
それでも止まなかった音楽への情熱
これほど待たれていた作品もそうはないだろう。タラチネ、約6年ぶりの新作『ビューティフル・ストーリーズ』がとうとう世に放たれることになった。欧米のポップスを咀嚼した粋なソングライティングと同時に、Jポップのど真ん中も射抜けそうな求心力を併せ持ったこのバンドは、本来であれば今ごろ国内音楽シーンで突出した存在感を放っていてもおかしくなかった。しかし前作『世界の歌』をリリースしてからの道のりは決して平坦なものではなかったようだ。メンバー間の衝突と分裂。環境の変化に伴う様々な試行錯誤。それでも止まなかった音楽への情熱。その中でついに生まれたバンド屈指の名曲「百景」。この一気に視界が開けてくるような素晴らしいオープニング・トラックを聴けば、現在のタラチネが最良の状態にあることを誰もが確信できるだろう。今回の取材に応えてくれたのは、ギタリストの柴山元樹以外の5人。苦難の時期を乗り越えた彼らは、この6年間の変遷と、いまこのバンドで音楽を鳴らせることへの喜びを、晴れ晴れとした表情で語ってくれた。
インタビュー&文 : 渡辺裕也
photo by Masahito Ishibashi
約6年振りのニュー・アルバムが登場
タラチネ / ビューティフル・ストーリーズ
ミト(clammbon)をサウンド・プロデューサーに迎えた前作から約6年。メンバー・チェンジや様々な問題を乗り越えて生まれた今作には、思わず口ずさんでしまうようなメロディと温かいサウンド、そしてわくわくするような気持ち、切ない想い、そんないつの時代も変わることのないタイムレスな「ポップス」の魅力の全てが詰まっている。長く聴き継がれることになるであろう名盤。
【価格】
mp3 : 単曲 150円 / アルバム 1350円
WAV : 単曲 200円 / アルバム 1800円
今思えばすべて前向きな動きだったと思います(永田)
――まず率直に聞きます。なぜ前作から6年間もリリースが空いたんでしょうか。
桑原沖広(以下、桑原) : その変遷については、やっぱり永田さんに語ってもらわないと(笑)。
永田大(以下、永田) : (笑)。前作を出した直後から話すと、これからアルバムを売り出していこうっていうときに当時のレーベルがなくなっちゃって。そこからなんとか自分たちだけでがんばらなければいけない期間がだいたい2年ほどあったんですけど、そこでみんなの関係性が悪くなってしまって。しかもその主な原因は僕にあったみたいなんですよね。
岸真由子(以下、岸) : (笑)。そんなことないよ。
永田 : こうして最近インタビューを受けているうちにだんだんと気づいてきて(笑)。いま思うと、当時の僕はものすごくエゴが強い、成り上がり志向になってたんですよね。それこそ前作はミトさんとか、華やかな方が関わってくれたのもあって、ちょっと天狗になってしまったところがあったんです。これで俺たちは音楽で飯を食っていけるなって(笑)。楽曲を作っているのは桑原くんなので、このバンドのキーマンはあくまでも桑原くんなんですけど、調子に乗っていた僕は、ライヴとかでも彼の意向にそぐわないようなことばかりをしていたんです。
――永田さんに限らず、バンドとしても自信を高めていた時期ではなかったんですか。
桑原 : 前作は自分たちがほとんどなにもしていないうちにリリースできる状態になったところがあって、そういう他力本願でなんとかなるんじゃないかっていう思いがきっとあったと思う。レーベルが突然なくなってしまったあとも、その雰囲気だけが残ってしまって、なんでガツンといかないんだろうねって。自分ではなにもしてないくせに。
永田 : そうそう(笑)。

――関係性が悪くなったとおっしゃっていましたが、それでもバンドをやることへの意欲は落ちなかったんですよね。
永田 : でも、そのタイミングで僕は一度バンドと関係が切れているんです。つまり「お前の存在はタラチネにとってトゥー・マッチだ」と(笑)。その頃の僕は演奏に関しても不真面目になってしまっていて。そのタイミングでちょうどドラムのあだち麗三郎くんが抜けて、田中祐司くんが加わってくれることになって。で、音楽的体力を学校の教育でつけている祐司くんが、桑原のよさを外側から評価しながら曲をビルド・アップする視点をバンド内に持ち込んだんです。そうなると僕みたいなスピリチュアル方向というか、技術よりも気持ちみたいな人間は邪魔になるというか(笑)。そもそも桑原君はそういうものに興味がないからね。すごくドライ。
桑原 : まあ、そうだね。なにをしてスピリチュアルと言ってるのかよくわからないけど(笑)
永田 : 桑原くんが求めているのは、あくまでも音楽をきちんとやることなんだっていうことが、祐司が入ったことで明確になったんです。そうなると僕はその場の雰囲気にそぐわないから、自然とライヴもスタジオも呼ばれなくなって、まさに干されたんですよね(笑)。なるべくしてそうなったというか。
――メンバーを代えてでも、創作意欲に忠実でありたかったと。
桑原 : そもそも僕は多作な方でもないので、どちらにしても早いペースでアルバムを作ったりはしなかったと思うんですけど、曲を書く気力がなくなったことはこれまでないんです。そこに関しては特に盛り上がりもせず、淡々とやってきた感じがあって。それは音源を出そうと出すまいとあまり変わらないことですね。やっぱり自分にとって一番嬉しいのは曲ができた時で。あとはそれをメンバーに持っていって、彼らのリアクションを聞くときがピークなんです。もちろんこうして音源を完成させることができたのも嬉しいことですけど。
永田 : だから、リセットだよね。さっきの僕が干されたっていうのも、桑原くんがきちんとバンドの主導権を握るために必要だったアクションだったというか、今思えばすべて前向きな動きだったと思います。

――アレンジにいたるまでの作業は、桑原さんが比較的すべてコントロールされるのでしょうか。
桑原 : 僕は委ねているつもりだけど、どうなんだろう。
永田 : メンバーによって彼なりにやりとりを変えているところもあると思う。僕の場合はガツガツ言われると萎縮しちゃうので、はじめはけっこう泳がせてくれるんです。でも好きなようにやってもだいたいOKはでないので、最終的には折れるというか(笑)。で、アレンジのキーマンがギターの(柴山)元樹くんなんですけど、彼は逆にすごく従順な桑原の使徒で、桑原が喜ぶことを生きがいとする男なんです(笑)
たなかけん(以下、たなか) : (笑)。本人がいないところでそんなこと言って大丈夫なの?
永田 : いや、ホントホント!これは本人から聞いたから。エゴがないというか、きちんと人のために働ける男なんです。
岸真由子(以下、岸) : 私も人から言われたことをすぐにぱっとできるタイプではなくて。それに、もともと私はバンド経験ゼロのところから桑原くんに誘われたので、最初は言われるがままにやっていた感じだったんですけど、続けていくうちに自分でもやってみたいことがたくさんでてきて。最近は曲のイメージを伺いつつ、まずは自分の思うように演奏して録ったデモをプレゼン資料としてバンドにもっていくようなやり方ですね。
――桑原さんが岸さんをバンドに誘った経緯も教えていただきたいです。

桑原 : えっと、僕は大学生の時にこれとは別のバンドをやってたんですけど。
岸 : それも永田くんと一緒にね(笑)。
桑原 : (笑)。そうそう。で、そのバンドがいまいち鳴かず飛ばずな感じだったので、なにか新しいことがやりたいなと思っていた時に、ピアノが弾けて音楽もけっこう聴くという彼女とたまたま同じゼミで出会って、それで誘ったんです。
岸 : とは言っても、私もちょっとピアノを習っていたくらいで、音楽はあくまでもリスナーとして好きなだけで、やる方には特に興味がなかったんです。
―――聴いている音楽に共通項があったんですか?
桑原 : それもあんまりなかったよね(笑)。彼女がよく聴いていたのは、それこそ渋谷系とか、フレンチ・ポップ、ネオアコとかで。
岸 : ちょっと、それだけじゃないよ(笑)。
桑原 : で、そのあたりの音楽って俺はまったく知らないところで、むしろ当時はあの爽やかな感じに「チクショー!」と思ってたんですよね(笑)。それよりも俺はブリット・ポップだったり、マーキュリー・レヴとかフレイミング・リップスなんかを聴いてたから、もっとがつんとしたものじゃなきゃっていう気持ちがあった。そんなアコギ鳴らして爽やかにやってる音楽に負けるかって。
出川美樹子(以下、出川) : いまアコギしか弾いてないじゃん(笑)。
桑原 : (笑)。横須賀にいたから、渋谷への憧れが半端じゃなかったんだよ。でもそこで同じ服を着てもそうはなれないから、ひがみみたいなものがあったんだろうね。「俺はセブンス(コード)じゃないんだよ!」みたいな感じで。今やってる曲、ほとんどセブンス使ってるんだけど(笑)。
一同 : (笑)。
バンドを始めて15年目にしてやっと知ったような感覚(桑原)
――つまりタラチネを組むにあたって、ある程度の音楽的な指針は最初から決まっていたんですね。
桑原 : とにかくまずはピアノが欲しかったんです。ピアノと歌でやりたかった。
永田 : で、そうなるともともと僕とやっていたバンドは放っとかれることになって。つまり僕はその時点でも一度干されているんですよね(笑)。
桑原 : もうそっちはいいやと思って(笑)。
永田 : それでまた僕がそっちに押しかけていくっていう。
――(笑)。それだけ永田さんは桑原さんと一緒にやりたいという気持ちが強いんですね。
永田 : そうですね。とにかく彼の曲は抜群にいいので。そこの魅力につきますね。
桑原 : ちなみにそのひとつ前にやっていたバンドは、1曲が15分くらいあるような感じで。しかもそれがどこで終わるかも決めてないっていう(笑)。
永田 : それを15分に引き伸ばして嫌がられていたのが僕で(笑)。
桑原 : それがスピリチュアルってことでしょ。空気で終わるみたいな感じね。同じことを繰り返してはいけないとかの変な縛りもあったよね。俺はそういうのがまったくわからなくて。

――つまり桑原さんの音楽的な趣向性に従っているバンドは、あとにも先にもタラチネだけということですね。
桑原 : そうですね。でも、そのやりたいことをちゃんとやれたのは、それこそこのアルバムが初めてだと思う。
――前作においてはまだ物足りないものがあったということ?
桑原 : それは俺の力量が足りなかったというのがまず大きいし、はっきりと自分たちのやりたいことが見えてなかったというのもありますね。それでも作った当初はそれなりに満足していたんですけど、今考えるとなかなかそうとも言えないところはあって。あと、これは年齢もあるのかな。ちょっと小難しいことやってびっくりさせよう、みたいな気持ちは自然となくなっていって。前のアルバムを出してからもずっと曲は作っていて、いろんな曲をボツにしていくなかでようやく「出来た!」と思えたのが“百景”という曲なんです。あれはそれまでだったら絶対にやってなかったような曲で。アコギのストロークで、すぐに歌が入ってきて、わかりやすいメロディがあってっていう。そういうのはかっこつけて避けてたんだけど、やっぱりこれをバンドでやりたいなと思って。ミキティとけんちゃんも「あの曲いいね」って言ってくれて。バンドがなかなか進まない時も、まわりのみんなが「百景」をいいと言ってくれるのが励みになってたところはありました。
――出川さんとたなかさんはどんな接点からこのバンドに加わることになったのでしょう。

たなか : もう7、8年前になるかな。僕のバンド(百景)がまだ大阪で活動していた時に、タラチネが大阪に来て一緒にやって、それから仲良くさせてもらってて。それからは僕らが東京に出てきてリリース・パーティをやる時なんかもタラチネに出演してもらったりしてたんです。そうした縁から、祐司くんが抜けることになった時に誘ってもらえて。で、さっきの「百景」っていう曲なんですけど、僕らが東京でタラチネと一緒にライヴをやった時に、「この曲、タイトルがまだ決まってなくて、歌詞のイメージからすると“百景”っていう言葉がすごくしっくりくるんだけど、使っていい?」と聞かれて(笑)。で、その日に「今日からこの曲は“百景”というタイトルになりました」ってMCで言ってたんだよね。
出川 : 私、たぶんそのライヴ観てた(笑)。大爆笑して帰ったのを覚えてる。私は前のドラムだった田中祐司くんがベースで誘ってくれたんだよね。
桑原 : そうそう。ベースを別にしたいということで彼(永田)にやめてもらって、その後にサポートで別の人に入ってもらったんですけど、あまりうまくいかなくて。そのタイミングでたまたま祐司と知り合いだったミキティが、サポートだったらということで加わってくれることになったんです。
――プレイヤーとしても、出川さんにいい手応えを感じたんですね。
桑原 : 手応えがあるもないも、それまでの僕は彼(永田)のベースしか知らなかったので。
永田 : (笑)。
桑原 : だから、決められたことをきちんとやってくれるベーシストというのがまず新鮮でしたね(笑)。あと、ミキティと祐司くんは「ちゃんと練習する」という文化をこのバンドに持ち込んでくれたんです。それは本当に素晴らしいことでしたね。「バンドってこういう風にやるんだ!」って、バンドを始めて15年目にしてやっと知ったような感覚でした(笑)。それで6人のメンツが固まってきたところで、リリースできるあてもなにもないけど、レコーディングして音源を作ってみようということになって。
永田 : それは桑原のなかでとにかくいま作品を残したいっていう気持ちが大きかったからじゃないの? これが最後になるかもしれないって。
桑原 : あぁ、それはあったね。もう無理かもしれないって。
永田 : この6年の間に家庭を持ったメンバーもいるし、なかなかバンドばかりをやれる状況でもなくなって。その中で先ほどの「百景」っていう曲ができて、桑原も今が一番やりたいことができているっていう手応えを感じていたと思うんです。ここで悔いの残らないものをきちっと録音して世に出したいとは、少し話してたよね?
桑原 : そうだね。このバンドはもともと古い付き合いのやつもいれば、ミキティや祐司みたいに忙しい中で時間を割いて僕らに付き合ってくれる人もいて。そういう状況でなにも残せないのはいやだなと思ったんです。
岸 : 私も柴山くんにそんなことを話していました。まさにそういう気持ちでしたね。これで最後かもしれないからできることをやろうねって。

――レコーディングが終わってから、もうそれなりに時間が経ってるんですよね? もしかすると桑原さんの作家としての気分はこの作品からまた少し変わってきているのではと思ったんですが、どうでしょう。
桑原 : 正直それはそうですね。それに、このアルバムのことも振り返るほどにはまだちゃんと聴けないというか。こうしたらよかったっていうところもきっと見つかりそうだし(笑)。
――つまり、これで最後かもしれないというアルバムを作ったところから、次にまた気持ちが向かい出しているっていうことですよね。
桑原 : そうですね。だから、この次が最後になるのかもしれない(笑)。単純に、このアルバムは祐司くんにやってもらったけど、ここ1年はけんちゃんとやってきたので、今度はけんちゃんのドラムで録りたいっていう気持ちはあります。新しい曲も作っていますし、それをまたみんなに聴かせてアレンジしてもらいたい。
――今回のアルバム・タイトルを『ビューティフル・ストーリーズ』に決めたのは?
桑原 : 「ビューティフル・ストーリー」という曲があるんですけど、他の曲も基本的に主題がそれほど変わらないので、だったらどれも“ビューティフル・ストーリー”というタイトルでかまわないなと思ったんです。作品集じゃないですけど、そんなタイトルにしたかったというか。
――主題が変わらないというのは面白いですね。つまり作家として表現したいものがほぼひとつに定まっているということですよね。
桑原 : 僕が体験してきた風景なりの美しいものを歌にするということですね。郊外のベッドタウン的なところに生まれて、学業や就職のために都心まで出てきた人たちが数十年間の日常生活のなかで目にするような、なんてことないものの美しさを歌にするというのが、僕の楽曲の主題です。個人的になりすぎず、みんなが入り込んでいける曲にできるような工夫はしますけど、基本的にはそれだけです。

――こうして作品をリリースして、これが最後かもしれないというところからバンドがまた一歩前に進んだところで、みなさんがいまタラチネというバンドにどんな未来を見ているのかを最後に教えてください。
出川 : ここまで3年ほど一緒にやらせてもらって、こういうと偉そうですけど、このバンドはすごく成長したと思うんです。作品を録って世に出すという使命感を叩き込んで、それにしっかり応えてくれたなと(笑)。
桑原 : ありがとうございます(笑)! でも、それは本当にふたりに負うところが大きいです。
出川 : それでも成長できないバンドってすごく多いと思うんですよ。でもタラチネはそうじゃなかった。作品はもともと素晴らしいんですけど、その見せ方や表現の仕方はまだまだ伸びしろがあるバンドだと思っています。
たなか : これから新しい曲をまた次の作品につなげていくことを考えたとき、音楽的なところはもちろんですけど、現メンバーの体制でどう見せていくかっていうことをさらにもうひとつ進めていけそう手応えがいまはあります。意識がまた外にむき出しているのがすごくいい状態だなと思って。
永田 : 僕はそれこそ2回干されたけど、今はもう真剣ですよ。
出川 : (笑)。干されたっていうけど、彼のメロディオンは本当にいいんですよ。
たなか : 腐れ縁でも絶対に必要なんだよ(笑)。この人のパフォーマンスはすごくタラチネにとって必要なものだって、ライヴを観ながらずっと感じてたから。
岸 : 私だって常にそう思ってるよ(笑)
永田 : 泣けるわぁ。
桑原 : それくらいにしときなよ。あんまり褒めてもだめだから(笑)。
永田 : (笑)。今は限られた時間でこうしてみんな集まってやってて。スタジオが終わってよく桑原と二人で話すのが、それぞれが仕事や家庭を持ちながらも、ここまで真剣に打ち込めるものがある状況って、まわりを見渡してもきっと得難いものだよねってことで。それって単純に嬉しいことだから、これからもずっとこの気持ちを大切に持続していきたいんです。
岸 : もともと私は桑原くんの書く曲が好きで。なによりも歌詞は、身近にこんなすごいものを書ける人がいるんだって驚いたのを今でも覚えています。紆余曲折はあったけど、それでも私たちがタラチネとして目指している音楽が素晴らしいものだっていう確信だけは変わらなくて。それが今やっとこうして音楽的にも少しずつビルド・アップできて、アルバムをリリースさせてもらえるようになってから、徐々にまわりからもそれを認めてくれる声が増えてきた気がしていて。こういう手応えは10年間続けてきて初めてのことなんです。だからその輪がもう少し拡がっていけばいいなと今は思っています。
桑原 : 10年くらいこのバンドをやってきて、個人的にも成長できたと思ってます。今から考えるといろいろ迷惑をかけたこともたくさんあったけど、それでもこのバンドをよくしていくためにお互いを尊敬し合いながら議論できるようになってきた。それもこのバンドでなにかをやり遂げることにすごくやりがいを感じるからで。それを可能な限り長く続けていけるように、やるべきことをやっていきたいと思ってます。

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LIVE SCHEDULE
2012/7/17(火) 渋谷duo MUSIC EXCHANGE
PROFILE
タラチネ
2002年結成の6人組バンド。桑原が綴る日常を切り取ったユニークな歌詞、桑原の温かい歌声と岸の透明感のある女性ヴォーカルが紡ぐグッド・メロディー。 そして、ギター、ピアノ、メロディオン、アナログ・シンセを用いた独自のバンド・サウンドによる、表情豊かで多彩なアレンジが特徴。現在は、リズム・セクションに出川美樹子(from texas pandaa)と、たなかけん(from 百景)を迎えた総勢6名で活動中。 2006年にミニ・アルバム『桃源郷』をリリース。その後クラムボンのmitoをサウンド・プロデューサーに迎え、シングル『MELLOW GOLD』、1stアルバム『世界の歌』をリリースしている。 また、2011年5月に発売されたmitoの作品集『mito archive 1999-2010』に、「愛の花」(『世界の歌』収録)と、岸が歌唱参加し話題となったmitoによるUR賃貸のCMソング「My Grandfather’s Clock(大きな古時計)」が収録されている。