僕にとってラップすることって、おしゃべりすることに近いのかも

──だからだと思うんですけど、強く決定するような言葉がリリックにない。言葉を換えれば、マッチョな身振りから遠ざかっていくような言葉でできている。それって、ヒップホップ的にはどうなのか、という問いがひとつ。
下田:ラップをする場合には、すべてを断言して繋げていくほうが(言葉を)稼ぎやすいし、ヒップホップを聴いてエンパワーメントされる人は、断言を聴きたいという傾向はあると思います。
──でもそんな人ばかりでもないわけでしょ。たとえば、いま活躍している女性ラッパーって、やはり強さを持っている。自己主張が強くなければいけない、というところがある。別にそれが悪いというわけじゃないけれど、弱い女性だっているはずで、弱い女性のラップはやはり耳に届かない。男性が男性と闘うような形で、女性も闘いを挑んでいるけれど、そうじゃない闘いかたもあるのでは、と。PICNIC YOUを聴いていて思った。断言しない男のラップ、だと思った。
下田:最後の曲「outro」のなかでも、断言していないですよね。選んでいない。断言していないラップらしい、というか。
「良くも悪くも」って言葉
大体いい意味でしか言わないってことは
選べなかったこととかも実は
君が君なことの証だ
(「outro」より)
田嶋:でもこの言葉は、最終的にふり返ってみると「肯定的に物事を捉えたい」、「こうやって生きてきた自分、こうやって生きてこざるを得なかった自分を、最終的には肯定したいし、祝福したい」という気持ちかな。いまの時代は、心ある人ほどシリアスになり、自罰的になり、自己否定してしまいがちだけれど、だからこそ、アルバムの最後にそうした「自分」を肯定する言葉を置いてみました。
──ミュージシャンって、ライヴで強い断言の言葉を吐きたくなるじゃないですか。断言しがちだと思う。でもこのアルバムのなかの言葉は断言の一歩手前で、強さになびかない言葉で出来ていて、僕は信頼できると思いました。
田嶋:たとえばJAGATARAの江戸アケミも「今が最高だと言えるようになろうぜ」(「つながった世界」)とか、つねに断言を回避しようとする気持ちが見え隠れしています。そういわれてみると、自分の歌詞は、話しかけるような口調が多いのかも。「~だよね」とか、聞き手に話しかけるような感じで歌詞を書いている。断言する言葉って、あらかじめ自分のなかで固まっている、人にぶつけるような言葉だと思う。そういう超越的、絶対的なものに音楽のなかで触れたいという気持ちもあるんですけど、僕はコミュニケーションが起こるような言葉を使いたいし、聴いた人のなかでなにかが起きて欲しい。それはまったく別の感情でも構わない。ああ!だから、僕にとって、ラップすることって、おしゃべりすることに近いのかもしれないです。いま気づきました(笑)。

──いまの話につなげて言えば、お二人が聴いてきたものや読んできたものとの、或る意味での「対話」を通じて、お二人が獲得してきたものが、このアルバムのなかにはかなり直接的な形で出ていると感じました。さきほど名前の挙がったJAGATARAとか、ザ・ブルーハーツもそうだし、もうちょっと言えば近田春夫さんの名前も出て来る。近田さんの場合は、ラップのバンド、ヴィブラストーンのほうじゃなくて、ハルヲフォンの名前が出て来る。「調子悪くて当たり前」とか。ブルーハーツだと歌詞の一部の「人間はみんな弱いけど夢は必ずかなう」(「僕の右手」)や曲の「未来は僕らの手の中」。あるいは、フランス文学の系譜だと、セリーヌという作家の名前。ミシェル・ウエルベックというフランスの作家の作品『闘争領域の拡大』は、曲のタイトルになっている。そのあたり、これだけ引用や援用をしている背景は?
田嶋:僕がザ・ブルーハーツのことを出しがちということはあります(笑)。でも僕らの世代にとっては、KOHHがザ・ブルーハーツのことを言っていたのが衝撃だったんじゃないかな。歌詞を引用したりしているのを聴いて、「あ、出していいんだ」と思った。それと、いわゆる“日本語ラップ”の流れ以外のところで自分は音楽をやっているな、という感覚があります。日本のロックを聴いてきたような人たちにも僕たちの音楽を聴いてほしいと思う一方で、そうすると必然的に年齢層が高くなる(笑)。
地下通路落書きはいつ
消される? ぶっ飛び
すぎておれ迷子に
現実のほうが忍者バットリ
組合潰しの◯◯◯◯
潰したての馬刺し食えない
東京 こんなことを言いたい
わけじゃない ハルヲフォン
爆裂都市逆噴射A-GOGO
あいつら支配できない
都会の悪い家族を 俺いま
君と作っているところ
(「I just wanna be 楽しい」より)