COLUMN #1 “深海”というテーマに貫かれた純度と強度の高い作品
Text by 南波一海
AQの存在を知ったのは、雑誌『BUBKA』の森田編集長と打ち合わせがてらアイドルの新譜や気になる作曲家についてあれこれ話していたときのこと。「きっと南波さんの好きなやつですよ」と教えてもらったので、そのあとすぐにデビューEP「QUES」を聴いたのを覚えている。
「QUES」1曲目の「夢見るサイキック」でサウンド・デザインの隅々まで行き届いた本格的なニュー・ウェイヴをやっていて、歌詞のスムースな語感と合わせ、これは明らかに手練れによるものだとわかった。続く「レディ?」は「マイ・シャローナ」をヘヴィーにしたような曲調で、なぜだか鍋を作る行程を歌っている。シンプルなコーラスとリフの反復を続けながら途中で劇的な変化を起こす「DEEP DIVER」もスリリング。しかも、どれも生演奏だ。ご存知のかたも多いと思うが、アイドル楽曲における生演奏(特にドラム)の比率は高くない。もちろん生演奏だからよくて打ち込みはそうではないというつもりはないが、ともかく、必然があってバンド・サウンドが選択されているのだと伝わるし、3曲を通じて志の高さを否応なしに感じさせる作品になっていた。そこからINSHOW-HAがクレジットされていること、印象派の制作陣が全曲手掛けていることを知り、合点がいった次第である。
2作目のEP「ANS」(「水のないプール」は勝手にAQの代表曲だと思っている)、3作目「SKUMSCAMSCUM」、そしてアルバムからの先行カットを経て、遂に届いたファースト・アルバムが本作『S.E.A』。会場限定のCDが先行販売されており(ほしい!)、このたび配信でもリリースされた。
まずはクレジットを確認しておこう。全ての作詞作曲は印象派。プロデュース及びギターとベースは前田栄達、ドラムは藤井寿光、キーボードは藤井学という印象派チーム。キーボードは曲によってプレイヤーが異なり、藤井が7曲、The Psychedelic MarsのSayaが3曲、きのホ。の作品やライブにも参加しているi-tomaこと伊藤誠人が1曲演奏している。
さまざまな作家陣が提供する形式ではない、という点は言わずもがなAQの大きな特徴のひとつになっていて、それはアルバムにこそ活きてくる。なぜなら、シングルごとにワンショット契約で作家にオファーしていく形式は、往々にしてその作家の最も特徴的かつ典型的な形の曲が求められ、アルバムはそれらが集合したベスト盤のような形になりがちだが、ひとつのチームで進行していく場合は、先を見据えながら、これの次はあれをやろうと挑戦的なアプローチをすることができるからだ。プロデュースを重ねることでメンバーの能力や秘めたる可能性への理解が深まることもクリエイティヴのうえで大きく作用するだろう。かくして『S.E.A』は、“深海”というテーマに貫かれた純度と強度の高い作品になった。

曲単位ではさほど意識していなかったことが、アルバムのピースとなったことで新たな意味をもって立ち上がる瞬間はなんとも言えない喜びがある。デビュー作の最後に収録されていた「DEEP DIVER」が、新たなイントロを加えてアルバムの世界への導入として機能している時点でかなりの高揚感があり、本作の出来は約束されたと言っていいだろう。ここで結論を書いてしまうが、名盤である。
ここから歌詞にあるような海の底へと潜っていくような感覚へと引き込まれていく。タム回しがパワフルでトライバルな「SKUMSCAMSCUM」、ヘヴィでダンサブルな「FANTAStiQUE」、アッパーなロック「可愛げのないわたし」へとなだれ込んでいくのだが、曲順の妙でどれも新たな輝きをまとって鳴り響いている。深海の世界では未知なる宴が繰り広げられている。
印象派の歌詞によるところが大きいのだろう、このグループ特有の軽さと重さ、眩しさとほの暗さを携えながら不思議な舞いは続く。人力ドラムンベースの趣のある「KARUKUMAU」には、“今日も軽く舞う 京を軽く舞う”という古都のグループを体現する歌詞が刻まれている。本作における印象派の言葉遊びもポイントのひとつで、聴くだけでなく読むことでもあちこちに発見がある。人力ドラムンベースの次は人力ブレイクビーツ。グルーヴィーなドラムに必要最小限の手数で絡むベースとギターとオルガンが異常にクールな「ナハトムジーク」。この曲はミニマルな歌とオペラのような中盤の対比もおもしろい。
そして鮮烈なインパクトを放ったデビュー曲「夢見るサイキック」へと続く。どの曲にも言えることだが、AQは声の扱いが巧みで、主旋律とハモを歌うだけではなく、楽器や効果音のように機能させている場面も多い。そうした凝ったギミックを追うのも楽しく、なんというか、いま自分は音楽を聴いているのだという実感を与えてくれる(伝わるだろうか)。逆にギミックなしで歌唱をじっくり聴かせ、メンバーの魅力を引き出すミディアム「ダリラリラ」もいい。
終盤にくるのが先述の「レディ?」。ここにこの曲が置かれることによって、海だと思わせていた場所は、じつは鍋のなかだった……なんてストーリーの大転換を想像した。作品全体にそこはかとなくユーモアも感じ取れるから、ありそうじゃないですか? ないか。あれこれ想像を巡らせることができるという点においても本作は優れたコンセプト・アルバムの条件を満たしている。さておき、パンキッシュでサビが超メロディアスなポップ・ナンバー「水のないプール」で本作はクライマックスを迎える。水辺にいたメンバーが、水のない場所まで浮上してきた、ということだろうか。ラストの「(One More) deep diver」では、これまでの物語が夢だったような可能性も示唆しつつ、曲の最後には再び冒頭へとリンクしていく円環構造に。再び1曲目に戻って聴いてみたくなる幕の引きかたである。
デビューEPの時点でただならぬクオリティを叩き出していたAQだが、ファースト・アルバムは想像をずっと越えていた。それはひとえにAQならびに制作陣の音楽に対する真摯な姿勢が反映されたからに違いない。こうした意欲的な音楽作品が2025年のアイドル・シーンに投じられたことはきっと大きな意義があるはずだ。
