そういったものを吹き飛ばすくらいの生命力と、その美しさを絶望の中に見い出せたとき、人はその闇の中から本当に抜け出すことができるのではないだろうか
「格差社会」「勝ち組、負け組」という意識がより顕在化された現代において、その烙印に苦しむ人は決して稀ではない。宗教や占いといったものは、いつだってそういった弱い心につけ込んで来る。しかし、見えないなにかにすがるよりも、そういったものを吹き飛ばすくらいの生命力と、その美しさを絶望の中に見い出せたとき、人はその闇の中から本当に抜け出すことができるのではないだろうか。そんなことを今回の倉内太の新作から感じることができる。
とはいっても、本作、モヤモヤを一気に吹き飛ばすようなダイレクトなエネルギーが全開しているわけではない。例えば歌詞。全編通して今までの倉内太の曲に登場していたような大好きなあの子は存在せず、誰かに向けて一気に気持ちを爆発させていたようなパッションも殆どない。代わりに今作において登場してきた言葉は、薬、介護、病気、徘徊、情緒不安定など、社会的身体的弱者のような人間たちが至るところに見え隠れしているような危ういものである。おそらく倉内の身近にこのような状況下に置かれた人物がいて、彼らにこそ最大の生きる実感と美しさを見出したのではないだろうか。歌い方も今までのように自分の感情を声高らかに歌うのではなく、曲に登場する彼らについて歌っているに過ぎない。しかし彼らは倉内のとびきりの言葉遊びで「沢山の言葉たち」へと変身し、ひとつひとつの曲に散りばめられた。そしてギター以外の楽器や賛美歌のように響くコーラスワークによって、儚くも美しい"生きているということ"が表現されている。
すべて簡単にキッスして色づけ 手を触ってから眠っておしりふきふかれ
ひとり楽しく過ごす迷い人 おしりsingin' あたまdancin'
(「ストーんマウス」)
そこに描かれている人物をどのような人物と特定するには少し曖昧だ。しかし曖昧が故、そこに描かれた世界は自分にも通じるような体験として音楽とともにじわじわと響いてくる。
アルバムタイトルは『ペーパードライブ』。運転を全くしていない人の運転ほど頼りないものはない。過去のバンド・スタイルは封印し、歌と演奏、録音とMIXもすべて倉内独りで行っているため、そこには若干の手慣れていない頼りなさやぐらつきがあり、まるで自分がその車の助手席に座っているような感覚を覚える。だが、そこに曲の世界が合わさって、このアルバムはファンタジーながらもひと際人間味があり寄り添ってくるアルバムといえよう。(text by 藤森未起)