100人に気に入られる曲よりも、たった1人に刺さる曲を

──そんななかで『いちご』を制作するにいたったのは、なぜですか。
けんいち:佐渡島さんが「アルバムを作りましょう」って、突然言ってきたんです。別に流行ってるわけでもないのに、どうしたんやろって思ったら「おめでとうって言ってもらえるじゃないですか。それって、すごくいいと思いません?」って。実際に「9年ぶりにアルバムを出します」と告知したら、ファンの方からたくさん「おめでとう」をいただいて、嬉しいものでした。
──『いちご』というタイトルには、どのような意味がこめられているのでしょうか。
けんいち:いちごには「幸福な家庭」や「尊重と愛情」といった花言葉があるんです。それで、家族や自分のことを歌っている曲を集めました。自分に向けても、尊重や愛情を持てたらいいなという想いもあって。まさに「ブラックペッパーと栗」は、そういったことを歌った曲になっています。この9年間で思考が変わって、自分をすごく大事にできるようになりました。
──アルバムが出来上がってみて、けんいちさんらしい作品になりましたか。
けんいち:今の段階では、自分すぎて外に出すものなんかなってくらい(笑)。人に見せない日記みたいなものです。自分のなかを掘れば掘るほど、個人的な感情が出てくるわけじゃないですか。そんなものを外に出してどうするんっていう思いもあるんですけど……。
矛盾を抱えながらも、自分では「いいな」と思ってる日記を人に見せるような感覚です。同じようなところを掘った経験のある人が「わかる、わかる」ってしてくれたら最高ですね。佐渡島さんが「100人に気に入られる曲よりも、1人に刺さる曲のほうがよくないですか」と話していたんですよ。もしかしたら、そこに繋がるのかもしれないですね。自分を掘った結果、誰か1人に刺さったら、すごく嬉しい。

──以前は、100人に気に入られる曲を目指していた感覚がありますか。
けんいち:完全にそうでした。大勢の前に立って歌っているイメージをしながら、曲を書いていましたし。でも、佐渡島さんと話しているうちに「売れる枚数や聴いている人数は、曲の評価基準じゃない。自分の表現物の評価を、他人に委ねるのはよくない」と思えるようになりました。作品は自分で評価したらよくて、結果は別。全然売れんかったら、ちょっとは凹みますけど、前ほどのインパクトはないですね。作るのが楽しいから、また新しい曲を作って、リリースするまでです。
──では、今のけんいちさんにとって、音楽を作る目的はなんですか。
けんいち:曲作りを通して気づき、新たな知見を得ること。
たとえば、「愛してる」って曲は、親父と母の夫婦関係を見て「お互いに愛し合ってるかわからんまま、生涯を終えるなんて僕は絶対に嫌やな」と書きだしたんですよ。もともとは「生きてる間に」というタイトルにしていましたし、歌詞も「生きている間に愛してるを伝えるような人生じゃないと、僕は絶対に嫌だ」という内容でした。それが曲を書いているうちに、違うと気づいたんです。
もうじき亡くなる親父が「⾵呂場の椅⼦の⾜の裏ちゃんと洗っとけよ」と母親に電話をしてきたんです。その話を妻にしたら、「それってお義父さんなりの、愛してるなんじゃない?」と言われて。「愛してる」と言えない親父にとっては、ワガママを聞いてもらうことが、きっと愛情表現だったのかもしれない、と解釈が変わったんです。
けんいち:もっといえば、どんな人間関係においても、暗号のような愛情表現が含まれているんやろうなと気づくこともできました。「愛してる」って言葉で表す人もいれば、全然そうじゃない人もいる。それって、すごく美しい。「愛してる」を書いたことで、父と母に優しくなれましたし、周りの人の他愛ないやりとりを見て「最高やな」と思えるようになった。
曲作りをすることで、自分や他人、人と人の関係を知ったり、誰かに優しくなれたりするんです。思っていることや心に残っていることをもっと深く考えて、自分のなかで立体的に言語化するために音楽を作っています。
──制作を通して自分自身と向き合う行為に価値を感じているからこそ、他者からの評価に影響を受けなくなったと。
けんいち:そうですね。比べる対象が他人じゃなくなったのは大きいです。僕がこんなに音楽を楽しめている状況って、辞めていたときと比べたらめっちゃハッピーなので、それだけで楽しいんですよ。