2021/10/07 11:00

あえてのおまかせ状態で作る

──元々あらきさん自身はベーシストなわけですが、今回は1曲もベースとしてクレジットされていないですね。

1曲も弾いていません。絶対に弾かないと決めていたわけじゃないんだけど、今回の作品では、アレンジに自分の好みを入れたくなかったんですね。すべての楽曲で、途中チェックもせず、歌入れ状態にしてから聴かせてください、というオファーを出したんです。そして、提出されたサウンドには絶対に直しを入れないと決めていました。

──なぜそこまで徹底を?

日頃の仕事上で、自分はそんなに素晴らしい能力を持っているわけではないんじゃないかなと思っているので。ベース・プレイヤーとしてもアレンジャーとしても。あと、普段は家で、ギターを弾いたりウクレレを弾いたり、ピアノを入れたりと、完成までのすべての作業を一人でやらなくちゃいけない仕事をいっぱいしており、それと同じことを自分の作品ではやりたくなかったし。

──あえて、おまかせ状態で作りたかったと。

そうですね。そこが頑ななコンセプトでした。完全なおまかせ状態だと、場合によっては、仕上がってきた音が気に入らないという危険性もあるわけですが、今回お願いした方々に関しては、そういう心配は一切なかった。このメンバーだったからこそ、こういう作り方ができたんだと思います。

──一番びっくりしたのが、シジジーズの冷水ひとみさんがアレンジを担当した3曲目「さらば小さな太陽」でした。いきなりハーディー・ガーディーの音が聴こえてきて。

これも90年代にライヴでやっていた古い曲ですね。43微分音オルガンで有名なシジジーズのことは昔からよく知っているし、どんなに変なオケがあがってきても大丈夫ですと冷水さんにはお願いしてたんですが、想像外のミュージシャンが参加していて(笑)。ハーディ・ガーディですからね。

──ルベン・モンテイロ(Ruben Monteiro)というポルトガル人音楽家がハーディー・ガーディーやバーラマ(トルコの小型サズ)やギターを弾き、イスラエルのアーティコッド(Articod)という人がパーカッション。

彼らは冷水さんがネットで見つけてきたんです。コロナ禍でライヴができない中、世界中でオンライン・セッションが盛んになっているみたいですが、冷水さんもそうした動きに敏感で。でも彼女もこの2人とコラボしたのはこれが初めてだったそうで、アーティコッドさんに関しては本名も素性もまったく知らないそうです。エジプトに音楽の勉強に行っていた方(西田ひろみ)と長年シジジーズを組んでいる冷水さんは、発想がやはり違うなと感動的でした。

──メロディがちょっとファドっぽいですが、冷水さんもそこを考慮した上で彼らにオファーしたんでしょうね。

でしょうね。彼女も、私がポルトガルの酒場でこの歌を歌っている情景を想像したそうです。実はこれは、ずっと昔、私がイタリア一人旅から帰ってきた翌日に、南ヨーロッパの景色をイメージしながら作った曲なんです。私はナポリ民謡がすごい好きで。ロベルト・ムローロとか。

やり残した感はないかな

──前作『東京トラッド』は、ポップで外に開けている曲が多かったですが、この新作はミディアム~スロウ・テンポの曲が多く、歌詞もかなり内省的になっています。年齢やキャリアを重ねてきた26年の歳月、そして、コロナ禍の影響など、いろんなことを感じさせられます。

『東京トラッド』の頃は、世に出たいと思ってましたからね。20代とか30代で音楽を作ってる人は皆そうでしょうが。

──「世に出たい」というのはつまり、もっと有名になりたいということですね。

そうですね。もっと人に知られて、曲をたくさんの人に聴いてもらいたいという目的がありました。でも今作には、もうそういう思いはない。自分と同じような年齢の人たちが聴ける作品、落ち着いたものを聴きたい人たちに向けた作品でもいいかなと思いました。あとやっぱり、コロナの影響もあると思います。たとえば4曲目「この歌」は、コロナで外に出られなくなってから作った曲ですし。

──変拍子と不協和音をまとった軽快でジャジーな曲ですが、最終的にはどこかしらオラトリオ的力強さが残る。

人類はとんでもないものに出会ってしまったけど、ちゃんと生き残って勝つぞ、と家の中で思ってきました。若い頃だと、コロナでいろんなことができなくなってしまうとか、そちらの不満がつのっていくとは思うんですけど、私のように歳をとるとそういう不満よりもに、人類とか地球のことを考えてしまって。どんな人が生き残っていくのかな、とか……(笑)。

──『東京トラッド』と『1964』を今客観的に聴き比べて、音楽家としての変化、成熟を自分ではどのように感じますか。

歳をとり、声域が変わったので、頑張って歌うような部分は作らなくなったかな。昔は声がもっと出ていたし、頑張って音を出したいという欲もありましたから。今回はそういうこともなく、熱唱はしてないし。難しいハーモニーや楽器のフレーズを入れて「これが歌えるでしょ、これが弾けるでしょ、私」みたいな気持ちもない。

──もう派手なアピール、自己主張をしなくてもいい、と?

そうですね。自分がすごくできる人間だと見せたい、みたいな気持ちや欲がなくなりましたね。まあ実際は、もっとうまく歌えばよかったのにと思うところもありますが…… 頑張らないということ、技術を見せつけないことが自然にできた作品になったんじゃないかな。

──実際、とても落ち着いて聴けますよね。では、このアルバムに自分でキャッチフレーズを付けるとしたら?

「いつ、終えてもいい」ですかね。明日死んでもいいという。やりきった感といったような大げさなものじゃないんですが、やり残した感はないかなという……。

──ネガティヴな感情も含まれている?

いや、そうじゃないです。今現在において、なんの反省点もない作品というか。

──今ここにいる自分を静かに見つめ、落胆することなく生きる、という気持ちは歌詞の随所にもにじんでいます。

そう、みんな思った通りの人生になってなくても、それでいいという。目指したものと比較しなくていい、今現在こういうものだと示すような、そういう肯定的アルバムだと思います。

──最後に京浜兄弟社のこともちょっと。今回も京浜周辺のミュージシャンが参加しているわけですが、あらきさんも含め京浜関係者に共通する特性や資質って何だと思いますか。

みんなすごくまじめというのがあると思います。約束の時間を守らないとか問題も多々あるけど(笑)、なんというか、せこい人はいないですね。人を利用したり、腹黒かったり、そういう人はいないと。

──まじめというのは、音楽家としての真摯さ、誠実さということ?

そう。みんな音楽に対する探究心が旺盛で、掘り下げるということをずっとやっている人たち。それがたとえば楽器が上手くなるという方向にいかなかったとしても、自分なりに常に掘り下げ続けている。演奏さえうまくなれば仕事が成り立つと思っているような人はいない。

──そういう仲間たちとの出会い、つきあいからの影響は大きかったんでしょうね?

私は中にどっぷりいたわけじゃないけど、京浜兄弟社周辺の人たちに出会えなかったら、今まで音楽を続けてこられたかはわからないですね。音楽家としての自分のすべてと言っていいかもしれない。京浜兄弟社周辺の人たちは皆、「よし、明日からミュージシャンになるぞ!」と決心して音楽家になった人たちじゃないでしょう。単にレコードが好きで、ライヴをやるのが好きで、皆で集まるのが好きで、という状態のまま中年になったのかもしれないけど、それは素晴らしいことだと思うんですよ。

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編集: 河村祐介

アルバム『1964』公式特設ページ

アルバム『1964』のあらきなおみ本人による曲解説や参加メンバーのコメントなどを掲載。 https://www.toyromusic.com/artists/arakinaomi_1964/

PROFILE : あらきなおみ

荒木尚美
Naomi Araki

作詞・作曲・編曲・ボーカル・ナレーション
東京生まれ

多摩美術大学グラフィックデザイン学科卒。
4歳から7歳までピアノのレッスンを受け、以後独学。
幼少の頃からジャズ、ソウル、ポップスに親しみ、中学の頃から自作曲を多重録音するようになる。以後、宅録派として現在も曲を書き続けている。美術大学進学後、当時ヒットしていた「CHIC」演奏のダイアナ・ロスのアルバムに衝撃を受け、エレキベースを始める。学外でバンド活動をするうちに京浜兄弟社の人々と出会い、「もすけさん」「コンスタンス・タワーズ」にベーシストとして参加する。その頃もりばやしみほと知り合い、「ハイポジ」にも参加。
91年 東芝EMIよりデビュー。2枚のアルバムに参加したのちに脱退。92年よりソロとして活動する。当初はホーン・セクション、パーカッションとベース&ボーカルという実験的な構成でライブ活動を行っていた。95年から鶴来正基(key.) 今堀恒雄(gt.)岡部洋一(per.)の編成になり、アルバム「東京トラッド」を発表。
現在はEテレ「みんなのうた」への楽曲提供、幼児番組のための歌やTVCMなどを中心に活動。

【INFO】
■あらきなおみ オフィシャルYOUTUBEチャンネル:
https://www.youtube.com/user/naomiarakin

[インタヴュー] あらきなおみ

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