
頭一つ飛び抜けた新しい才能のデビュー
女性アーティストが活況を見せる2012年の音楽シーンにおいて、頭一つ飛び抜けた新しい才能を持ったシンガー・ソング・ライターがデビュー。その名は、南壽(なす)あさ子。風景画家である祖父の苗字を拝借したということからも分かるように、情景が浮かぶ歌詞、そして淡い描写が印象的です。透明感を持った歌声が美しいメロディと共に綴られています。伸びしろに満ちた可能性に溢れた彼女を、OTOTOYで大プッシュいたします!!
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2012年4月4日に、ライヴ・ハウスと一部店舗のみで発売された、南壽あさ子のデモ音源『回遊魚の原風景』。300枚限定の同作品はあっという間に完売してしまい、今では手に入れることは困難になっています。なんとOTOTOYでは、デモ音源に収録されている表題曲をフリー・ダウンロードでお届けしちゃいます! 1週間限定ですので、お見逃しないように!!
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期間 : 6/8〜6/14
南壽あさ子 / フランネル
幼少の頃からピアノを、20歳の頃から作詞・作曲を始め、2010年より都内のライヴ・ハウスで弾き語りを始めた南壽あさ子。プロデューサーに湯浅篤を迎え制作されたデビュー・シングルは、透き通るヴォーカルとメロディから情景が浮かぶ、物語性を持った作品となっています。
1.フランネル / 2.例え話 / 3.星のもぐる海
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南壽あさ子 INTERVIEW
シンガー・ソング・ライターにしろ、バンドにしろ、アイドルにしろ、なんだか最近は女性の活躍ばかりが目立つな…なんて思う中、またしても期待の女性シンガー・ソング・ライターの登場だ。それがシングル『フランネル』でインディーズ・デビューを果たす、南壽(なす)あさ子である。透明感抜群の歌声と、フォーキーな美しいメロディで綴られる淡い情景描写は、フェイバリットに挙げる荒井由実にも通じるもの。また、作品全体から感じられる「心もとなさ」は、思わず「守ってあげたい」(これは「荒井」じゃなくて「松任谷」ですね)という男心をくすぐられるものでもあるが、その根底には芯の強さがはっきりと感じられるところも実に魅力的だ。今作ではYUKIやいきものがかりなどを手掛ける湯浅篤をプロデューサーに迎え、あくまで弾き語りをベースとしながらも、楽曲のイメージをより広げていることも見逃せない。まさに「原石」と呼ぶのがぴったりの存在だけに、今後彼女の世界にどんな色が加えられていくのか、非常に楽しみだ。
インタビュー&文 : 金子厚武
他の仕事には興味も湧かなかったし、考えられなかったんですよね
――小さい頃からピアノを習っていたそうですね。
南壽 : 幼稚園の頃から習っていたんですけど、それよりも前に歌が好きだったんです。ピアノを弾き始めてからは、一人で弾きながら歌うのが快感で(笑)。気に入った曲があればその楽譜を探して…「月刊ピアノ」みたいなものがあるじゃないですか? ああいう雑誌などで、最新のJ-POPとかを歌ってましたね。
――「ピアノを弾く」ことよりも、「弾きながら歌う」ことが楽しかったんですね。人前で歌ったりは?
南壽 : 特定の友達とカラオケ・ボックスに行って、ずっと歌ってることはあったんですけど、そういう場以外では人前で歌ったことはほとんどなかったですね。小学校から音楽部で、中学校が吹奏楽部だったので、もちろん音楽は好きだったんですけど、「歌」っていう方向にはすぐには行かなかったです。

――自分で作詞・作曲を始めるのは20歳からなんですよね?
南壽 : そうです。(その前に)一度書いてみたりはしたんですけど、全然ダメで、才能がないんだと思ってすぐやめちゃったんです。人から曲をいただいて歌うしかできないなって。
――中学校は吹奏楽部で、高校は?
南壽 : 高校は英語部でした。
――そこは音楽じゃないんだ(笑)。
南壽 : 部活が必修だったから何かに入らなくちゃいけなくて。吹奏楽も考えたんですけど、中学3年間でやり切ったと思って。あと、生徒会に入っていたんですよ。
――あ、むしろそっちを頑張ってたんだ。
南壽 : そうなんです。でも、ピアノは習い続けていて、大学で今度は軽音サークルに入るんですけど。
――結構行ったり来たりしてたんだね。ちなみに、小さい頃の「将来の目標」とかって何を書いてたか覚えてる?
南壽 : 「事務」って書いてました(笑)。
――「歌手」とか「アーティスト」じゃなかったの?
南壽 : 一回ぐらい書いたことはあるかもしれないけど、書くとたぶん突っ込まれてしまうので、そういうことは書かないようにしてましたね。
――目立つのが苦手だった?
南壽 : 今こうなってるってことは、自己表現したい気持ちはあったんだと思います。小学校の頃はすごく静かで、中学校の頃でちょっと弾けちゃって(笑)、高校からはその中間の、今の自分に近い感じになったと思います。
――でも、「歌が好き」っていうのはずっとあったわけだよね?
南壽 : ずっと変わってないです。やっぱり家で一人で弾き語りをしてるのが楽しくて…。楽しいというよりも、浄化されるというか。いろいろなことが日々あっても、そこで落ち着きを取り戻すような感じでしたね。いずれは「見つけてもらいたい」っていう気持ちもあったとは思うんですけど、とにかく自分だけの特別な空間っていう意味ですごく大事で、自分にとって欠かせない時間でした。小さい頃からそうだったから、一生変わらないだろうと思うし、逆に言えば、個性とか生きがいみたいなものもそれしかないから、他の仕事には興味も湧かなかったし、考えられなかったんですよね。
――そういう意味で「事務」だったんだ。他に書くことがないから、とりあえず書いとけっていう。
南壽 : そうですね。
歌うことが人の浄化にもなってるとしたら、すごく意味があるなって
――でもじゃあ、大学で軽音に入って、20歳で自分で詞と曲を書き始めたのがやっぱり転機だよね。
南壽 : よく「音大行かなかったの?」とか聞かれるんですけど、私はいろんな人がいる中で、「自分は音楽がやりたい」って言ってたくて、普通の大学に行っていたんです。そこにたまたま気の合うピアノやってる女の子がいて、その子と一緒に何かやろうってなったときに、「曲を書いてみたら?」って言われて。表に出すまでは、客観的に見てどうなのかが全然わかんなかったんですけど、ステージに立つようになって、聴いてもらって、反応をもらうようになってから、「これでいいんだ」と思えるようになりました。

――それまでは、「シンガー・ソング・ライター」じゃなくて、「歌手」っていうイメージだったんだよね?
南壽 : 最初はそうですね。本来だったら、自分で書いた方が自分の気持ちが一番伝わるし、いいと思ってたんですけど、何しろ無理だと思い込んでたので。ただ、人の曲にしても、その曲に共感できなかったら、ものすごく下手になるんですよ。軽音サークルでコピー・バンドとかをしていたときも、「共感してるときとしてないときで全然違うね」って言われたりもしていて。だから、シンガー・ソング・ライターっていうスタイルが自分には合ってたんだなって、今は思ってます。
――自分にとって一番共感できるというか、影響を受けたミュージシャンを挙げるとすると?
南壽 : いいなって思ってるのは、荒井由実さんです。情景描写とかがすごく好きで。母親がすごく好きだったんで、昔からよく聴いてて、それが染みこんでるから、影響は受けてると思いますね。あとは、はっぴいえんどとか、小田和正さんとか。
――それもオフコース時代が好きだったり?
南壽 : そうです(笑)。
――南壽さんの楽曲のフォーキーなテイストっていうのはそういうところから来てるんですね。あと、南壽さんの活動の中で、「旅」っていうのがひとつキーワードになってますよね。
南壽 : そうですね。実際のどこどこに行くっていう旅じゃなくて、人との出会いとか、空想の中での旅とかっていう感じですね。
――そこから受けたインスピレーションが詞や曲につながってる?
南壽 : 実体験とかっていうよりは、想像とか妄想の中で書くことが多いですね。あんまり体験したことをそのまんま書くっていうのはしたくないので、ひとつの作品作りみたいなイメージで曲は書いてます。
――おじいさんが風景画家だそうですが、南壽さんも旅の中で風景を描くように曲を書いてると言えますか?
南壽 : すごく近いと思います。小っちゃい頃からおじいちゃんの絵を見て育ってるので、おじいちゃんが書いてる風景が自分の中には入っていて、それが自然と歌にも出てくるんじゃないかって。表現方法が違うだけで、わりと近いものがあるんじゃないかと。
――あと南壽さんの声ってすごく透明感があって、明るさもあるんだけど、楽曲自体にはどこか陰りが感じられるのも特徴だと思っていて。それは、さっき挙げてもらった荒井由実さんとかの影響もあるんだと思うし、もちろん南壽さん自身の人間性が反映されているってことでもあると思うんですけど、ご自身では「陰り」の部分ってどう感じていますか?
南壽 : 自分では全然わからなかったんですけど、前にも似たようなことを言われたことがあって、それはすごく嬉しいんですよね。単にきれいで終わってるだけじゃないっていう。多分性格的なものが出てるんだと思うんですけど。

――途中でも言ってた「浄化」するような感覚が今でもありそうですよね。
南壽 : そうですね。そのために歌っているし、作るときも似たような感覚かもしれないです。ちょっとモヤッとした感情とかも、歌えば水が流れるみたいに流れていく気がするんですよね。それをライヴとかで歌うと、自分もそうなってるのに、聴いてくれる人も同じようなことを言ってくれたりして、それってすごく人前で歌う意味があるなって思うんです。前までは自己満足でしかなかったし、自己表現だったんですけど、それが人の浄化にもなってるとしたら、すごく意味があるなって。
すがりつきたい気持ちとか、物悲しさみたいなものを表現したい
――うん、まさに南壽さんの曲にはそういう効果がある気がします。じゃあ、具体的な曲についても聞かせてください。今回のシングルの表題曲「フランネル」はいつ頃できた曲なんですか?
南壽 : これは曲を書き始めて2曲目に書いた曲で、2009年の暮れぐらいに書いたのかな?「フランネル」っていうのは、ネルシャツのことだったり、花の名前だったりするんですけど、季節は秋冬をイメージしてて、ネルシャツの似合う季節とか人をイメージして書いたんです。この曲だけじゃなくて、全部の曲に共通して言えることなんですけど、心もとなさとか、すがりつきたい気持ちとか、物悲しさみたいなものを表現したくて。
――確かに、今回収録されてる3曲で描かれてるどの関係性にも心もとなさがあって、ただ同時に「それでも」っていう強さみたいなものもあるなって。
南壽 : ああ、そうですね。寂しさみたいなものをものすごく感じながらも、芯を持って、意志を貫きたいっていう気持ちは、もしかしたらどの曲にもあるかもしれなくて、自分の根底にあるのかなって思いますね。
――「心もとなさ」っていうのは、自分のどういう性格から出てきてるものだと思いますか?
南壽 : あんまりいろんな人にいろんなことをベラベラ言うタイプじゃなくて、特定の心を許せた人だけに話せるっていう性格なので、逆にそういう相手がいないと、バランスが取れないんでしょうね。その相手がピアノだったりもして、ちょっとモヤモヤしたことがあっても、家に帰って歌えば大丈夫みたいな。人でもものでも話しかける相手を自分が必要としていて、それがちょっと欠けたときに、心もとなさを感じるんだと思います。
――そうやって歌うことが、聴く人の心もとなさにも寄り添って、浄化を生むのかも。
南壽 : そうかもしれないですね。私は自分の感情を聴いてもらうっていう感覚も多少はあるんですけど、それをその人に置き換えて、その人の感覚で聴いてもらって、何かを感じてもらえたら、すごく幸せだなって思っていて。
――ああ、南壽さんの書く詞って、ベタな言い方だけど「余白」があるから、聴き手が自分に置き換えて聴くことを可能にしてる詞だと思う。作り始めてから2曲目でこういう歌詞を書けてるっていうのはすごいなって。
南壽 : ありがとうございます。ただ、そういう余白を考えて書いていたわけじゃなくて、元々ストレートにものを言わないんで、遠まわしに言ってるっていうことだと思います(笑)。鮮明というよりは、淡い色の方が好きなんです。絵で言う印象派みたいな。
――おじいさんの描く絵もそういう感じだった?
南壽 : それが意外とそうでもないんですけど(笑)。
――そこは違うんだ(笑)。あと今回のシングルではプロデューサーとして湯浅篤さんが参加されていて、基本的にはあくまで弾き語りをベースにして、そこに色付けをするっていうことを意識的にやってると思うのね。
南壽 : はい、そうです。

――ただ、湯浅さんはJ-POPのど真ん中にいる人で、南壽さんの音楽をこれからどうやってより広めていくかっていうことのやりとりも結構あったかと思うんだけど。
南壽 : まさにその通りで、まずは私が初めてCDを出す、世に出るってことで、自分がピアノの弾き語りなんだってわかってもらえるようなCDにしよう、ということを湯浅さんから提案してくださって。最初は自分の曲に打ち込みとかリズムが入るのをイメージできなかったんですけど、コラボレーションするっていう気持ちでまずは全部お任せして、デモを聴かせてもらったら、すごいぴったりはまってて。さらにそこから、丁寧に話し合いながらひとつひとつ詰めていって、親切に何でも教えてくださったので、私にとってはものすごく勉強になったし、ファーストにふさわしいものになったと思います。
――ここからどんな方向にも行けそうですよね。もっとプロデュースされたものも聴いてみたい気がするし、逆によりシンプルな弾き語りで一枚作るのもありだと思うし。南壽さんとしては、一枚作ってみて、「今度はこういうことをやってみたい」っていうアイデアが現段階で何かありますか?
南壽 : 願望ですけど、バンド形式でやるのにピッタリな曲があったら、人と演奏してみたら楽しいんじゃないかって思ってます。
――ライヴではドラマーの方とやってたりもしてるんですよね?
南壽 : CDの3曲に関しては、そこに入ってる音が頭の中に残っていて、ちょっとでも伝えられたらと思ってドラムと一緒にやってるんですけど、なかなか難しいなって思いますね。
――ライヴは南壽さんにとってどういう場ですか?
南壽 : 楽しいっていう感覚とはちょっと違って、それもまた絵を描くみたいな感じかなって。そこの空気に色をつけられたらいいなって考えながらやってます。やってて気持ちよかったときの感覚が忘れられないというか、それをもう一回感じたいから、やってるっていうのもありますね。
――一人で部屋で弾き語るのとは全然違う?
南壽 : 部屋で歌ってるのも気持ちいいんですけど(笑)、やっぱりちょっと違いますね。ステージっていう空間で、人がいる中で、自分の世界に入っていくっていうのが、新しい感覚だし、すごく刺激的なんですよね。
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1986年北海道生まれの柴田は、2010年から東京・南池袋のミュージック・オルグなど都内のライヴ・ハウスを中心に活動開始。アコースティック・ギターによる弾き語りのほか、ニュー山バンドのメンバーとしてもライブを行ない、現在は高知・四万十に拠点に音楽活動を続けている。浅草橋天才算数塾からのリリースとなる同作には、全10曲を収録。
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PROFILE
南壽あさ子
1989 年3 月6 日 千葉県生まれ うお座 A 型
幼少の頃よりピアノを始め、物心つく前から漠然と、" 私には歌しか無い" と信じて疑わなかった。20 歳の頃から作詞・作曲を始め、2010 年より都内ライヴ・ハウスで弾き語りを始める。南壽(nasu) という名字は、風景画家である祖父の苗字を拝借。情景が浮かぶ歌詞と旋律は、祖父の影響もあるのだろうか。どこかなつかしく、郷愁の漂う空気を纏い、物語を綴っている。
デビュー・シングル”フランネル”はプロデューサーに湯浅篤氏を迎え制作。衣装は谷田浩氏が衣装提供、アドバイザーとして参加。ジャケット写真、アーティスト写真はかくたみほ氏によって撮影された。新進気鋭のクリエイター達が、彼女の歌い創り出す音楽に共感し、集っている。