Title | Duration | Price | |
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オアシス (feat. Shin Sakiura) -- YAMORIShin Sakiura alac,flac,wav,aac: 24bit/48kHz | 03:01 | |
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ギミサモ alac,flac,wav,aac: 24bit/48kHz | 04:36 | |
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ヒラエス alac,flac,wav,aac: 24bit/44.1kHz | 02:53 | |
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アンソロジー alac,flac,wav,aac: 24bit/48kHz | 04:09 |
空間、居場所、空白。そういった、そこにある(あった)何かを表したくて、このタイトルをつけました。誰かといることで生まれるスペース、何かを愛することで育むスペース、失って初めてそこにあったとわかるスペース。聴いてくれた方にとって、そのスペースの輪郭やぬくもりを思い出せるようなEPになると嬉しいです。プローデューサー/トラックメーカーとのコラボで生まれたオアシス(Shin Sakiura)、ギミサモ(PES)、ヒラエス(Riki Azuma)に、自身によるトラックメイク曲"アンソロジー"を加えた力作EPです。たくさん聴いてください!
Discography
『好きなのに、素直になれない』 そんな誰しもが持つ“天邪鬼(あまのじゃく)”な一面をテーマに、ヒューマンビートシンガー・YAMORIが新曲『アマノジャク』をリリース。 本作の主人公は、相手の気を引こうとして、つい素直になれず、意味深な態度を取ってしまう女の子。 気づけば“演じる自分”にのまれ、自分自身の輪郭すら見失っていく——。 そんなアイデンティティの揺らぎを描きつつ、「ちぐはぐで不器用な自分も、それでいい」とそっと肯定するメッセージが込められている。 3作目となる音楽プロデューサー・TAARとの共演は、まさに“音の旅”。 当初はR&B寄りだったトラックが、何度も試行錯誤を重ねるなかで、エレクトロニカ/コラージュ的な質感へと変化していったという。 何層にも重ねられた音のレイヤーと細部へのこだわり、そしてYAMORIの代名詞であるビートボックスの大胆な組み込みが光る、躍動感あふれる仕上がりとなっている。 「根気強く向き合った音には、何かが“宿る”」 そんなYAMORIの言葉どおり、耳を澄ませば何度聴いても新しい発見があるはず。 ねじれた感情もそのまま抱きしめるような、パーソナルに寄り添う1曲が誕生した。
『好きなのに、素直になれない』 そんな誰しもが持つ“天邪鬼(あまのじゃく)”な一面をテーマに、ヒューマンビートシンガー・YAMORIが新曲『アマノジャク』をリリース。 本作の主人公は、相手の気を引こうとして、つい素直になれず、意味深な態度を取ってしまう女の子。 気づけば“演じる自分”にのまれ、自分自身の輪郭すら見失っていく——。 そんなアイデンティティの揺らぎを描きつつ、「ちぐはぐで不器用な自分も、それでいい」とそっと肯定するメッセージが込められている。 3作目となる音楽プロデューサー・TAARとの共演は、まさに“音の旅”。 当初はR&B寄りだったトラックが、何度も試行錯誤を重ねるなかで、エレクトロニカ/コラージュ的な質感へと変化していったという。 何層にも重ねられた音のレイヤーと細部へのこだわり、そしてYAMORIの代名詞であるビートボックスの大胆な組み込みが光る、躍動感あふれる仕上がりとなっている。 「根気強く向き合った音には、何かが“宿る”」 そんなYAMORIの言葉どおり、耳を澄ませば何度聴いても新しい発見があるはず。 ねじれた感情もそのまま抱きしめるような、パーソナルに寄り添う1曲が誕生した。
ビートボックス世界大会「Grand Beatbox Battle 2024」で日本人初の優勝を果たし、今年5月にはテレビ朝日系列『ミュージックステーション』への出演でも注目を集めるヒューマンビートシンガー・YAMORI。 国内外でその存在感を高める中、7月9日(水)にサウンドプロデューサーShin Sakiuraとの三度目の共作によるニューシングル「カクレンボ」をリリースする。 本作は、「見つけたいのは、君の本音。」という一節に象徴されるように、他者との“わかり合えなさ”や“すれ違い”を見つめながらも、その奥にある優しさに静かに寄り添ったラブソング。 YAMORIの柔らかくも芯のある歌声と、Shin Sakiura氏による繊細で温もりを帯びたアレンジが交差することで、聴き手の心にそっと滲むような1曲に仕上がっている。
ビートボックス世界大会「Grand Beatbox Battle 2024」で日本人初の優勝を果たし、今年5月にはテレビ朝日系列『ミュージックステーション』への出演でも注目を集めるヒューマンビートシンガー・YAMORI。 国内外でその存在感を高める中、7月9日(水)にサウンドプロデューサーShin Sakiuraとの三度目の共作によるニューシングル「カクレンボ」をリリースする。 本作は、「見つけたいのは、君の本音。」という一節に象徴されるように、他者との“わかり合えなさ”や“すれ違い”を見つめながらも、その奥にある優しさに静かに寄り添ったラブソング。 YAMORIの柔らかくも芯のある歌声と、Shin Sakiura氏による繊細で温もりを帯びたアレンジが交差することで、聴き手の心にそっと滲むような1曲に仕上がっている。
今回はヒューマンビートシンガーYAMORIとiri,AOなど気鋭のアーティストを手がけるトラックメーカーTAARとのタッグプロデュース曲。 TAARによるアンビエントな響きを持つハウス調のトラックと、自分の淡々とした歌声、オリジナリティでもある声を駆使したビートボックスが融合して、誰も聞いたことのないフレッシュなサウンドとなった。 歌詞については、恋愛に限らず、人との関係性は時に自分でも気づかないほどストレスになっていたりします。大切にしたいという気持ちがあるからこそ、そこに自ら縛られに行ってしまうこともあります。 そこから抜け出していく過程を、終わり際の鬱々とした恋とかけあわせながら、雲を突き抜けるように伸びる建物を表す"摩天楼"という言葉で表してみました。淡々としてるようで少しずつ晴れ渡っていく景色を想像しながら聴いてみてほしいです。
今回はヒューマンビートシンガーYAMORIとiri,AOなど気鋭のアーティストを手がけるトラックメーカーTAARとのタッグプロデュース曲。 TAARによるアンビエントな響きを持つハウス調のトラックと、自分の淡々とした歌声、オリジナリティでもある声を駆使したビートボックスが融合して、誰も聞いたことのないフレッシュなサウンドとなった。 歌詞については、恋愛に限らず、人との関係性は時に自分でも気づかないほどストレスになっていたりします。大切にしたいという気持ちがあるからこそ、そこに自ら縛られに行ってしまうこともあります。 そこから抜け出していく過程を、終わり際の鬱々とした恋とかけあわせながら、雲を突き抜けるように伸びる建物を表す"摩天楼"という言葉で表してみました。淡々としてるようで少しずつ晴れ渡っていく景色を想像しながら聴いてみてほしいです。
YAMORIの"ヒューマンビートシンガー"らしい楽曲。YAMORIのオリジナリティである声を駆使したビートボックスを大胆に取り入れ、サビではメロディを奏でながらビートを打ったり、間奏では畳みかけるように刻んだりと、聴くものに心地いい違和感を与える唯一無二の一曲。そしてレコーディングしたビートボックスはすべてライブでも再現可能というYAMORIのこだわりも詰め込まれている。 また歌詞では"あと一歩踏み切れない男子"のリアルな情景を描いており、"もうしょうがない"というシャレの効いたリフレインとユルめな歌・ラップがトラックの上にふわりと乗っかり、暑い日に聴きたくなる涼しげな脱力感を演出している。 また曲中では2021年の夏にリリースした自身のヒットナンバー"ザンショ"(初めてビートボックスを取り入れた楽曲)をセルフサンプリングするなど、彼自身のアーティストとしてのストーリーや変遷も垣間見える一曲となった。
YAMORIの"ヒューマンビートシンガー"らしい楽曲。YAMORIのオリジナリティである声を駆使したビートボックスを大胆に取り入れ、サビではメロディを奏でながらビートを打ったり、間奏では畳みかけるように刻んだりと、聴くものに心地いい違和感を与える唯一無二の一曲。そしてレコーディングしたビートボックスはすべてライブでも再現可能というYAMORIのこだわりも詰め込まれている。 また歌詞では"あと一歩踏み切れない男子"のリアルな情景を描いており、"もうしょうがない"というシャレの効いたリフレインとユルめな歌・ラップがトラックの上にふわりと乗っかり、暑い日に聴きたくなる涼しげな脱力感を演出している。 また曲中では2021年の夏にリリースした自身のヒットナンバー"ザンショ"(初めてビートボックスを取り入れた楽曲)をセルフサンプリングするなど、彼自身のアーティストとしてのストーリーや変遷も垣間見える一曲となった。
"ヒューマンビートシンガー"YAMORIと、トラックメーカー/プロデューサーのShin Sakiuraのコラボによる本曲は、誰しもの心の中にあるピュアなエリアについて歌う、エネルギッシュなナンバー。 両者のセッションから生まれたトラックはメロウながらも力強く、YAMORIの柔らかくも芯のあるボーカルと絶妙に絡み合っていく。また曲中にはShin SakiuraによってエディットされたYAMORIのビートボックスサウンドが散りばめられ、耳の飽きないユニークな仕上がりとなっている。 YAMORI自身の心情を歌いながらもどこか問いかけてくるようなリリックとShin Sakiuraの遊び心溢れるトラックに耳を澄ましてみてほしい。
"ヒューマンビートシンガー"YAMORIと、トラックメーカー/プロデューサーのShin Sakiuraのコラボによる本曲は、誰しもの心の中にあるピュアなエリアについて歌う、エネルギッシュなナンバー。 両者のセッションから生まれたトラックはメロウながらも力強く、YAMORIの柔らかくも芯のあるボーカルと絶妙に絡み合っていく。また曲中にはShin SakiuraによってエディットされたYAMORIのビートボックスサウンドが散りばめられ、耳の飽きないユニークな仕上がりとなっている。 YAMORI自身の心情を歌いながらもどこか問いかけてくるようなリリックとShin Sakiuraの遊び心溢れるトラックに耳を澄ましてみてほしい。
海→内省とゆるし 自分の海に対するイメージは、楽しいだとか、爽やかだとか、そういうものじゃない。どちらかというと少しシリアスで、測りきれない大きさからくる怖さと頼もしさみたいなものがある。 だから、遊ぶことよりも、静かに眺めていることが多い。大きくて測り知れないものを目の前にすると、自分を少し遠くから眺めている気分になる。時間と空間が少しゆったりし始める。銭湯にいる時と少し似ていて、非日常から日常を省みている感じ。 そうして、自分との静かな対話が始まる。鏡の中の自分を見ているのとは少し違う、どこか鳥瞰的な対話。 最近の悩みや迷い、なんだかわからないけどモヤつく感情の正体、じぶんさえ気付けていない綻びや、背負えてるつもりで背負えていなかったもの。それに気づき始める。それらが解決するわけじゃないけれど、海が持つシリアスな怖さや頼もしさは、そういった感情を炙り出して、受け止めて、流してくれる。ゆるせなかったことが、ゆるせるようになる。自分にとって海は、迷いや悩み、言葉にならない感情をゆるすきっかけになる場所。 ゆるすという言葉にはいろんな意味があるけど、その語源は縄などを「緩める」というところから来ている。解決したり、答え合わせすることとは少し違う。でも現状からどこか違う方向へ進んでいくには必要なプロセスだと思う。 このEPでは、自分が海を見て自分自身や世界へのまなざしを「緩める」ように、この音や言葉を聴いた人が悩みや迷い、言葉にならない感情をどこか鳥瞰的に見つめて、最後にはゆるせるようになればいいと思う。 膿→じぶんへのゆるし 膿は傷口から出てくる。人間の、生々しくて汚い部分。隠したくなるし、自分でも直視するのが憚られる。 でも、膿は闘い終わった白血球や細胞、細菌などが固まったもの。闘いの証でもある。医学的には取り除かなくちゃいけないものらしいけど、心の膿...人間の弱く脆い部分、直視できない部分はそ う簡単に取り除けない。むしろ取り除くというよりは、そのプロセスや傷口ごとゆるせるようになることで、膿んだ状態から抜け出せるのかもしれない。そしてゆるすためには、どのようなプロセスであれ、まずは膿を直視しなくてはならない。見て見ぬふりをしてきた膿、自分さえ気付けていない膿を炙り出して、どんな傷でどんな闘いをしたのか、確かめていく。どんなプロセスでゆるして、答え合わせをしていくかはその人次第。 生→あらがいようのない変化へのゆるし 人は変わらないものがあると安心する。きっとその変わらないものとの繋がりを、たしかめたり、探ったりする必要がないから。そういう繋がりは安らぐから。でも実際は、海も山も、人の心と身体も、人と人の関係も、毎秒微粒子単位で変わり続けている。生まれ変わり続けている。変わらないと思い込んでいるものほど、それが変わってしまった時の綻びは大きい。当たり前にあったものや、拠り所にしていた自分らしさや世界のルール、ずっと一緒にいると思っていた友人や恋人は、それぞれが流れながら揺れ動く"生もの"。だから食い違うし、すれ違う。あらがうことはできない。 だから、その綻びやすれ違いも、ゆるしながら生きていくしかないと思う。諦めに近い、ゆるし。ただ、あらがいながら苦しみ続けるのではなく、変化をゆるして、その儚さに何かを見出すことができたら、少しでも救われるんじゃ無いかと思う。
海→内省とゆるし 自分の海に対するイメージは、楽しいだとか、爽やかだとか、そういうものじゃない。どちらかというと少しシリアスで、測りきれない大きさからくる怖さと頼もしさみたいなものがある。 だから、遊ぶことよりも、静かに眺めていることが多い。大きくて測り知れないものを目の前にすると、自分を少し遠くから眺めている気分になる。時間と空間が少しゆったりし始める。銭湯にいる時と少し似ていて、非日常から日常を省みている感じ。 そうして、自分との静かな対話が始まる。鏡の中の自分を見ているのとは少し違う、どこか鳥瞰的な対話。 最近の悩みや迷い、なんだかわからないけどモヤつく感情の正体、じぶんさえ気付けていない綻びや、背負えてるつもりで背負えていなかったもの。それに気づき始める。それらが解決するわけじゃないけれど、海が持つシリアスな怖さや頼もしさは、そういった感情を炙り出して、受け止めて、流してくれる。ゆるせなかったことが、ゆるせるようになる。自分にとって海は、迷いや悩み、言葉にならない感情をゆるすきっかけになる場所。 ゆるすという言葉にはいろんな意味があるけど、その語源は縄などを「緩める」というところから来ている。解決したり、答え合わせすることとは少し違う。でも現状からどこか違う方向へ進んでいくには必要なプロセスだと思う。 このEPでは、自分が海を見て自分自身や世界へのまなざしを「緩める」ように、この音や言葉を聴いた人が悩みや迷い、言葉にならない感情をどこか鳥瞰的に見つめて、最後にはゆるせるようになればいいと思う。 膿→じぶんへのゆるし 膿は傷口から出てくる。人間の、生々しくて汚い部分。隠したくなるし、自分でも直視するのが憚られる。 でも、膿は闘い終わった白血球や細胞、細菌などが固まったもの。闘いの証でもある。医学的には取り除かなくちゃいけないものらしいけど、心の膿...人間の弱く脆い部分、直視できない部分はそ う簡単に取り除けない。むしろ取り除くというよりは、そのプロセスや傷口ごとゆるせるようになることで、膿んだ状態から抜け出せるのかもしれない。そしてゆるすためには、どのようなプロセスであれ、まずは膿を直視しなくてはならない。見て見ぬふりをしてきた膿、自分さえ気付けていない膿を炙り出して、どんな傷でどんな闘いをしたのか、確かめていく。どんなプロセスでゆるして、答え合わせをしていくかはその人次第。 生→あらがいようのない変化へのゆるし 人は変わらないものがあると安心する。きっとその変わらないものとの繋がりを、たしかめたり、探ったりする必要がないから。そういう繋がりは安らぐから。でも実際は、海も山も、人の心と身体も、人と人の関係も、毎秒微粒子単位で変わり続けている。生まれ変わり続けている。変わらないと思い込んでいるものほど、それが変わってしまった時の綻びは大きい。当たり前にあったものや、拠り所にしていた自分らしさや世界のルール、ずっと一緒にいると思っていた友人や恋人は、それぞれが流れながら揺れ動く"生もの"。だから食い違うし、すれ違う。あらがうことはできない。 だから、その綻びやすれ違いも、ゆるしながら生きていくしかないと思う。諦めに近い、ゆるし。ただ、あらがいながら苦しみ続けるのではなく、変化をゆるして、その儚さに何かを見出すことができたら、少しでも救われるんじゃ無いかと思う。