どんな活動をしていくのか、『S.E.A』に浸りながら想像を膨らませるとしよう。
