素っ裸見られてるみたいな人ってメンバーしかいないから

──では、肝心のアルバム制作はいつからスタートしたのですか。
去年の夏です。ライヴしてないともう抜け殻みたいになっちゃって。歌わないとダメだわ、私自身は歌うことがないとなにもなくなるなってことを特に実感していた年だったから、レコーディングは絶対にやりたかったんです。だから、曲はそれまでに作りました。4、5、6曲くらいパパパッと作って。もう慣れていくしかなかったから、段々言葉も出てきた。最初は思考停止みたいな状態で、言葉もでないみたいな。でも、作り出したら意外とポンポンできました。
──曲の作り方は同じですか?
曲作りを変えれなかったから最初は作れなかったんだと思う。私生活があって、メンバーと遊ぶなりライヴに行って地方に行っていろんな人にあったりするなりで、「この人はこう考えてるんだ、ここにはこういう景色があるんだ」って考えていくなかで言葉が生まれて、曲やメロディが生まれるっていう作り方で。それを変えられなかったから曲ができなくなっちゃったのかなと思いましたね。でも、少し前の記憶を思い返したりとか、散歩はできたから公園を散歩してみたりとか。やっぱり自分がこうして欲しかったんだっていう欲求、感情を思い起こすことでしか作れなかったですね。ちょっとした日々の営みとあと猫とか。猫が何を考えているのかとかも考えたりして作ってましたね。だから、ある意味で、記憶をたどるようなアルバムになってるのかなと思う。インタビューとかをする中で、そうなのかなって思えてきた。特に小さい頃の写真集みたいなものを見返すような感覚があるようなアルバムに、個人的にはなったと思うし、来年再来年聴いてもそう思うんじゃないかなと。あのころなにがあったかなってすごい考えちゃう……でも聴き手の方々にはそうあってほしくはないんです。
──アルバムの曲は全部コロナ以降ですか?
半々くらいで、「抱擁」と「手紙」は2019年くらいに、あと「爛漫」と「星占い」もそれより前で、他はコロナのあとです。
──できた曲はそのつどメンバーに聴いてもらうんですか?
ボツにするもの以外、アルバムに入れたいっていう意思のあるものは聴かせます。でも、最終的には自分で決める。アレンジが進んでいたりしても「ごめん今回はやめます」っていうこともある。そのジャッジは自分が家で何回も歌っちゃうかとか、できたって確信があるかどうか。あと詩がとにかく気に入ってるとか、そういう引っかかる部分があればかな。その判断基準は今回も変わらなかったですね。ただ、『燦々』から比べてパーンと明るい曲がないことはわかってました。でも、そういう明るい曲を無理矢理入れようとかも思わなかったし。作れないから作らなーいって感じ。これしかできないからこれしかやりません、だけど暗いアルバムにはどうしてもしたくないから、そこはみんな一緒に考えてもらってもいいですかって。そんな風にやっていきました。
──暗いアルバムになりそうだったと。
なりそうだった、アレンジもどんよりしちゃうときが多くて。それを感じたら、「いやわかるよ、この曲はテンポも遅いし歌詞も暗いからわかるけど、だからこそ希望を感じさせるようなアレンジにしよう」ってことはしつこく言ってました。いまもいいけどもうちょっと明るくしようって、いつもよりもみんなと話し合いましたね。
──明るくするためのアレンジのアイディアっていうのはカネコさんからも提案するのですか?
私は「もっとパーンとしようよ! もうちょっと陽だまりみたいな感じにしてよ!」みたいなことしか言えないんで(笑)。
──具体的なアイディアは言わない?
わからないんですよ。(メンバーの)本村(拓磨)君とかに甘えちゃってるのかも。みんな景色を共有してくれる人だから、私が例えば「大海原のイメージ」とか言ってもみんななぜかわかってくれる。そこを本村君が言葉にしてくれて、じゃあ林(宏敏)君は12弦使ってみようとか。エンジニアの濱野(泰政)さんがプロデューサーみたいな感じで立ってくれていているので、ドラムはあれにしてみようかとか。みんなが悩んでたら濱野さんが色々提案してくれて、カネコの言いたいことはこうだと思うよとか。みんなでやっていって、違うと感じたら私が「違う! 違うんです」みたいな。
──今作はとりわけ内面の嘘偽りのない思いが言葉や表情に表れているわけですが、赤裸々な感情表現をメンバーと共有することに照れはないんですか?
ないない! だってあの人たちにしか出せないから。デモをスタジオで弾き語りする瞬間は恥ずかしいんですけど、それこそバーンってパンツ見せてるみたいな気持ちになるから。
──そのときみんなどういう反応で聴いているのですか?
私の手元でコードとってくれたりとか。でもそれを何回もやってるから恥ずかしいとかじゃないですね……もうほんと身内ですね。素っ裸見られてるみたいな人ってメンバーしかいないから。私はこういう歌詞を書いてメロディを描くので私の作品を作るし、みんなも自分の楽器を載せることで君たちも自分自身の作品にしてください!って気持ちはある。私のじゃなくてみんなの作品です!みたいな。だから託します!っていう。実際、今回も伊豆で1ヶ月くらい一緒に暮らして、みんなひとり暮らしで孤独だったから。伊豆にはまず1週間行って、東京に帰ってきてから2週間また行ってって感じで録音しました。
──その結果、オーガニックでフォーキーな、非常に温もりのある作品になっています。
そうですね。めっちゃ気に入ってる。
──ロック的な作品ではもはやなくなっている。
自分の性格がもともと不安を抱きやすくて心配性で怖がりで。そういうのがあるからこそ、それをそのまま歌って形にしてもしゃあないと思っちゃう。私が聴いてる人間だったらそこに希望が垣間見得てほしいというか。でも私の気分的には「頑張れ!」っていうのは違くて、ブラインドから光が落ちてますくらいの陽だまりのようなものが存在したら、明日が楽しみになったりするのになって思ったんですよね。それを入れたかった。それがなかったら、私が不安で怖くてプルプルしてるみたいな曲になっちゃう。それは私がやりたいカネコアヤノとは違うっていうのは明確にありました。実は『祝祭』からそういうのはあったんですよ。それが今回は時にそうしようとして。
──でも『祝祭』のほうがある意味で暗いですよ。
『祝祭』『燦々』は「やったれ!」という気持ちがすごく強かったのかも。その肩の荷がようやく少し下りた気がする。わがままに作ってみようかなと。でもそれまで築き上げてきたものがあるから、それはわがままだけではできないなっていうのは思いましたね。
──「爛漫」という曲はコロナの前の曲ですよね。
そうですね。
──あの曲に「わかってたまるか」って表現があるじゃないですか。あれは「やったれ!」っていう時期の名残なのかもしれないですね。
ああ、そうかも! いまだったら出てこないかもしれない。「爛漫」以前のものって自分の中に小さい不良みたいなものを飼っていて、「いけ!」って指示を出して、不良の心でやっていた感じ。自分のネガティブな感情とマジで戦いたかったし、それを励ましたかった。自分で奮い立たせたかったすごく。「調子に乗ってもいいんですよ私!」みたいな。それまでは「やったれ!」って気持ちがほんとになかったから、やってみた。
──今はまた「やったれ!」って気持ちになってます?
ライヴやったらなると思う。その心も私は持っているし、やってみたことでそういう素質があるんだなって気づいた。「“なにくそぼけ!”みたいなのはもともとある人だ、わたし」みたいな。それが言えてなかっただけで、根本的にはそういう気持ちがある人だなって気づいたんですよね。ライヴやってみたらその心は戻ってくる気がしてる。不良帰宅って感じですね。