「まったく理解できない」と「すべてがわかる」が同時に存在する

見汐:日本では、20歳になったら成人式というものがあって、「今日からあなたは大人の一員です」とハンコを押されます。私自身、20歳を迎えた当時は「急にそう言われてもな……」と、マインド的には乖離を感じていました。
イ・ラン:「いつ大人になったと感じたか」というのはむずかしい質問ですね。私がまだ4歳くらいの幼稚園児だった頃、大人に抱き上げられたときに羞恥心を感じていたのをよく覚えています。振り返ると、過去のどの自分も「完成された人間」として存在していた感覚があるのに、大人たちが私をひとりの人間として扱わないことに、強い違和感と羞恥心を感じていました。
見汐:すでに「自分」が形成されていたんですね。
イ・ラン:社会の枠組みに従って「正しい人間」が決められることにも違和感を覚えていました。人にはそれぞれに異なる生活のリズムがあるのに、「どうして自分が起きたい時間に起きられないのか」、「なぜ学校の時間割通りに動かなきゃいけないのか」──そういうことに、ずっと疑問を抱いていました。
見汐:システムに組み込まれることに対して違和感を感じていたんですね。私自身も、「やりたいこと」を考えるよりまずは「やりたくないこと」を慎重に排除していった結果、今があります。幼少の頃からなにかに帰属して生きていくことに自分は向いていないなと思っていました。「やりたくないこと」を排除して生活していく中で、しんどいことも多かったですが……。30歳くらいまでは模索しながら暮らしていました。
イ・ランさんは社会の在り方、仕組みを見据えながら自分ごととして常に問題提起をしている人だなと感じていました。私は目の前の暮らし、自分の手の届く範囲にいる人たちがまず幸せであってほしい、その為にはどうすればいいのかを考えるばかりで。例えば子供を産んだ友人が家事と仕事の両立でいっぱいいっぱいになっているのを見て、どうしてこんな苦しい状況に陥っているのか、改めて調べると、背景には待機児童の問題や社会の構造もですが、勤め人としてのルール、人間関係のややこしさがあるんですよね。ここ数年、世界の情勢などニュースで見たり調べたりすると「自身の生活圏内のことばかりを悠長に話している場合ではない」とも考えますが……。
イ・ラン:私も、子供にどうやって世の中の仕組みを教えるのかということに興味があります。私自身、子供のころにいろんな疑問を抱いていたのに、誰も答えてくれなかった。その状況は大人になっても変わりませんでした。教科書や聖書にはもっともなことが書かれているけど、実際の社会と矛盾しているように感じて。
見汐:ずっと生きづらさを抱えて生きていますか?
イ・ラン:もちろんです。今日も、まるでドラマのような一日でした。自殺してしまいそうな人を助けていたんです。その人は、4歳の時にレイプされた経験から心に大きな傷を負い、生きるのがつらいと話していました。
“生きづらさ”を考えたとき、私自身、小さな頃に大人に抱き上げられて嫌だったというほんのささいな記憶でも、それがずっと尾を引いて生き方にまで影響している。小さな傷が人生を変えてしまう──そんな実感があります。だからといって、何かひとつ変えればよくなるような、単純な話でもないんです。
見汐:そうですね。私も10代の頃、傷になるような出来事はいくつかあったけど、自分と向き合うことで克服してきたと思っています。人に話して共感してもらうことで楽になるようなタイプではなかったので、自分の声しか聞こえなくなるくらいに自分との対話を続けました。その結果、こんなおちゃらけた人間になったのもまた不思議ですが。

イ・ラン:子供のころはどういう性格だったんですか?
見汐:とにかく人の顔色を伺う子供でした。他人の表情や所作に極端過ぎるほど敏感でした。父が早くに家を出て、母と兄と三人の生活後、暫くは父方の祖父母に預けられ育ったので、「母に迷惑をかけてはいけない」とずっと思っていて。再び母と一緒に暮らし始める頃には「この人がいるから私は暮らすことができている、何不自由なく生きていける」と自覚していたし、母を守るため、迷惑をかけたくないと自分の感情は二の次でした。
それが影響して、9歳のときに自律神経失調症を患ってしまって。精神面だけでなく身体に出てくる症状もあったけど、それでも自分の感情は蔑ろにして周りには迷惑をかけない為の嘘をついてどんどんこじれていって。まいっている時でも周囲にはずっと笑顔を見せていたから、かなりややこしい子だったと思います。中学に上がると離人症の症状が出はじめて、高校生のころがいちばんつらかったですね。
イ・ラン:私も離人症、持ってます。
見汐:そうなんですね。当時の私は人生の経験値もなく、これはなんだ……どう対処すればいいんだ、ただ楽しく生きたいだけなのになんでこんなに毎日がしんどいんだろう?と思いながら自分との対話を繰り返していました。18歳になって一度すべてをリセットしたくて、家を出ました。
イ・ラン:私は小学校の低学年ごろに離人症と解離症状を発症して、それ以来行ったり来たりの日常を送っています。だからこそ、この世界のことが「まったく理解できない」と「すべてがわかる」が私の中で同時に存在するんです。そのことを書いた『声を出して、呼びかけて、話せばいいの』(河出書房新社、齋藤真理子訳)という本を今年の9月下旬に出版する予定です。
見汐:私もそういうことを日々の戯れ言に交え書いた日記本を5月に出しました。(『寿司日乗2020▷2022東京』)
イ・ラン:解離症状を持っている人の話を聞いていると、子供の頃に抱えきれないストレスを経験した人が多いです。大人になってから発症するケースはまれで、多くは幼少期の体験が影響しているそうです。
私の母は精神的に弱い人で、私が間違ったことをすると長い説教が続いたり手を挙げられたりしていました。その繰り返しによって解離の症状を引き起こしてしまって。離人症のことを知ったのはこの2~3年のことで、それまではずっと「超能力」だと思っていました。
見汐:私は一度、霊媒師のところへ連れて行かれそうになったことがあります(笑)。
イ・ラン:麻衣さんとは少し感覚は異なるかもしれないけど、私は自分が人間ではないような感覚になることがよくあります。そうなってしまった時には近所を散歩して、「自分は今、ここで生きているんだ」「私はこの土地とつながりながら生きている」という意識を歩きながら取り戻すようにしています。そういう気持ちで2年前に通訳の浜辺ふうさんと一緒に作ったのが、『1から不思議を生きてみる』(〈KYOTO EXPERIMENT 2023〉にて発表)という作品です。
【体験レポート】イ・ラン『Moshimoshi City :1から不思議を生きてみる|뚜벅뚜벅, 1도 모르는 신기속으로』
https://kyoto-ex.jp/magazine/lang_lee_report/
見汐:ふうちゃんと一緒にやっているんだ。それはいつか体験したいです。私は毎朝目が覚めたときに「今日も人間をやるのか……、しかたなし、やるぞ」って思います。
長いこと自分と対話した結果、楽しく暮らしていく為に「諦める」ということをひとつの答えとして自分の中に持つようになりました。諦めるというのは、人に期待しなかったり、幼少の頃から抱え続けている心にある問題を他人に相談しないというだけなんですが。17、18歳の当時の私にとって、とても前向きなことだと思ったんです。もちろん、人とのつながりを否定しているわけではありません。おしゃべりも大好きだし、人に興味もある。ただ、「諦める」という言葉そのものに私はポジティブさを感じるみたいで、すごく楽になったのを覚えています。
イ・ラン:今日話していたその自殺しかけていた人は、パニック発作が起きたときに人に電話をしたり会いに行くという対処法をとっていたそうなんです。でも私は、そういう“ジンクス”は危険だと伝えました。なぜなら、いつもその人に会えるわけじゃないし、電話もつながるとは限らない。そういう支えがない状況も必ずあるから、頼りきってはいけないと思うんです。麻衣さんの「諦める」という対処にも通じると思いました。その一方で、諦めることと誰かと繋がりたいという感情は決して矛盾するものではないと思います。
見汐:自分が良くない状態になったときに、当時は特にセルフ・ハグが増えました。自分で自分を抱きしめてあげることがいちばん安心すると気づいて、今でも無意識にやっています。
イ・ラン:私も自分で自分を触るのがいちばんいい方法だと思います。人はすごく弱い生き物だけど、意外と強いとも思うんです。死ぬことは簡単そうに見えて、実は全然簡単じゃない。矛盾しているわけでもなく、それが事実なんですよね。